邂逅
「《滅び導く熾光》!」
「《身魂惑わす光華》!」
邪悪なる者を灰塵に帰する力。
敵の心を幻惑に誘う力。
ファーシィとクィーサの《力導く言葉》によって、二つの《神聖魔法》が完成する。
愈々、二人がその力を巨獣へとぶつけようとした瞬間、その闖入者は現れた。
「待って、撃つな!」
それは、胸部鎧のみの軽装に反し、華美を過ぎる装身具の群を身に着けた一人の剣士。
「危険な事になるぞ!」
巨獣と俺達の間に割って入った彼は、再び警告の言葉を口にして、魔導師二人を制止した。
その彼を一瞥した二人は、一瞬だけ止まると、忠告を黙殺して、巨獣へと力を解き放つ。
「莫迦な真似を……!」
そう口にした彼の表情にあったのは、悔恨と烈しい憤りであった。
狙いに違わず巨獣の躯を捉えた魔力の光は、烈しく弾けて霧散する。
「効いて無い?」
「否、最悪の事態を招いてくれた。スィーナ、俺に《魂乱す酩酊》を頼む!」
『? はいっ!?』
突然、名前を呼ばれた事以上に、彼が口にした要求に、スィーナは面食らっていた。
「ちょっと、貴方! 突然現れて、何をふざけているのよ!」
「ふざけているのは、どっちだ。お陰でこっちは恥の上塗りも必死だ。これ以上の問答は要らない。《神の御子姫》、主を護りたければ、俺を信じろ!」
彼は、心に抱くその憤り以上の感情に耐えながら、真摯な眼差しでスィーナに命じていた。
『はい! 《魂乱す酩酊》!』
彼の示す意志に圧されるように、スィーナは、《力導く言葉》を紡いだ。
発動して生まれた魔力の光を受けて、剣士の身体に異変が現れる。
「助かった。約束通り、本気で遣ってやろう!」
不敵な笑みを浮かべて言い放つ剣士の身体からは、烈しい闘氣が陽炎となって昇っていた。
『何奴かは知らぬが、獲物が増えるのは好ましい限りだ! 死ね!』
「黙れ、難訓の鬼畜! 大言は、この俺に掠り傷の一つでも負わせてからほざけ!」
振り下ろされる巨獣の拳。
剣士は、言い放つと同時に鞘から抜いた長剣の一振りで、それを弾き返した。
「温いな、本気を出せ! その程度では《死を狩る凶獣》の名が廃れるぞ!」
『ふんっ、面白い。我が名を知って怖れを抱かぬ人間が在るとは、興味深い! 望み通り、思う存分に狩ってくれるわ!』
互いに奮い立つ両者の遣り取りに、俺を始めとするその場の全員が畏怖の感情を抱いていた。
「セティ、と言ったな。呆けてる暇は無い。そこの二人がかましてくれた失態のお陰で、直ぐにこの周りの妖獣共が全て見境無く襲い掛かってくるぞ。それに運が悪ければ、あの程度の『外道』とは違う化け物が現れるかもしれないからな」
「貴方は、先刻から何を言っているのですか? そもそも私たちの失態って如何いう意味ですか?」
ファーシィの疑問は尤もなモノだったが、それ自体が更なる失態であった。
「《死を狩る凶獣》、奴の存在に刺激され怯え狂った獣達の本能は、見境無く全てに襲い掛かる。知らなかったなんて言い訳は通用しない。俺はちゃんと警告したのに、お前達はそれを嘲笑って無視し、その挙句にこんな状況を招いた訳だ。流石は、《秩序の王》と《力威の王》の懐刀、奴等に似てその己惚れに培われた傲慢さは度し難いな」
その言葉と共に酷薄な笑みを浮かべてファーシィ達を一瞥した彼の瞳には、彼女達を見透かした先に在る者達への憎悪が宿っていた。
それは、見る者の心を凍えさせる程に、暗く冷たい眼差しだった。
「来るぞ、セティ! スィーナ! こんな所で転ぶなよ!」
俺達へと警戒を促す言葉を言い放つ彼の眼差しには、先刻に見せた冷酷さは無く、誇りに満ちた優しさすら感じさせる温もりが宿っていた。
・・・不思議な人間だ。
『マスター、敵に囲まれています! 気をつけてください!』
スィーナの警告の言葉が、剣士の言葉と重なって、俺を動かす。
「ファーシィ! クィーサ! あの巨獣は、彼に任せて、俺達は奴らの相手をするぞ!」
