25
「長良さん。橘さん」
駐屯地内の駐車場まで来たあたりで、二人に声が掛かった。
声の主はカエデだった。二人の姿を認めると、小走りに駆け寄ってくる。
野盗から救出されて以来、精力的に自衛隊に協力してきたカエデは、駐屯地内をある程度自由に行動することが許されていた。
「やあ、カエデさん」
「カエデさん。こんにちわっす!」
二人が挨拶を返すと、カエデは控えめな笑みを浮かべ軽く会釈した。
「お二人は、これからどちらへ?」
「長老達の家へ、挨拶に向かうところです」
それだけで、カエデは事情を察したようだった。
「ご迷惑でなければ、私もお供させていただけますか?」
「それは構いませんが、特に面白いことなどありませんよ」
「構いませんわ」
口では遠まわしに断ってみせるが、出来ればカエデに一緒に来て欲しいと長良は考えていた。
もちろん、橘が勘繰るような下世話な理由からでは無い。
カエデが一緒に居ると、ご婦人方の見合い攻撃がかなり下火になるからだ。
理由は判らないが、長良の傍らの彼女を見るや、その手の雑談を早々に切り上げてくれる傾向にあった。
「わかりました。では、後ろに乗ってください」
「はい」
橘が後部座席のドアを開けると、カエデは軽く会釈をしながら乗り込んだ。
「どこから行くっすか?」
「タケヒロさんのところだ」
「うぃっす」
いつもどおりの調子のいい返事の後、橘は73式小型トラックを発進させた。
のどかな農耕地の只中を、車輌は軽快に走り抜けていく。
気付いた村の農夫達が笑顔で手を振ると、そのたびに小型トラックは徐行し、助手席から長良がにこやかに手を振り替えした。
後部座席からその様子を眺めていたカエデは、尊敬の眼差しで長良を見つめていた。
自衛隊に救出されて以降、彼女は長良達の行動をつぶさに観察していた。
丸蟲どころか、魔操冑機で武装した野盗でさえ蹴散らす程の圧倒的な武力を持つ謎の軍隊。
それほどの圧倒的な武威を示しているにも関わらず、村人達に彼らを畏れる素振りは見られない。
それは、自分達騎士団に対する態度とは大きく異なるものだ。
元老院の騎士団がひとたび人里に姿を現せば、村人達は自ずと平伏し、元老院と騎士団の弥栄を讃え上げる。
領内の治安維持をに対する感謝の念もあるだろうが、魔操冑機という抗い難い圧倒的な武力に対する畏怖の感情のほうがより大きい。
騎士団員の多くは、その視線を心地良いものと感じている。
力を持つ者のみに向けられる尊崇の念であると考えているからだ。
「うちの畑で採れた野菜を持ってってくれ!」
「俺の畑のも持ってってくれ!」
「うちの女房もついでに!」
駆け寄ってきた農夫達は、笑顔で収穫したばかりの野菜を二人の自衛官に差し出してきた。
カエデ達騎士団が辺境の村を訪れたときも、村人達はこぞって酒と食料、そして女を差し出してくるが、それは明らかに騎士団に対するご機嫌取りだ。
万が一にでも騎士団の不興を買えば、何をされるか分からないという懸念があるからだ。
実際に、一部の不心得者が狼藉を働くことも少なからずあった。
しかし、村人達の態度はどう見ても、騎士団に対するご機嫌取りとは明らかに異なっていた。
「いつも思うんだが、これ、収賄になるんじゃないか?」
「便宜を図らなきゃ問題なかったはずっす! それに、断ったりして、関係が悪化したらそっちのほうが問題っすよ」
「それもそうか」
「それに、貰った食材は交流行事のカレーなんかで食材として使って村の人達に召し上がってもらってるんだから、無問題っすよ!」
「まあ、そうだな」
二人の話していることは良く分からなかったが、村人達が彼らに感謝の意を表していることだけは間違いない。
自衛隊と行動を共にするうちに、カエデにはその理由をおぼろげながらも理解し始めていた。
それは目線だった。
村人に対するとき、自衛隊の兵士達は、常に彼らの目線に立って話す。
騎士団のように、目上の者が申し渡すような態度は決して取らない。
どのような些細な問題でも真摯に向き合い、邪険に扱うような真似は決してしないのだ。
