愚かな王は断頭台に立つ
アーサー王伝説のアーサーとグィネヴィアとランスロットの仲が泥沼化したらどんな終わりを迎えるだろうと想像したら、謎の脱線反応が起きてしまった……。
長きに渡る暴政で国を傾けた、この地の主。最後の見栄か白い羽毛で縁取った緋色のマントを背に、足取り重く歩む。
右手には咎を極めた成れの果て。
左手にはかつて得た誇りの残骸を。
噛み締めて、進む。
見るに堪えぬ変わり果てた王の身体へ、石と罵倒を投げつける人々。血色の悪い王の頬に、赤黒い筋がしたたり落ちる。
鎖で歩幅を縛められた足がもつれてしまい、突如倒れる王。警備兵の壁を突き破り、みんながみんな王の身体にたかる。まるで獲物に食らいつくアリのよう。彼らが何と喚いているか、堅牢な城に守られた私には、届かない。
城の階段をいくつか登ってこの部屋に来ただけなのに、窓に映る景色の何もかもが小さく感じる。外の雰囲気が遮断されているせいか他人事の心持ちで、私は傍観していた。
王の行くべき先には、小高い木組みの断頭台。首切り役人が斧を手に、罪人を待ち受けている。
人の群れからようやく救い出された王は、牢番に支えられ足をフラつかせた。綺麗に結わえていた髪もホツレだらけで、砂にまみれている。
両手首を縛る枷の鎖を引っ張られて、王の足がのっそり地面を擦り始めた。
痛々しい情景なのに、私の心は冷たかった。人々を巣食う狂気も、暴政が終わった歓喜も湧かない。淡々と、事の次第を見守る。
痛めた片足を引きずるようにして、あの人は断頭台への階段を登る。一段一段、ゆったりと踏み締めて。
いくらの時間が経ったろう。首を寝かす台座の前で両膝をつき、牢番が持っていた羊皮紙を広げて大口を開ける。おおかた、王の罪状を語り聞かせているに違いない。みんな分かりきっている、目新しくもない罪状を。
あの人自身もつまらないようで、観衆の顔ぶれを一望している。
疲労の兆しが差してもなお、若々しい身体つき、容貌。広場の隅々を巡っていた首がそのままこちらへと回る。
あの人の双眸が私を呑み込んだ。何も変わらぬ無機質な面差しで、胡乱げに。
あの人が見た私の表情も、さぞ味気なかったろう。だって興味ないのだから。
実の娘にも関心が寄せられていないなんて、救いがたい主だ。――――ああ、あの人にとって、私は『娘』ではなかった。
出生当初より血筋を疑われた姫。父と同じ色を瞳に宿していたのに、受け入れられなかった。
あの人は王妃が、近衛の騎士と密通していると思い込んでいたから。
信じるに値しない、ただの妄想。第一、王妃は息をつく間もなく王に愛されていたという話だ。そんな暇は許されなかったろう。――――けど。
王妃が王を愛していたかは、断言できない。そんな掴みどころのない王妃の態度が疑念を呼んだのだ。
真相は闇の底。我が子の産声と引き替えに王妃は息を引き取った。騎士も黙して語らない。
怒り狂う王に対し、2人の潔白を疑わず側近たちが立ちはだかった。王妃の出身はこの国で最も権威ある家柄の令嬢。もし王妃を根も葉もない不名誉で辱めたら、貴族勢の反発が起こると危惧したのもあるだろうが。
その日を境に、王の横暴が幕開けた。政務につくこともなければ苦しむ人々の懇願にも応えず、民の血税を浴びるごとく、毎夜祝宴に明け暮れた。
私は城の別の場所で育てられた。時折会うあの人は私に気兼ねするでもなく、視界から爪弾きにしていた。
あの人は王で、私は姫。親子の絆は封じられていた。
やがて私も分別のつく年頃になると、王の振る舞いが目に余るものだという事実とぶつかった。
王と一部の貴族が贅という贅を尽くして私腹を肥やす反面、飢えた民は軽い風邪ですら喘ぎ、次々と倒れてゆく。地方では略奪が横行しており、早々に手を打たねばならない状況にあった。
