過去録~白雪~ -二-
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私を最初に見つけてくれた雪女――その彼女の名前は初雪様。
雪の国で生まれた、一人目の雪女らしい。
「私は、もう何千年と生きています。生まれたばかりの雪女は、この雪の国のことを何一つわかりません。わかるものは己の名前だけ。わからないこと、この世界のことを教えるのが、私達大人の雪女の務めなのです。ふふっ」
「……では、あなたが私に色々と教えてくれるのですか?」
幼い私は、たどたどしい喋り方で初雪様に尋ねる。初雪様は、優しく微笑んで小さく頷いた。
「えぇ、そうですよ。生まれた雪女のお世話は、代々入れ替わりとなっていますが……今回は、最後に私がお世話をしたいと皆に申し出たのです」
「……??」
その時の私は、初雪様の最後の言葉がわからず首を傾げることしかできなかった。
そんな私を見て初雪様は静かに笑い、私の頭を優しく撫でた。
それが気持ち良くて、私は思わず目を閉じる。
「今はまだ、わからなくてよいのですよ。白雪」
「はい。初雪様」
初雪様はニコリと微笑むと、手を胸の前に合わせて「では、最初に雪の国の掟をお教えしましょう」と、私に言った。
「おきて、ですか?」
「えぇ。いいですか、白雪。これは必ず守ることです。破ってはならないことです。よく覚えておくのですよ?」
「はい」
私は正座を正し、改めて初雪様と向かい合う。
初雪様は、ただただ優しく微笑んでいた。
「まず一つ目は、この国を出ないこと。国というより〝里〟ですけどね、ふふっ。そして二つ目、人間と関わらないことです」
「……にん、げん?」
私が首を傾げながら尋ねると初雪様は「えぇ」と、言いながら小さく頷いた。
その時の初雪様の表情は、優しく温かな笑みではなく真面目な表情をしていた。
「人間は私達と違い、短い命で生きています。ですが、私達みたいな物を見つけると、彼等は容赦なく私達を狙ってきます。中には、それで囚われた雪女もいます」
そう言うと、初雪様は眉を寄せ残念そうな悲しそうな表情になった。
「……その後は、どうなったか不明ですが……人間に捕まるとおそらく自分の命は無くなってしまうでしょう」
「…………」
「怖いですか?」
初雪様の問いかけに、幼い私は黙ったまま頷いた。
そんな私の返事を見ると、初雪様は話を続けた。
「彼等は理由も無しに私達を狙います。……しかし、中には心優しい人間もいます」
「……優しい」
「えぇ。悪もいれば善もいる、ということです」
「…………」
まだ生まれて間もない私は、なにが〝善〟でなにが〝悪〟なのかよくわからないでいた。
それでも初雪様は話を続けた。
「私達の父である冬将軍様は人間に捕まる私達のことを心配し、こういう掟を作りました。掟を破った者は『自らの意思で里から出た』ということ。また、『自らの意思で人間と関わった』ということ。外に出たのなら、二度と戻って来てはいけません。里のことを口外してはいけません」
初雪様は「それがなぜだかわかりますか?」と、私に問いかけてくる。私はその答えがわからず首を横に振ると初雪様は苦笑し、その答えを教えてくれた。
「それは、雪女全員が危険に晒されてしまうからです。里の居場所を誰かに教えてしまったのなら、人間は血眼になって私達を探すでしょう。破った罰は厳しいですが、それがこの里のルールです。.....掟は厳しくても、冬将軍様が私達のことを心配し、愛しているということだけは、どうか忘れないで下さいね」
「はい」
そう返事をすると初雪様は人差し指を口元に当て、悪戯を含んだ笑みを浮かべ、私にコソッと耳打ちする。
「ですが、それを破るのもまた〝掟〟ですよ? ふふふっ。あなたが、この里を本当に出たいと心から望んだ時は、掟のことは気にせず里を出なさい。それが、あなたの選んだ道なのですから」
私は、目を見張りながら驚く。守らなければいけないのに、それを破るのもまた掟と言った彼女に。
彼女は里よりも〝人生〟を押してくれたのだ。
初雪様はウインクしながら、さらに子声で私に言う。
「ふふふ、これは他の者には秘密ですよ?」
「…………」
驚いている私は、段々それが不思議と可笑しく思い、返事をしながらクスクスと笑った。
初雪様も、そんな私につられて笑っていた。