力に奢ることは無く、それでいて、弱者に対しても最大限の配慮を欠かさない。
信じがたいことに、それは野盗共に対しても同様だった。
圧倒的な武力を以って、問答無用で叩き潰すことが出来たはずの相手に対し、自衛隊は先ず交渉を以って望んだのだ。
結果として決裂はしたものの、カエデがこれまで培ってきた常識からすれば、驚くべきことだ。
彼らのような軍隊が護る日本とは、いったいどのような国なのだろうか。
自衛隊と彼らの祖国・日本への興味が尽きないカエデだったが、同時に別の懸念があった。
それは、彼女の本来所属していた騎士団だ。
居丈高な彼らの態度が、自衛隊の逆鱗に触れなければ良いのだが。
カエデが考えをめぐらせているうちに、橘の運転する73式小型トラックは、タケヒロの屋敷の前に到着した。
「あらあら、ようこそいらっしゃいました」
車輌の音で気付いたのか、タケヒロ夫人が態々出迎えに姿を現した。
「どうぞどうぞ。主人は出掛けておりますので」
「恐れ入ります」
意味ありげな笑みを浮かべるタケヒロ夫人に、長良は頭を下げた。
もちろん、タケヒロの留守は偶然ではない。
最近のタケヒロの動向を観察し、留守の確率が高い時間帯を狙って訪問したのだ。
ちなみに、タケヒロがどこに行っているのかというと、村の寄合所のようなところで、他の長老格の老人達と世間話をしているらしい。
内容自体は大した事が無く、その殆どが自衛隊に対する愚痴ではあったものの、妨害を企図する相談をしているわけではなかったので、自衛隊側としては経過観察以外にこれといった対応はしていない。
「あー、ジエイタイだー!」
「ジエイタイが来たー!」
「ハチナナ? ハチナナで来たの?」
夫人に続いて、幼い子供が三人、尻尾を振りながら長良達に駆け寄ってきた。タケヒロ夫妻の孫だ。
先のニセ騎士団の一件で、魔操冑機を降した87式偵察警戒車は、村の子供達に大人気だった。
「ごめんね。今日は普通の車で来たんだ」
「えー!?」
「がっかりー」
目線を合わせた長良が済まなそうにいうと、子供達はあからさまにがっかりしていた。
さっきまでいき追いよく振られていた尻尾も力なく垂れ下がっている。
「こらこら。ご迷惑でしょうお前達。お行儀よくなさい」
「構いませんよ。よろしければ、お孫さん達を車に乗せてあげましょうか?」
「まあ、よろしいんですの?」
「えっ! いいの!?」
「のせてくれるのー!?」
子供達は歓声を上げた。さっきまで力なく垂れ下がっていた尻尾が、力強く左右に振られる。
「橘」
「ういっす! さあ、来るっすよ、ちびっ子達!」
橘が呼びかけると、子供達は歓声を上げ橘に続いて行った。
誰が最初に助手席に乗るかでひと悶着あった後、三人の子供達は大人しく座席についてた。
「ちゃんとシートベルト付けたっすね? じゃあ、二尉、行ってくるっす!」
「ああ。くれぐれも、安全運転で頼むぞ」
その言葉が終わる前に、橘は小型トラックを急発進させた。
子供達の歓声を残し、車輌は威勢の良い空ぶかしの後、瞬く間に走り去っていく。
事故らないかと若干の不安を覚えつつ、長良は見送った。
「とりあえず、お上がり下さいな。何かお話があるのでしょう?」
「恐れ入ります」
長良は一礼すると夫人に続いて屋内へ入った。カエデも同じように会釈し、そのあとに続く。
「どうぞ、粗茶ですが」
「ありがとうございます。いただきます」
礼を述べ、長良は日本のものとよく似た湯飲み茶碗を手に取る。
緑茶によく似た風味のこのお茶を、長良はひそかに気に入っていた。
「それで、本日はどのようなご用件なのかしら。もしかして……」
夫人はいったん言葉を切り、同席しているカエデに視線を向けた。
「ついに、そちらのカエデさんと祝言を上げるのかしら?」
「ぶっ!」
予想の斜め上すぎる発言に、長良はお茶を噴き出しかけ、カエデは大きく目を見開いた。
「げほっ、げほっ……」
盛大にむせる長良の背を、カエデは慌ててさすった。
その様子も、夫人の目には甲斐甲斐しいものに映っていた。