そう進言した家臣たちは、しかしその都度刑に処された。死を恐れた者たちは口をつぐみ、目をつむった。
悪夢の中、誰もが一筋の希望を抱いていた。私だった。
王の血脈を引く正統な存在。年端のいかない娘を『救世主』と謳ったのは、他でもない例の近衛騎士だった。
いわく、彼はあの人の異母兄だそうだ。前王妃に仕える使用人と、前国王との間で生まれた子。母親の身分が身分なだけに王位の道を閉ざされ、あの人の側近という形で引き取られた。
あの人の忠実な部下であり、頼れる兄でもあった男性。彼はみなしご同然だった私の、父親代わりだ。ずっと慈しんでもらっている。
彼は私に跪き、問うた。この国を救う気はないかと。短い一言が、決断の時が迫っていることを同時に告げていた。
私は立ち上がった。彼をともなって。仲間を掻き集め、王へ反旗を翻した。
結果は、窓辺の向こう側の世界が教えてくれている。ここで繰り広げられる現実がすべてだ。
地上を見下ろす私を察したのか、それとも単にあの人の顔の方向を辿ったのか。民の何人かがこちらを指差し、手を叩いた。賑やかな響きが波紋を広げ、一斉に人々が何事か口を走らせる。
みんな笑顔だ。私にとっては声を交えたり会ったりもしていない、見知らぬ面々。隣に控える付き人に促され、私は呆然と手を振る。
初めて目にする人たち。いったい誰なのだろう。
そこで、ふと気づく。
どうして私はあの人に抗おうとしたのだろう。私は彼と他の家臣の話を耳にするだけで、現状を確認していなかったのに。城に囲われた籠の鳥、建物の外にも人がいるなんて想像すらしなかった。
あの人は私を見限りこそすれ、酷い仕打ちはしなかった。私には自由が認められていた。民を蝕むひもじさとは無縁の場所にいた。
昨日私に話を聞かせてくれた家臣の1人が、今日は姿を消している。そんなのも日常茶飯事で、気になりさえしなかった。
そんな私が。
どうして私は。
腕を下ろし、あの人を凝視する。あの人は虚ろな、けれどはっきりした眼差しを私に返している。
私はそれを読み取ろうとした。叶わなかった。澄んだ瞳は暗く光を拒んでおり、太刀打ちできなかった。
視線は通っている。あの人と私。まっすぐな一本道。だけど。
すがるごとく、掌を窓のガラスに添える。あの人は微動だにしない。
そうだった。私が叫んでも暴れても。いつだって、あの人は。
変わらないところが怖かった。物心つく頃には、あの人の別な人間ぶりを暴こうと躍起になっていた。
どこまでが本物なのか、あるいはあの人自身ともいえそうな氷の仮面を、壊してみたかったのだ。
…………ああ。そうか。
記憶を辿り、回想にたゆたい。たったひとつの単純な答えに行き着く。
わたしは、あいしていたのだ。
どんなに酷い人でも、どんなに馬鹿な人でも、どんなに罪深くとも。ひっそりと愛していた。
ずっと疑われていた。かけがえのない思い出など与えられなかったのに。それでも飢えていたのだ。願っていたのだ。
1度きりで構わない。振り向いて、と。そればかりを祈っていた。
胸の奥で膨らんでいた芽が土を割り、私の引き金を弾いた。『国を救う』という耳心地の良い使命の裏で、私は抱き続けていたのだ。身勝手な欲望を。
曲がりなりにも王の娘として育てられた。血の流れはどうあれ、私はあの人の子供だ。そう認めてもらいたかった。
反逆の時、王の私室へ攻め入り、断罪の言葉を高らかに告げ。お飾りの剣の切っ先を突きつけて。
あの人の目はやっと私を捉えた。私の胸が弾んだ。欲していた。あの人が私の名を呼ぶことを。
けれど、あの人は無言のまま。口をつぐみ、牢獄へと連れて行かれて。頭が真っ白になった。