それからの初雪様は、私に色々なことを教えてくれた。
雪女のことや雪女が生まれると同時に現れる蝶のこと。そして、他の妖怪のことや人間の歴史についてなど。
初雪様と過ごす日々は、いつも笑顔で明るくて、毎日がとても楽しかった。
子供みたいに、突然、雪を投げて笑う初雪様。美味しい実がなっているからと、着物の裾を捲り木によじ登る初雪様。つい食べ過ぎて、喉を詰まらせてしまう初雪様。
子供のように笑って、遊んで、幼い私も同じように笑い、初雪様と沢山の日々を過ごしてきた。
それは、私の身体が大きくなっても変わらなかった。
しかし、私が生まれて数十年目の時。突然、初雪様は床に伏せるようになった。
外見は今までと変わらず人間でいう二十歳過ぎの美しい女性なのに、初雪様の体力は日に日に衰え始めていた。
――ある日のこと。
既に話すことさえままならない初雪様は、か細い声で私の名前を呼んだ。
「白雪……」
「はい……初雪様」
「私は……もう、この世に留まる事が出来ません」
「………っ」
私は知っていた。
もう、初雪様が永くないことも。初めて会ったあの言葉の意味も。
『最後に、私がお世話をしたいと皆に申し出たのです』
あの時の初雪様は、そう話していた。
当時はわからなくても、今だから、こんな状態だからこそ私はその時の言葉の意味が理解できた。
「初雪様……そんなっ……そんなこと……仰らないで下さいっ!」
私は泣きそうな声で言った。
気を緩めてしまえば目から涙が溢れるだろう。だが、私はそれをグッと堪えた。
そんな私の頬に冷たい手がソッと触れる。手は確かに冷たいはずなのに、頬から伝わるものは不思議と温かかった。
「私は……初代雪女。当初、この里には私一人でした……。でも、その十年後に仲間が増えた。私は、幸せでした。しかし、私の友だった白菊も、妹のように可愛がっていた名雪も……もう、この世にいません。……白雪」
「はい……」
私は涙を堪えながら返事をする。
「私は……永く生き過ぎたのですよ。異例……というのでしょうか……そして、あなたもまた、私がお世話した雪女の中でも特に変わり者でした……」
その言葉に、私の胸は痛くなる。でも、私は、それが蔑むような言葉で言ったのではないとわかった。
それは、初雪様の表情が、とても優しい顔をしていたからだ。
「暖かいものに興味を持つ雪女を、私は何千と生きてきたけれど……見たことがありません……」
「…………」
私は段々目が下を向く。すると、初雪様がそんな私の頬をツンとつついた。
「でも……私は、それでもいいと思いますよ」
「……初雪様」
初雪様は「ふふっ」と、笑い話を続ける。
「だって、あなたは〝あなた〟なのですから。……雪女の特性を破るのも、また一興です。それに、ね。私も他の雪女達から、よく行動を慎ましなさいと言われたりしたぐらいですよ? .....それこそ、私より後に生まれた年下の雪女の子たちに」
そう言うと、初雪様は私にウインクして微笑んだ。
初雪様は長く喋りすぎたのか、突然、息が荒くなった。
息を吐く度に喉からはヒューと、小さな音が鳴る。私はそんな初雪様を見ていて、とても辛かった。悲しかった。
それでも私は、初雪様の話をずっと聞いていた。
「私は、皆に怒られ……呆れられても……私は私らしく、楽しく生きてきました。……だから、あなたもあなたらしく、真っ直ぐな心で生きなさい。これからの人生を」
私は初雪様の細くなっている手を握る。その手は、簡単に折れてしまいそうなほど細く、雪女なのに手の冷たさに不安を抱いていた。
そんな中、初雪様は話を続けた。
「長い時を生きる中……時には寂しくなるでしょう……でも、貴女には家族がいる」
「家族……」
「えぇ。私という家族……そして……あなたを守護する小さな蝶たち……」
初雪様の言葉に、ついに私は涙を溢す。
「……初雪、様っ……うっ……っ」
涙がとめどなく溢れてくる私を見て、初雪様はもう片方の手で私の涙をすくい「あぁ、白雪……」と、愛おしそうに私の名前を呼んだ。
「私がいなくなっても……あなは私の大切な娘で、大切な妹。それをどうか、忘れないで……」
「っ……うぅっ……は、はい……はいっ……」
私は、床に伏せる初雪様の身体に甘えるようにすがり、そして沢山涙を溢した。
そんな私の頭を初雪様は優しく撫でる。私が泣き止むまで、ずっと、ずっと……。




