15
「飛んでる! 姉さん、あたし達、お空を飛んでるよ!」
「う、うん。そうね。すごい……」
はしゃぐように歓声を上げる妹とは対照的に、姉の顔色は悪い。
呟いた声は、自分が乗せられている空飛ぶ化け物の発する凄まじい羽音に、すぐさまかき消されてしまった。
何しろ、得体の知れない空飛ぶ化け物の腹の中に押し込められ、どこかへ連れ去られようとしているのだ。
そして、今までに経験したことのない胃がひっくり返るような奇妙な浮遊感も不快だった。
とてもじゃないが、妹のように、上空からの景色を楽しむような余裕は無かった。
妹は、助けてもらったと楽観的に考えているようだが、本当にそうなのだろうか。
奇妙な化け物を操っていた二人の男は、彼女の知る騎士とは全く異なっていた。
頭に被っている灰色の帽子は、辛うじて騎士の兜に見えなくも無かったが、顔全体を覆っているわけではないし、身に着けているものも鎧などではなく、あまり綺麗とは言いがたい、薄汚れているような色合いの斑模様の奇妙な服だけだ。
剣や槍といった騎士ならではの武器すら持っていなかった。
それに何より、彼らが何を話しているのかさっぱり分からない。
こちらの言葉も通じていないようだし、いったいどこからやってきた連中なのだろう。
人間を何人も腹の中に抱えることが出来る空飛ぶ化け物を、何匹も使役している騎士団など聞いたことも無い。
それを考えると、とても妹のように、上空からの景色を楽しむ余裕など無かった。
「ねえ! あの子はどうするの!?」
耳がおかしくなるような羽音に負けじと、妹は大声を張り上げた。
助けてくれてた男の一人の袖を引いて、島のある一点を指さす。
その方向には、島の僅かな平地に蹲るようにして身を置いている異形の化け物の姿がある。
姉妹を襲った海魔を一瞬にして葬り去った、オタマジャクシにも似た空飛ぶ怪物だ。
良く躾けられているらしく、あの場所で大人しくじっとしたままだ。
妹に尋ねられた男は、笑いながら何かを言っていたが、やはり何を言っているのか理解できなかった。
「可哀想だよ! 連れてってあげないの!?」
妹はすっかり彼らが自分達の味方だと思っている。
あんな化け物の心配までしている。
自分達姉妹が、どことも知れないところに連れ去られようとしているにも関わらずだ。
彼らから貰った食料は、今まで味わったことが無いくらい、甘くて美味しかったけど、そんなことで誤魔化されるわけには行かない。
両親が病に臥せっている今、妹を守ることが出来るのは自分しかいないのだから。
姉妹を乗せた空飛ぶ化物は、先導するように飛ぶもう一匹に追従するようにして、島から離れ始めた。
「それに……舟置きっぱなし」
姉の漏らした呟きは、激しい羽音に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。
二人の居た島が、影も形も見えなくなった頃、斑服の男が何事かを呟きながら手招きをし、窓の外を指差した。
姉妹は顔を寄せ合うようにして、外側に丸く膨らんでいる不思議な形状の窓から外を覗き込んだ。
大海原に、いくつもの灰色の影が浮かんでいた。
「すごい、すごい! 海の上にお城がある!」
海に浮かぶそれらが、妹の目に城と映ったのも無理が無いと思った。
自分でさえ、それが巨大な船だと気付くのに、時間を要したのだ。
しかし、帆も櫂も無いあの船がどうやって動くのか、全く想像が出来ない。
それともやはり、妹が言うようにあれは海に浮かぶ城で、彼らを率いている主の居城なのだろうか。
海に浮かぶ鐵の城は、全部で七つ。
そのどれひとつとして、同じ形のものは無かったが、その中の二隻だけは、甲板が平らだった。
二人の乗る怪物は、そのうちの一隻へと近づいているようだった。
どうやら、あれの上に着陸するらしい。
良く見ると、平らな甲板の上には、何匹かの化け物が佇んでいるのが見えた。
その周囲には、人の姿も見える。
その中の一人が、こちらに向かって、奇妙なダンスのようなものを踊っているのが見えた。
何かの魔法の儀式なのだろうか。
疑問は尽きなかったが、そうこうしているうちに、軽い衝撃と共に、自分達姉妹を乗せた空飛ぶ化物は、船の上に降り立っていた。
「着いたみたい……」
「うん……」
はしゃいでいた妹もさすがに不安になったのか、先程とはうって変わったように大人しくなっていた。
どうしようかと途方に暮れていると、海魔から助けてくれた二人の斑服の男が、揃って船の甲板と思しき灰色の床に降りた。
そして姉妹に向かって、エスコートするかのように、手を差し伸べてきた。
妹と軽く視線を交わした後、意を決したようにその手を取り、足元を確かめるようにして、灰色の床に足を下ろした。
妹も同じように、もう一人の男の手にしがみ付くようにして、床に降り立った。
サンダルを通して伝わる感触は、彼女の知る船の甲板とは明らかに違っていた。
「わあ。何で出来てるんだろう。ざらざらするー」
妹がしゃがみ込み、床の表面を両手で触っている。
姉が止めようとする前に、斑服の男が妹の手を床から引き離した。
何を言っているのか相変わらず分からなかったが、危ないからやめさせようとしているのだということは、おぼろげながら理解できた。
男に軽く背を押され、歩くように促された。
どこに連れて行かれるのか、これからどうなってしまうのか、不安で仕方が無い。
ただひとつはっきりしているのは、どんなことがあろうが、妹だけは絶対に守らなければならないということだけだ。
「ばいばい」
そんな姉の心の内を知ってかしらずか、妹は未だにけたたましい風切り音を立て続けている化け物に向かって、無邪気に手を振っていた。
そんな妹に向かって、化け物を操っている男達と、自分達を抱きかかえて化け物に乗せてくれた男が、笑顔で手を振り返していた。