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「ごめんなさいね、ナガラさん。何のお構いも出来ずに……」
タケヒロの屋敷を辞しようとしたとき、彼の妻である老夫人が玄関のところまで見送ってくれた。
主人であるタケヒロとは対照的に、柔和で温厚そうな老婦人だ。
「いえ、構いませんよ。こちらも突然お邪魔したわけですから」
外向き用の笑顔を浮かべながら、長良は応じた。
むしろ、アポも無しで会ってもらえただけでも奇跡に近いと思っていた。
「お恥ずかしい話ですが、主人は貴方達に嫉妬しているのですよ」
夫人は頬に手を当て、ほとほと困り果てたといった表情で、心情を吐露した。
「何しろ、貴方達がここに来てからというもの、孫達の遊びに来る回数がめっきりと減ってしまったものですから」
「ああ……」
外地派遣隊では、現地の人々との親睦を深める目的で、村の広場で様々な催し物を頻繁に実施していた。
駐屯地記念祭などでよく行われている装備品やパネルの展示、音楽隊による演奏や車両への体験搭乗等だ。
日本でもそうだが、車両の体験搭乗は子供を中心に好評を博しており、連日人だかりが絶えない有様だった。
夫人の話では、孫達は体験搭乗などのアトラクションに夢中になっているらしい。
自衛隊――マルミミビトにあまり良い印象を持っていないタケヒロにしてみれば、面白くないのだろう。
「村の暮らしぶりも良くなり、村人の大半は皆さんに感謝しています。本来なら、主人のような年配の代表者が、率先して皆様にお礼を申し上げなくてはならないというのに……」
「それこそお気になさらずに。我々は、本国の命令に従っているだけですから」
「そうでしたわねえ。兵隊さんですものねえ」
なし崩し的に世間話が始まってしまったことに内心舌打ちしつつも、そんな態度はおくびにも出さず、長良は老夫人の話に付き合った。
「ナガラさんは、こちらに随分と長いこといらっしゃるけど、ご家族の方々は寂しがったりしないのかしら?」
「長男ではありませんし、独り身なので気楽なものですよ」
世間話の延長のつもりで、何気なくそう答えてから、しまったと思うがもう遅かった。
「まあ、そうだったの! ちょうど、知り合いに年頃の娘がいるのだけど、どうかしら?」
途端に老夫人は目を輝かせる。
その表情は、お見合い仲人が大好きな、近所の世話好きおばさんそのものだった。
「お、お気持ちだけ有り難く頂戴いたします。任務がありますし、いづれ国に帰らなくてはならないので……」
「それなら、なおのこと丁度よいわ。その娘、ニホンがどんなところなのか、すごく興味を持っているのよ?」
「も、申し訳ありません。任務の途中なので失礼致します」
やや強引に会話を打ち切ると、長良は速やかに撤退した。
「……ん?」
門の辺りまで戻ってきたが、そこに小型トラックの姿は無かった。
「あの野郎。どこに行きやがった……?」
舌打ち交じりに毒づいたちょうどのその時、橘の運転する小型トラックがやってきた。
小型トラックは、憮然とする長良の前に停車すると、運転席の窓から橘が顔を覗かせた。
「あ、二尉。爺さんから話は聞けたっすか?」
勝手に持ち場を離れたことを悪びれもせず、橘は満面の笑顔で言った。
怒鳴りつけてやろうとしたところで、小型トラックに同乗者が居ることに気付いた。
それも、一人ではなかった。
橘の隣の助手席には、十台半ばぐらいの外地人の少女が、後部座席には、少女と顔立ちの似た3人の小児が乗っていた。
少女は慌てたようにわたわたと車両から降りると、長良に向かって深々と頭を下げた。
外地でも、日本と同じように、頭を下げることで敬意や謝意を表す文化があった。
「ご、ごめんなさいっ! 弟達がわがままを言ってしまって……タチバナさんを怒らないでください」
申し訳なさそうに顔を上げた少女の顔には、見覚えがあった。
先刻、日本から戻ってくるときに橘に見せられたスマートフォンに写っていた少女だ。
たしか、セツコという名前だったか。
「ほら、お前達も挨拶しなさい!」
セツコはひたすら恐縮しながら、後部座席ではしゃいでいる子供達を引っ張り出した。
「こんにちはー」
「こんにちはぁ」
「えっと、こんにちは!」