下手な手出しをすれば、反って彼の邪魔をする事になると判断し、俺は、周囲を取り囲むようにして現れた妖獣達と対峙する事を選んだ。
それを一言で言い表すなら、『鮮烈』という言葉こそが相応しかった。
荒れ狂う巨獣の猛攻を、彼は、自らの繰り出す剣撃の連打で軽くいなしていた。
その表情には、目の前に立ちはだかる難敵との戦いを楽しむ余裕すら存在していた。
「凄い…」
俺は、無意識の内に彼の戦いを目で追い、驚嘆の言葉を漏らしていた。
『マスター、来るです!』
スィーナが口にした警告の言葉が、俺の意識を一瞬の夢想から、今、対峙すべき現実に引き戻した。
「スィーナ、頼む!」
俺は、一心同体のパートナーに一言で指示を伝え、迫りくる敵の群れに突撃する。
そこに恐れは無く、在るのは、戦いに必要となる意思のみだった。
一撃、又、一撃と振るう刃で、敵である妖獣達を屠っていく。
自分でも驚くほどに体が軽く、そして、何よりも心が昂ぶっていた。
それは、スィーナが与えてくれる加護と、彼の戦いぶりに触発されたが故であった。
視界に捉えた敵の全てを退けた俺は、更なる敵を求めると同時に味方の状況を確かめるべく、視線を戦場に廻らす。
その視線の先に、一瞬の邂逅ではあるが彼と視線が交わる。
互いに背中を向け合い、後目に交わる形となった彼の眼差しは、先刻と同じ、不思議な優しさに彩られていた。
俺は、その色が信頼であるということに気付く。
彼が、自分に対し抱くその信頼の理由は分からなかったが、その意味は理解できた。
「スィーナ、ここは任せる」
俺は、自分が彼に示された信頼と同じモノをパートナーである存在に示し、更なる戦いに繰り出す。
そう、それは、自らの背中を任せることであり、同じ戦場を生きる為の契約であった。
俺の背中をスィーナが守り、彼の背中を俺が守り、俺達の背中を彼が護ってくれる。
その確かな信頼によって築かれた守護の陣形は、何者をも恐れぬ強固さを誇っていた。
況してや、今、俺とスィーナの傍らには、確かな実力と経験を持つ優れた冒険者が二人も揃っている。
その状況は、俺達の戦いに有利に働く筈だった。
だが、俺は、その考えが如何に甘かったかを思い知らされる。
頼みとなる筈のファーシィとクィーサの間には、まともな連携と呼べるモノは無く、互いが互いの力を殺す悪辣な戦いを繰り広げていた。
彼女達の戦いのスタイルを知らない俺ですら分かるほどに、二人の不具合は酷かった。
同じ魔導を統べる身に在る魔導師である彼女達ならば、互いの呼吸を読んで戦う事など容易な筈であった。
しかし、二人は、唯、自分の意思のみに捉われて、身勝手なままに戦い続けていた。
「二人共、何を遣っている!」
俺は、苛立ちを抑えられずに叫んでいた。
彼女達が好き勝手に戦えば戦うほど、その負荷がスィーナへの加重になる事は明らかだった。
自分に与えられる支援が無くなる事など、今の俺にとっては瑣末な事だった。
しかし、その負荷による限界がスィーナの身を危険に晒す事だけは見過せなかった。
『……』
俺の声に一瞬反応し視線を向けたファーシとクィーサは、そのまま、黙殺の姿勢を示した。
『自惚れ』と『傲慢』、彼が彼女達を評して語った言葉が、俺の脳裏に蘇る。
それは、彼の憤りと憎悪の意味を知る全てとなった。
「遣るしかない!」
俺は、今まで経験した中で、最低最悪となる戦いに挑む覚悟を決めると、唯一つの希望である二人の『仲間』を護るべく、自らを奮い立たせた。
乱戦の中、自らの身を切り裂く妖獣達の爪牙の痛みに耐え、俺は、獲物である剣を振るい続けた。
一秒でも早く、一匹でも多く、疾く鋭く振り放たれる刃の煌めきは、敵の生命を確実に奪い去っていく。
それが自分と仲間達の勝利に繋がると信じ確信した俺の期待を運命は裏切る。
「遅かったか……」
険しい表情で呟く彼の視線の先、巨獣の背後にそれは現れた。