覚悟と決着
彼と彼女の活躍により戦況が有利になったとはいえ、目の前にいる存在が俺にとって未だ強敵である事には変わりはなく、俺は、巨獣と一進一退の攻防を続ける。
しかし、その戦いにも終わりが見えようとしていた。
咆哮によるこちらへの撹乱が封じられ、周囲から湧き群がってくる妖獣達の群れがスィーナ達によって一掃された事により、完全な形で巨獣との戦いに臨めるようになった俺の攻撃が、徐々に相手を押し始める。
「今よ!」
『マスター、チャンスです!』
彼女とスィーナが略、同時に放った言葉に違わず、終に巨獣との決着を着ける絶好の機会が訪れる。
その機会を『彼女』が俺に譲った理由は分からないが、俺は、迷う事無く動いた。
「《万物を滅ぼす神光》!」
「《魂焼く熾烈の闇雷》!」
それが、《力導く言葉》である事は、これまでの経験により一瞬で理解できた。
しかし、『誰が紡いだ言葉』であるかを理解するのに俺の思考は時を求め、それは一瞬とはいえ確かな隙となり、最悪な状況へと至る原因となった。
「セティ、逃げろ!」
「危ない、逃げなさい!」
『マスター、逃げてください!』
『彼』と『彼女』、そして、俺の『導き手』が其々に叫ぶ悲鳴にも似た声が、俺の思考を加速させる。
それは、ファーシとクィーサによって放たれた攻撃魔法からではなく、目の前にいる深い痛手を負って弱っている敵から逃げろという意味であった。
俺は、三者の警告を考えるよりも先に実行し、背後から放たれた魔法を避ける為にも、一瞬で身体を翻す様にして真横へと跳んだ。
正に寸でというタイミングで背後からの攻撃をかわす事に成功した俺だが、体勢を保つ事が出来ずにそのまま地面を転がる。
二度三度と地面を転がり止まった俺が、体に感じる痛みに耐えて起き上がると、その視線の先に丁度、敵である巨獣の姿が在った。
『********!』
攻撃魔法を身に受けた巨獣が口から放った言葉にならない叫びは、悲鳴であり、咆哮であり、これから訪れる死の宣告である。
だが、それは、巨獣ではなく、俺達に対する『死の宣告』であった。
瀕死と迄はいかなくとも、確かに手負いの身であった筈の巨獣は、それを感じさせない強烈な唸り声を上げ、眼を血走らせ狂ったように猛り暴れまくる。
その姿から、警告の言葉に従わずにあのまま攻撃を仕掛けていたら、自分の身が如何なっていたのかを覚り、俺は、背中に冷たいモノを感じる。
「雪華、お前はそのネコと、序に莫迦者二人を護って遣れ。彼は、俺が助ける!」
事態の急変に唖然としかける俺の思考を、彼の叫び声が現実へと引き留めた。
『サセルトオモウナ、ニンゲン!』
宣言通りに俺の元へと駆け付けようとする彼の前に、反撃に転ずる機会と判断した巨人が立ちはだかる。
「ならば、力を以って押し通るのみ!」
気魄に満ちた闘志を示した彼は、宣言通りに本気の構えで巨人を睨んだ。
俺は、彼に加勢する可きかと一瞬考えるが、変貌した巨獣が真っ先に攻撃の相手として狙う存在が誰であるのかを考え、それを防ぐ為に動く。
「お前の相手は、俺だ!」
敵の意識がスィーナ達に向けられる前に、挑発の意味を込めた一括を巨獣へと放つ。
俺の叫びに反応を示した巨獣は、それまでとは明らかに違う狂気に満ちた眼差しでこちらを睨むと、躊躇う事無く突進してくる。
敵が挑発に乗ってこちらに意識を向けた事に安堵しながらも、俺の心は冷静に、その突撃を真正面から受ける事が危険だと判断していた。
猛烈な勢いで突っ込んでくる巨獣の突進を何んとかかわした俺は、身体を翻して敵の背後を討つ可く駆け出そうとした瞬間、それが無謀である事を知らしめられる。
俺に攻撃をかわされると同時に、巨大ともいえる躯を風のように翻した巨獣は、俺が攻撃に転じるよりも一瞬早く、逆に襲い掛かってくる。