子供達は、三者三様に元気良く挨拶をした。
長良は笑顔で挨拶を返しつつ、説明しろというように、橘のほうに目を向けた。
セツコ達に向けた穏やかなものとは対照的に、その目は全く笑っていなかった。
「あー、いや。二尉が中々戻ってこないんで待ちくたびれてたら、セツコちゃん達が通りがかってですね」
「弟達がどうしても魔法馬車に乗りたいって、我侭を言い出して、それでタチバナさんが……」
橘が安請け合いをして、ドライブに連れ出したということらしい。
「ああ、そんなに恐縮しなくていいよ。悪いのは全部そこのアホンダラだからね」
「ちょ……酷いっすよ、二尉!」
「やかましい」
長良はタチバナを睨みつけ黙らせた。
任務中に持ち場を勝手に離れるなど、言語道断な行為だ。
「と、ところで、タケヒロさんはどうだったんすか?」
「どうもこうも無いな……」
長良はタケヒロとの会話の内容をかいつまんで説明した。
「へえ~、騎士団っすか。じゃあ、何の心配もいらないと?」
「タケヒロさんは、そう思っているらしいがな」
あんな写真を見せられてなお、騎士団とやらに疑いを持たないタケヒロが、長良には信じられなかった。
それだけ、騎士団とやらは絶対的な存在ということなのだろうか。
「騎士団来んの!? スゲー!!」
「いつ? ねえ、いつなの!?」
横で話を聞いていたセツコの弟達が、二人の間に割って入った。
「こ、こら、お前達!」
「いいよ、セツコちゃん」
弟達を抑えようとするセツコに、長良は苦笑しながら言った。
「騎士団って言うのは、どんな人達なんだい?」
長良は子供達に視線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「んっとね! まそうちゅうきにのってるの!」
「すごくつよくてかっこういいの!」
「むしもやっつけるの!」
小さな手を懸命に振り回し、耳と尻尾を盛んに動かしながら説明する様子は、そちらの趣味が無い人が見ても、非常に愛らしいものだった。
「魔操冑機っていうのは、これのことかい?」
長良は、タケヒロに見せた写真の一枚を子供達に見せた。
「うん、これ!」
「すげー! かっこいい!」
「ぼくにもみせてー!」
子供達は食い入るようにして、写真に見入った。
セツコもそんな子供達の背中越しに写真を見つめ、その鮮明さに驚嘆していた。
「じゃあ、みんな。今度はこれを見てくれるかな?」
次に長良が見せたのは、騎士であろう男達が写っている写真だ。
「騎士っていうのは、こういう格好をしているものなのかな?」
「えー、ちがうよー」
「こんなへんなかっこうじゃないよー」
「きたないー、かっこわるいー」
子供達の反応は、総じて否定的なものだった。
「騎士様は、一目で分るお揃いの装束を身に着けています。でも、こんな山賊みたいな格好ではありません」
セツコが怪訝な表情でそう付け加えた。
「それに、魔操冑機に騎士であることを示す幟を付けるのが普通です」
「そうなのかい?」
「はい。半年前に来た騎士様もそうでした」
セツコの話によると、騎士団は半年ぐらいの間隔で、地方の巡察を行い、定期的に丸蟲の駆除や山賊退治などの治安維持を行っているらしい。
「実は、この一団が村に向かって来ているんだ。明後日の昼頃に村に到達すると見ている。
「ええっ、そんなに早くですか」
セツコは目を丸くして驚いた。
「いつもなら、二週間ぐらい前に連絡が来るのに……」
魔操冑機来ると聞いて無邪気にはしゃぐ子供達とは対照的に、セツコは得心が行かないといった様子だった。
「どんな連絡が来るのかな」
「元老院の魔道士様が使う式神が、先触れに来るんです」
式神と聞いて長良と橘の頭に思い浮かんだのは、一時期流行った陰陽師の使う紙が鳥や美少女に変化したりするあれだった。
式神について詳しく尋ねてみると、二人のイメージにほぼ一致するものだった。
魔術師が魔力を込めて作成した紙にメッセージを仕込み、鳥や虫などの形を取らせて目的地まで飛ばす。
目的地に到達すると、入力したメッセージが再生されるのだそうだ。
そのほかにも、その式神を通して遠距離の状況を見聞きしたりも出来るらしい。
「騎士団の方々をお迎えするための準備もあるし、こんな急な来訪は今までにありません」