どうしてだか、私は泣き崩れていた。
蒼い双眸に込められた意味を、ようやく悟る。
あの人の中では私は死んでいるのだ。あんなに近くにいたのに。
あの人はどんな気分なのだろう。死んだ娘に捕らえられて。死んだ娘に処刑場送りにされて。
我が憂き身を嘆いているのか、それとも思考が麻痺してそれどころでもないのか、計り知れない。もとより、気遣う義理もない。
ここまで来たのだ。後戻りはできない。私は諦めた。愛されるより、終止符を打つ方を選んだ。
私は姫。民と王座の守り手。独りよがりはできない。1人の人間ではないのだから。
愛してほしかった、なんて今さら言える立場でなければ、そもそも言ったってどうしようもないのだ。
今、私の傍らには騎士がいる。私につき従い、弟たる王に弓を引いた英雄。王妃が密かに愛したかもしれない男が。
とはいえ、私は恋に踊るつもりはない。
あの人の首が散り、私が金の眩しい玉座を継ぐことになっても、彼との関係は変わらない。小さい頃は父似の鮮やかな青空の虹彩が、年を経るにつれ金がかった淡褐色を帯びていったとしても。私は私だ。
精悍な横顔を見上げる。気配の変化に鋭い彼がすかさずこちらを見返す。そして無骨な手を、私の髪に滑らせた。
彼は愛していたのだろうか。私の母を。近くて遠い、気高い王妃を。
とっくの昔に父と母の時代は終わった。現在の私が探るべき事柄ではないのだろう。
私は再び視点を戻す。王は一瞬前の顔つきと、かすかに色を変えていた。この期に及んでまだ執着しているのかと呆れる。
確かに王妃は、彼を愛していたのかもしれない。でも私は違う。私は王妃ではない。
王が私に王妃の面影を重ねているとしたら、はなはだお門違いだ。
使えるから手に入れた。何より彼は、自分の立場をわきまえている。『もしも』に備えた監視を兼ねて、あえて傍に置いたのだ。そこに甘い思惑などありはしない。
疲弊した民を解放するため、あの人を王座から引きずり下ろすために彼と結託したまでのこと。親の情とか恋情だとか、いつか消えうる一時の衝動に負けるような、弱い人間では王は務まらない。
手に入れるばかりじゃ重すぎるから、使い勝手の悪いモノを代わりに捨てた。たとえ実の親でも。民がいらないなら、私もいらない。
主君は2人も必要ないのだ。
彼が私の腕を控えめに引く。私は無視した。王の眼光もこちらを直視している。視線を逸らすわけにいかない。
お互い、何も期待してはいない。ただ静かに窺っているだけ。
憎しみや愛しさや未練や哀れみといった、一切の手間は省かれた。どれも煩わしい錯覚だ。
私たちは乾ききった心で見つめ合う。それだけで充分。愛など、分不相応だったのだ。
思えば愛が狂わせている。
王妃と騎士の秘密、怪しまれた王妃の不貞、娘を見向きもしない王、あの人を手にかけた私。
獣じみた情動が国をも巻き込み、苦しめた。
私にあの人の血が混ざっているのなら。舞い降りた平和の踏み台を自ら崩してしまうかもしれない。
将来は誰にも分からない。だからこそ無謀になれる。あの人を間近で追っていた私の身に、この戒めは痛いほど刻まれていた。
そうなる前に、失くしておこう。あの人への餞だ。
地獄か天国か。あの人を乗せた船がどこへ運ばれるのか、知ったことではないけれど。
私とはここでお別れ。せめてこの目で、あの人の最期を見届けよう。振り下ろされた刃があの人を断つとともに、私との縁も切れるのだ。
首切り役人の影が動く。
銀の光を弾き、2つの蒼が私を射抜く。結局似ることはなかった、私の。
誰よりも愛しい、おろかなひと。
貴方は死んで、私が生まれる。
気が向いたら親世代のエピソードも書きたいです。はい。