「いつも一緒にいるから、もしやと思っていたのだけれど。おめでたいわ~」
いったいなぜ、そんな発想になるのだろうか。
確かに、現地調査の一環として、カエデと行動を共にすることは多かったが、そんな誤解を招くような素振りを見せたことは、一度としてないのだが。
「ご期待に沿えず申し訳ございませんが、全く違います」
務めて冷静を装い、長良はきっぱりと言い切った。
この手の誤解はきちんと否定しておかないと、色々と面倒なことになる。
「長良さんのおっしゃる通りです。私が一緒にいるのは、あくまで騎士団の任務の一環に過ぎません」
間髪入れずにフォローしてくれたカエデに、長良は心の中で感謝した。
これ以上余計なことを言われる前に、長良はさっさと用件を告げることにした。
カエデが元々所属してた騎士団と連絡を取り、一週間程度でその騎士団がこの村に到着することを告げた。
「まあ。それじゃあ、今度は本物の騎士団の方々が……?」
「はい。それでお願いがあるのですが」
長良は、タケヒロが余計なことをしないように見張ってほしいということを、出来るだけオブラートに包んで依頼した。
「そういうことでしたら、承りますわ。主人も前回の失敗で懲りたようですので、おとなしくするとは思いますけど」
「助かります。ついでと言っては何ですが、他の奥様方にもお話していただけると有難いです」
「ええ、ええ。お安い御用よ。任せて頂戴」
自分で直接伝えに言っても良かったのだが、主婦の井戸端ネットワークによる拡散を期待することにした。
その後、少しの世間話や近況を聞いて、長良とカエデはタケヒロ邸を後にした。
橘の小型トラックは、子供達を乗せて村中を走り回っているらしく、まだ戻ってきていなかった。
夫人からあんな突拍子もないことを言われたせいか、二人の間に気まずい空気が漂ってしまっていた。
これが橘ならば、軽口の一つや二つ叩いて場を和ませることが出来たかもしれないが、任務以外での長良は、そこまで饒舌ではない。
「ごめんなさい、長良さん。不快な思いをさせてしまって」
何とか会話の糸口は掴めないことかと思案していると、カエデが申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「顔を上げてください、カエデさん。それこそ、あなたのせいでは無いでしょう」
娯楽の少ない小村だし、ある程度は仕方のないことだと思っていたが。今後は無用な誤解を避けるために、誰か手の空いているWACを付き添わせるようにしたほうがいいかもしれない。
長良がそう告げると、カエデは軽く目を見張った後、神妙な面持ちで長良を見上げた。
「私が一緒では、ご迷惑でしょうか」
「そのようなことはありません」
上目遣いで見上げるカエデの視線に、長良は若干動揺しつつ言った。
「しかし、今回のような誤解を受けることは、カエデさんにとっても不本意でしょう」
「あまり気になさる必要は無いのでは? 私は気にしませんわ」
「しかしですね」
言い募る長良に、カエデはクスリと小さく笑みを浮かべた。
「長良さんは誠実な方なんですね」
予想外の言葉に長良はたじろいだ。突然何を言い出すのだろうか。
「先ほどのような話は、適当に聞き流しておけば良いだけなのに、真摯に対応していましたもの」
「それは、村の有力者の奥方ですし、あらぬ誤解を与えたり、心証を悪くするわけに行かないからですよ」
「夫人にだけではありません。ここに来る途中に出会った村人達に対しても、きちんと耳を傾けていたでは無いですか」
「それが任務ですから」
自衛官として、それなりにそつなく任務をこなしている自負はあったものの、それは自分だけではなく、この外地に派遣されている自衛官すべてに言えることだ。
殊更に評価されるようなことではないはずだ。
好き勝手にやっているように見える橘だって、必要最低限の仕事はこなしているのだ。
「そうですか。では、そういうことにしておきましょうか」
「そうしていただけると助かります」
にべもなく言い切る長良だったが、カエデの目には、照れ隠しのように映っていた。