「ふむ……」
そうなると、あれは騎士団では無いか、もしくは正規の軍事行動では無いという事になる。
セツコや子供達には見せていないが、民間人を襲撃していると思われる写真があったので、前者の可能性が高い。
いづれにしろ、タケヒロのように楽観するわけには行かない。
「ありがとう、みんな。参考になったよ」
「あっ、はい。どういたしまして……」
「よし、橘。みんなを家まで送った後、駐屯地に戻るぞ」
「ういっす」
「ねーねー、ナガラさん」
子供達のうちの一人が、興味津々と言った面持ちで長良に話しかけてきた。
「うん? 何かな」
「ナガラさんは、タチバナさんのおにいさんなのー?」
「……いや、違うよ?」
突拍子も無い質問に、やや呆気に取られながら長良は答えた。
なんだって、こんな奴と兄弟だと思われてしまったのだろう。
もし、顔が似ているなんて言われたら最悪だ。
「どうして、そう思うんだい?」
内心の動揺を抑えつつ、長良は尋ねた。
「タチバナさんが、ナガラさんの事をニイ、ニイって呼んでたからー」
橘は愉快そうに笑い出し、長良は憮然とした表情になった。
セツコや子供達は、そんな対照的な二人の様子を、不思議そうに眺めていた。
同時刻・硫黄島東方沖
『我々は、日本国航空自衛隊である。貴機は我が国の領空に接近している。直ちに変針せよ。繰り返す……』
二機のF-4EJ改に前後から挟みこまれるようにして飛行しているのは、垂直尾翼に誇示するように赤い星を掲げる可変後退翼の偵察機――Su-24MRだ。
通常の東京急行とは異なる航路で南下してきたこの機体は、硫黄島の領空ギリギリの辺りを舐めるように飛行しながら、近海に出現した門の偵察を行っているようだった。
これまでのところ、領空侵犯にまでは至っていないが、週単位でかの国の軍用機が飛来している。
「赤熊さんは元気一杯だな。空自さんも大変だ」
その様子は、門の調査を行っている派遣艦隊からも、当然補足出来ていた。
双眼鏡を覗き込みながら、暢気にのたまったのは、派遣艦隊旗艦『ひゅうが』の副長兼航海長の士官だった。
「彼らの国は複数の門が出現していると聞いているんですがね。そんな余裕があるのでしょうか」
「さあなぁ……」
傍にいた航海士の疑問に、副長は苦笑するのみで明言は避けた。
あの国も、領土だけは広大な隣国と同じで、面子を重要視する国だ。
実はそれほど余裕があるわけではないが、かつての強国としての矜持を維持するためのポーズなのかもしれない。
少し前などには、これ見よがしに対艦ミサイルをぶら下げたTu-22M超音速爆撃機が現れたくらいだ。
結局、Su-24MRは領空侵犯することなく、領空圏外へと去っていった。
彼らのことはひとまず頭から追い出し、副長は、海洋観測艦『しょうなん』と音響観測艦『ひびき』からの現時点で判明している報告を思い返していた。
全幅約50メートル、全高約40メートルというのは、空からの調査で判明していたが、水深については約50メートルとなっており、『いずも』型クラスの大型艦でも余裕をもって通行できるほどの深度があったのだ。
加えて、門の向こうから流れ込んでくる漂流物の中には、漁具と思われる人工物が見つかった。
サイズや仕組みから考えて、門の向こうに人に類似した知的生物が住んでいることは間違いなかった。
更に、門からそう遠くないところに陸地があることの証左でもあった。
日本政府としては、放っておきたいと言うのが本音だろう。
しかし、こちらが何もしなくても、向こうから何かしてくる可能性が少しでもある以上、継続して調査を行わなくてはならない。
頻繁にちょっかいをかけてきている某国の存在もある。
彼らのことだから「たまたま」無線とGPSがいかれてしまった兵員を満載した輸送機が、「たまたま」機位を失って日本の領空に迷い込み、「たまたま」異世界の門に突入してしまった、なんて茶番劇をやらかしてくれるかもしれない。
異世界は日本国の領土ではないので、そこで彼らに好き勝手やられても、現行法的には手出しが出来ないことになってしまう。
そのためには、率先して日本が門の向こうで地盤を固めるしかない。
「わくわくするな!」
「……そうですか?」
子供のように目を輝かせる上官に、航海士は眉を顰めた。