強烈な勢いで振り下された猛攻を間一髪で防いだ俺を嘲笑うように、巨獣は、猛烈な勢いで続く攻撃を繰り出す。
嵐の如き連続攻撃を持てる力の全てを奮って打ち返す様にして、何んとか防ぎ切った俺は相手の攻撃が途切れた一瞬の隙を衝き、一気に背後へと跳び退って間合いを取った。
『目の前の戦いだけを見ていなさい。そうでないと、大切な存在がその手から零れ落ちてしまうかもしれないから』
先刻、彼女から告げられた言葉が俺の脳裏に甦る。
目の前に在る敵が『死を狩る凶獣』と呼ばれる理由を理解した俺は、相手の尋常ならざる俊敏さと戦場を取り巻く状況を考えれば、彼が動けない今、何としても唯一の戦士である自分がこの戦いに決着をつけなくてはならないと覚悟を決める。
相手は、危険すぎる程に強大な力を持つ存在であったが、不思議と俺の心には、それに対する恐れは無かった。
それは自らが傷付く事より、大切なモノを喪う事の方が怖かったから。
『死とはそれを恐れる者を何よりも好み、真に生きたいと望み、そして、自分以外の誰かを護りたいと望み戦う者を逆に畏れる存在である。だから、死に打ち勝つ真の強さを持つ戦士は、如何なる戦場に於いても生きる勇気と戦う勇気を失わない者である』
誰よりも誇り高く高潔であった真の戦士であり、俺にとって誇りであった祖父が遺した教えが心に甦る。
そう、俺は既に最初から、自分が為す可き事を知っていた。
俺に足りてなかったのは、唯、それを行う為の勇気だけである。
そして、その勇気を与えてくれる大切な存在がこの戦場にいる今、俺は、その全てに報いなくてはならない。
自らの誇りとそして、今日、この日までに出会った全ての大切な存在達の想いに応える為、俺は、自らを変える第一歩を踏み出した。
「*****!」
全ての迷いを断ち切り、そして、自らの戦士の魂を奮い立たせる為に俺は、敵に負けない咆哮を上げて駆けだした。
その俺の突撃を最後の足掻きと捉えたのか、凶獣の眼に残忍な狂喜の光が宿る。
止めとばかりに鋭い爪を生やした剛腕を、俺目掛けて振り下す巨獣に、俺は、自分でも驚く程に好戦的な笑みを向けた。
それを見て取り訝るように顔を歪める巨獣の表情が次の瞬間、驚愕に変わる。
俺は、絶対の自信を以って敵が放つ攻撃を、紙一重のタイミングで掻い潜ると、躊躇う事無くその頭上目掛けて跳んだ。
「はぁぁーっっ!」
裂帛の気合を込めって俺が降り下した一撃は、狙い違わず巨獣の頭を捉える。
渾身の力を込めた絶対の一撃。
その手応えから勝利を確信した俺を、現実が裏切る。
鈍い金属音を俺の耳が感じると同時に、俺の手に握られた剣の刃が二つに折れた。
クルクルと回転しながら頭上へと跳んでいく折れた刃の先を後目に捉えながら、俺の思考が一瞬停止する。
無意識に着地はしたが、未だ、現実を理解し切れずにいた俺の眼前で、敵である巨獣が嗤った。
自分が完全に隙だらけである事を知りながら、動けずにいる俺を嘲笑う様に巨獣は、反撃の刃を振り上げる。
「未だだ、セティ! お前の心の刃は未だ折れていない! 否、未だ抜かれてさえいないだろう!」
彼の言葉が指し示すモノの意味。
それを考えるまでも無かった。
俺は、反射的に身体を廻らせる。
それは、敵の攻撃をかわす為では無く、もう一度、『戦う』為の力を手にする為。
旋風の如き勢いで一回転した俺の手に握られた至高の力が、言葉通りの『奇跡』を起こす。
巨獣の鋭い爪の一撃を、アルディナから託された守護者の刃が受け止める。
勝利を覆され驚愕する巨獣。
しかし、次の瞬間、再びの狂喜を身に纏うと巨獣は、もう片方の腕を俺へと振り下した。
『戦士たる者、戦場に出たなら、仮令、無様と罵られ嘲笑われたとしても、生きる為、大切なモノを護る為に、最後の最後まで足掻き続けろ』
