こぼれ話 アン・マーティアン先生視点
1
「アン、貴方は、母をバカにしているのね。」
「はい」
チッ、しまった。「はい」のタイミング間違えた。
『はひふへほ』で、適当に流していたので、よく聞いてなかった。
母の顔が怒りのあまりピンク色になっています。その健康的な顔色にも関わらず、弱々しい声で、
「弱い体に鞭打って育ててきた子供たちに、こんなにも蔑ろにされるなんて思いもよらなかったわ。ああ、お父様が生きていらっしゃったら、貴方の振る舞いをなんとおっしゃったでしょうね・・・」
と、言い募ります。手に持ったハンカチが怒りでプルプルしています。
いかん、いかん。
「ごめんなさい、お母様。今、どのように奥様にお願いしたらよいか、考えていたので、うっかり返事を間違えてしまったわ。もちろんバカになんてしていません。
でも奥様も、侯爵を亡くされたばかりよ。まだ、使用人たちのお給金まで考えられないと思うの。奥様、本当に気落ちしていらっしゃるのよ。
領地の経営のことも、リリアさんが、必死に奥様を支えようとしているぐらいよ。私の給与の話しは、もう少しタイミングを見た方が良いと思うの。」
そもそも、スタイヴァサント家は、私に相場よりは高めのお給金を出してくれています。その上、私が頻繁に家に戻ることについても、眉をしかめたことすらありません。侯爵亡きスタイヴァサントと良い関係を維持したいので、母のいうことを聞いて、このタイミングで給金のことを話し合うつもりは全くありません。
しかし、私の母は諦めるということを知りません。
「もう半年ですよ。私がお父様を亡くした時には、すぐにも色々な手続きを始めざるを得ませんでしたよ。」
でしたっけ?父の医療費の支払い、葬儀の手続きや借家への引っ越し諸々をやったのは私のような気もしますが。
あの時学校を出たばかりの私を、スタイヴァサント侯爵がガヴァネスとして雇ってくださらなければ、その借家でさえ維持できなかったと思います。
側で聞いていたジュリアが、
「お母様。私ももう13歳です。13といえば、町の子達は、家の商売を手伝ったり、下働きに出てますよね。私にも何かできることがないか、探してみます。」
と、宣言しました。
ジュリアがこの陰気な家を出たがっているのは分かりますが、下働きの苦労は並大抵ではありません。子供には大変な力仕事が中心です。できることなら、ジュリアには、ある程度の素養を身につけてもらい、事務職に就いてもらいたいと思っていました。
幸い、ジュリアは、読み書き計算に優れています。スタイヴァサント侯爵は、 学園に通えないジュリアの勉強のために、私が本を、スタイヴァサントの書斎から借りることを快く承諾してくれましたし、リリアさんも使わなくなった教科書をジュリアに、と、惜しげも無くくださいました。
「ジュリア、それはちょっと待ってくれる?貴方の仕事のこともスタイヴァサントの奥様に相談してみるから。」
そうはいっても、落ち込みの酷い奥様に持ち込める話しでもないし、執事のバートさんにでも相談するのがよいかもしれない、と、思いながら家を出て、スタイヴァサントの邸宅に戻りました。
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「リリアは、ローランド殿下から婚約破棄を申し渡されました。」
しれっと奥様が言います。それも私が奥様相手に、母の愚痴をこぼしたばかりのタイミングで。
失われたものがどれだけ彼女達にとって大切なものであったかは、想像に難くありません。しかし、時には娘たちのことも考えてほしい、なぞとつらつら考えながらスタイヴァサントに戻ってきたので、ついつい、奥様に八つ当たりしてしまったような気がします。
申し訳なさに、今夜の夜会はどうだったかご機嫌うかがいしたら・・・
なんですと?!奥様、もう一度お願いします。
「奥様、私聞きちがえませんでしたよね。婚約破棄とおっしゃいましたよね」
驚愕する私に、奥様は、更にさらっと、
「ええ。なんでも、ローランド殿下が懇意にしていらっしゃる ロヴィーナ嬢をいじめたそうです。まあ、十中八九、ロヴィーナと浮気して乗り換えたいからいちゃもんつけてきたんでしょう。リリアが、どうしても殿下が良いというのであれば、話は違いますが、そうでもないようですし、あれはいらないでしょう。」
と、おっしゃいました。
え?ええ??
何が起きてるの?
奥様?こんな人だったっけ?
驚きの冷めやらない私に、奥様は次から次へと指示をだします。
「リリアはやっていないと言いますし、学校にほとんどいっていないリリアにその機会があったとも思えないの。
陛下が正式に婚約破棄の審議をする前に、リリアの汚名を晴らさなくちゃならないわ。私は明日、リリアの学校に事情聴取に行きますので、先生もご一緒いただけるかしら。」
リリアさんの婚約破棄の衝撃よりも、今目の前で見ているものが信じられなくて、私の返事には、力が入りません。
「・・・はあ。」
奥様はゆっくり微笑んでおっしゃいました。
「ありがとう、マーティアン先生。では、明日8時に。」
だから、誰これ?




