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二人を乗せた小型トラックは、徐行しながら外地への門をくぐった。
門を通り過ぎた瞬間、周囲の風景が、何の前触れも無く一変する。
眩い光に包まれて異世界に……なんていうことはない。
テレビや映画で場面が切り替わるように、一瞬にして目に見える景色が変わったのだ。
もっとも、門を潜り抜けてすぐのところにあるのは、外地側の自衛隊駐屯地なので、異世界に来たという実感はあまりない。
駐屯地から直線距離で200メートル程度のところに、外地の人々が暮らす村がある。
施設科によって、駐屯地の正門と村を繋ぐアスファルトの道路が敷設されたため、当初に比べて行き来がしやすくなっていた。
二人の乗る小型トラックの上を、OH-6D観測ヘリが、ローター音を響かせながら飛び去っていく。おそらく、周辺地域の偵察に向かうのだろう。
転移時、外地で丸蟲と呼ばれる巨大ダンゴムシの大群を撃退した自衛隊だったが、完全に殲滅できたわけではない。
麓まで降りて来て人畜に危害を及ぼすようであれば、もちろん放置するわけには行かず、事前に補足し、退治に向かわなければならないからだ。
山狩りである程度数を減らせたということもあって、自衛隊側では完全に駆除するつもりは無かった。
危険な害獣ではあるが、だからといって完全に駆除してしまっては、こちらの生態系にどんな影響が出るか分らないからだ。
自衛隊が退治した丸蟲の死骸を日本で分析した結果、規格外の大きさであるという以外、日本にも多数生息するオカダンゴムシと遺伝子構造が殆ど同じという調査結果が出ていた。
そうなると、土壌分解者としての役割を担っている可能性もあるわけで、やはり、完全に駆除してしまうわけには行かない。
「民間人同士の交流が出来るようになるのって、いつになるんすかね?」
「まだまだ先のことになるだろうな」
巨大な虫についてもそうだが、外地について判明していることは、実のところあまり多くは無い。
良好な関係を築くことが出来ているといっても、たった一つの村に過ぎないのが現状だ。
しかも、時には人を襲うこともある巨大な虫が闊歩しているような世界で、民間人の安全を担保出来る状況ではない。
そのため、自衛隊以外で外地に立ち入ることが出来るのは、政府から民生支援を委託された一部の民間企業や、外地の学術調査を行う文科省の役人や学者、外務省の役人などの政府関係者ばかりだ。
偏向報道を防ぐため、マスコミの取材に関しては完全にシャットアウトし、情報公開は政府広報のみに留めていた。
政府が周到だったのは、野党やマスコミが言論弾圧だ情報隠蔽だと騒ぎ出す前に、時期は明確に出来ないが外地の民間交流希望者を広く公募すると発表したことだ。
その際、抽選で選ばれた民間人には、ある程度の制限は加えるが、写真や動画の撮影を許可する旨を発表したことだ。
それをインターネット上にアップロードすることについても容認する方向でだ。
出鼻を挫かれた野党とマスコミは、黙り込む他なかった。
「こっちの人を日本に招待するってのは、どうですかね」
「それも、色々と問題があるだろうが」
何しろ、コスチュームプレイやコンピュータグラフィックスではない、本物の獣耳と尻尾を持っている人々だ。
大混乱が起きるのは目に見えている。
「そういうのは、もう少し段階を踏んでからだ。まずは、この国の政府機関と接触を図らなきゃならんしな」
村の人々の話では、この国の首都に元老院という統治機構があるらしい。
村の人々にとっては、普段の暮らしにはあまり関係が無いからのか、具体的にどんな政権なのかはいまいち情報が曖昧だった。
日本政府としては、共和制ローマ時代の元老院のようなものだと仮定づけている。
意図的ではないにしろ、今の日本は、いわば他国の領土に無断で軍隊を駐留させているようなものなので、
面倒な事態に発展する前に、この国の政府とは速やかに交渉する必要があった。
「いろいろと面倒くさいっすねー」
「まったくだな。俺は何もかも誰かに押し付けて、日本に戻りたい」
「二尉、そればっかりっすねー」
長良に言わせれば、橘のように簡単に順応出来るほうがおかしいのだ。
突然、駐屯地ごと異世界に転移したかと思えば、そこに住む狼のような獣の耳と尻尾を持つ人々と、ただひたすらに不快でしかない巨大で凶暴な虫との遭遇。
戻ってこれたと思いきや、今度はその異世界と繋がってしまうなど、わけが分らない。
この門だって、いつ何のきっかけで閉じてしまうかもしれないのだ。
せっかく戻って来られたのに、また異世界に閉じ込められる羽目になってしまうなど、冗談ではない。
だいたい、この異世界は不可解なことが多すぎるのだ。
獣耳や尻尾を持つ住人の存在は、まあいい。
だが、どうして種族が違うはずの彼らと、支障なく言葉が通じるのか。
そのくせ、使用する文字に関しては日本語とはまったく別の言語体系だ。
その時点で色々とおかしい。
とにかく、何もかもが気に入らない。
「でも、二尉。あの時は、けっこうノリノリだったじゃないですか?」
揶揄するような橘に、長良は顔を顰めた。
あの時というのは、総合火力演習的な演出で、司会を務めたときのことを言っているのだろう。
「あんなもの、演技に決まってるだろうが」
苦い顔で吐き捨てるように言うと、橘は声を出して笑った。
「こういうのは、楽しんだもの勝ちっすよ。難しいことばっか考えても禿げるだけですって」
「まだそんな歳じゃねえよ」
「俺みたいにこっちで好きな娘でも見つけたらどうっすか? 任務にも張り合いが出るっしょ?」
「好きな娘って、まさか……」
もしかして、さっきこいつのスマホで見せてもらった外地人の女の子か。
どうみても中学生ぐらいの歳にしか見えなかったのだが。
「セツコちゃんは、いま15歳です。外地では成人ですよ。結婚も出来ます。子供も産めるっすよ」
「そう言う問題じゃない」
「じゃあ、16歳になるまで待つっす!」
「そういう問題でもねえよ!」