その教えと共に祖父が教えたくれたモノがもう一つある。
それは、右腕を折られたなら左腕で戦い、両腕を折られたのなら、刃を噛んで尚戦い続ける覚悟と技。
俺は、その祖父の教えを果たす可く、もう一つの力を引き抜いた。
俺の両手に握られた二本の守護者の刃が、巨獣の二度の攻撃を完全に防ぎ受け止める。
右腕はともかく左腕でも、自分の剛力が凌がれた事実に巨獣が驚愕する。
祖父は、生まれて来た俺が左利きであると知ると、俺の両親にそれを唯、右利きに矯正するのではなく、両腕を鍛える事を勧め、更に普段は右利きとして過ごす事を求めた。
何時いかなる状況に於いても生き抜くための覚悟とその術を授けてくれた祖父の想いが、今、俺に自らの生命と大切な存在を護る力となったのである。
そして、アルディナが俺を信じ託した想いも又、大きな力となって俺を護ってくれたのである。
「これは益々以って、負ける訳にはいかないな」
祖父の技を以って、彼女の想いが込められた刃を振るう戦い。
俺の心は、更なる覚悟を抱いて、熱く燃え上がっていた。
「スィーナ、支援の序に、何か気合いの入る声援を頼む」
『はいです、マスター! ここで頑張って名を上げれば、きっとアルディナ様もマスターにふぉーりんぐ・らぶで間違いなしです! おォー!』
スィーナはそうはしゃぐように叫ぶと、俺の求め通りに支援の魔法を掛けてくれる。
「待たせたな、じゃ、さっさと決着をつけようか」
俺は、不敵に笑って巨獣に告げると、事無げに引いた刃の一振りで鍔迫り合いをしていた、その爪を切り落とした。
爪と一緒に根元の一部を切り裂かれた巨獣は、苦痛の表情を浮かべて僅かに身動ぐ。
その隙を衝いて再び間合いを取った俺は、脱力したように両手の刃を地面へと向ける。
それを見た巨獣は、こちらを睨みつけた後、持てる力の全てを込める為の動作なのか、身を低くして身構えた。
最後の決着を着ける可く、相互いに睨み合う俺と巨獣。
その短くも長い睨み合いに痺れを切らし、先に動いたのは巨獣の方であった。
『*********!』
これまででも一番に凶悪で危険な響きの咆哮を上げて吠えた凶獣は、その名の通り俺の死を狩る為に突進してきた。
全身の体重を乗せた全力疾走の突進。
凶獣は、形振り構わない態を示しながら、その実、冷酷に俺とスィーナ達の位置を計った回避させない攻撃を仕掛けてくる。
俺は、自分でも不思議と可笑しく感じるぐらいに、冷静にそれを見極めると、相手の望み通りにその突進を自らの身を挺して防ぐ構えを取った。
『マスター!』
俺の身を危惧するスィーナの声を妙に心地よく感じながら俺は、自らの盟友である二振りの刃を自身の身体の前で交差させる。
そして、真正面からぶつかり合う俺と巨獣。
体躯の違いとその勢い圧され、自然と地面を退る俺は、相手の身体を押し返す為、短い気合いを吐いて踏ん張る。
俺は、更なる勢いを得んと四肢に力を込める巨獣の躯を巧みにいなし、その巨体を押し流す様に横へと転がす。
正に『柔よく剛を制す』という技を以って、無謀とも思えるその力比べを制した俺に、巨獣が驚愕の眼差しを向けた。
無防備に転がり、更には動揺して心を乱した敵の隙を黙って見ている程、俺もお人好しじゃない。
一気に彼我の間合いを詰めた俺は、手にした双剣を敵へと振り下す。
咄嗟の反応で、拳の反撃を繰り出す巨獣。
しかし、それこそが俺の狙いであった。
振り出された敵の攻撃を右手の刃で受け流すと、透かさず左手で繰り出した一撃で、伸ばされた相手の腕を斬って落とす。
腕を失い更なる動揺を抱く敵に情けを掛ける事無く、俺は、止めの斬撃をその生命が完全に断たれるまで叩き込んだ。
『戦士たる者、戦場で相見えた敵に無用の情けを掛けるのは恥と知れ』
これもまた祖父から教えられた戒めの一つであった。