掛け軸のお願い-伍-
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「ふむ。それが、例の掛け軸かえ?」
真司は気恥しい気持ちのまま俯いていると、菖蒲が真司の持っている箱を見ながら言った。
「あ、はい、そうです」
真司は菖蒲の前に腰を下ろし、何も無かったかのように接しようと心がけ、菖蒲き掛け軸が入った箱を手渡した。
菖蒲は箱を受け取ると、箱を隅から隅までジックリと見る。箱は菊塵色で、直径40cmの長方形型で見た目の損傷も無く綺麗な状態だった。
「ふむ。印も無し、か」
そう呟くと、菖蒲は箱を床に置き、丁寧な仕草で箱の中の掛け軸を取り出す。真司は慌てて目の前にあった小さな折り畳み式のテーブルを折り込み端に寄せる。
菖蒲は掛け軸をそっと開くと笑みをこぼした。
「ほぅ。これは、また可愛らしい童子やのぉ」
掛け軸が入っていた箱は損傷が無く綺麗な状態だったが、掛け軸本体の損傷は激しかった。
端は破れ、絵は色褪せ変色し剥がれ落ちていた。
そんな掛け軸には、小川で楽しそうに遊んでいる女の子が一人描かれている。すると菖蒲は、その掛け軸の異変に直ぐさま気がついた。
「……しかし、これは足らんな」
「足りない?? どういうことですか?」
「おかしいとは思わんか? ……ほれ」
そう言うと、菖蒲は掛け軸の中の女の子を指さした。
真司は菖蒲が指した場所を見るが、真司には女の子が一人で普通に川遊びをしているようにしか見えなかった。
(足りないって……どういうことだろう?)
真司は腕を組み「うーん」と、唸りながら考え始める。答えを求めるように菖蒲をチラッと見たが、どうやら菖蒲は答えを教えてくれなさそうな顔をしていた。
(自分で考えろってことかな……?)
真司は、また掛け軸を見て「うーん」と唸りながら考える。そこで、真司はこの掛け軸のおかしな点を見つけ、ハッとした。
「あ、わかりました! ここだけ変な水しぶきがあります!」
そう言いながら、真司は女の子の直ぐ隣の水面を指す。菖蒲は真司の答えに満足したのか、微笑みながら深く頷いた。
「うむ。この子の周りの水しぶきはわかる。じゃが、その隣の水しぶきと水面の揺らぎは明らかにおかしい。ということはじゃ、これは、この子のではないということやの」
「つまり、この女の子の他にも何かが描かれていたっていうことですか?」
真司が菖蒲に聞くと、菖蒲はコクリと頷いた。
「正解じゃ。そして、女の子の視線からにして、もう一人は〝人〟では無いの。つまり、動物……ということじゃ」
「えーと、それって、猫か犬っていうことですよね」
「うむ」
菖蒲がまた頷いた途端、掛け軸が突然カタカタと動き始めた。
「うわっ!?」
掛け軸の急な動きに真司は驚く。菖蒲はというと、平然とした様子で動く掛け軸を見ていた。
——その時、掛け軸から例の泣き声が聞こえてきた。
「うっ……ううっ……お願い……お願い、助けて……助けて……」
「菖蒲さん」
泣き声が例のだとわかると、真司は菖蒲を見た。
菖蒲はわかったかのように頷くと、掛け軸に優しく話しかける。
「お前さんだね? ずっと、泣いていたのは」
「……うう、えぐっ」
「お前さんは、何に泣いている?何を願うのだ?」
「私のわんちゃん……私のわんちゃんが消えたの……うぅっ」
「消えたって、どういうことでしょうか?」
(もしかして、死んじゃった……とか?)
〝死〟をイメージして不安な気持ちになった真司だが、どうやら菖蒲の答えは違うらしい。菖蒲は真司を見ると「逃げ出したんやろうねぇ」と、言った。
「逃げ出す?」
「物には、それぞれ生命が宿る。古い物やと特に。この作者はわからんが、どうやらこれは相当古い物やの。して、問題はなんの拍子で抜け出しどこに行ったか……」
真司と菖蒲はお互い「うーん」と、唸りながら顎に手を当てて考える。真司は、この掛け軸の声が聞こえ始めた頃を思い出す。
「確か……声が聞こえたのは、雨の日だったと思います。凄く天気も悪くて雷とも鳴っていました」
「なるほど」
「うぅっ……あのね……あのね……」
「「ん?」」
なにかを言おうとしている掛け軸の女の子に二人は同士に見る。
「大きな音にね、わんちゃん驚いたの……」
真司が話かけた時はただ泣いているだけだったが、菖蒲が同じ妖怪だと知って安心したのか、女の子はその時のことを話し始めた。
それは子供が親に一生懸命説明するように拙い話し方だった。
「ピカッて光ってね、わんちゃんと一緒に驚いたの……わんちゃんね、そのままどこかに行っちゃったの」
「やはり、その雷が原因らしいの」
「でも、どこに逃げたんでしょうか?」
菖蒲はしばし考え込むと「真司。この掛け軸はどこにあった?」と、真司に聞いた。
真司はキョトンとした表情で菖蒲の質問に答える。
「庭にある物置の中ですけど……」
「ふむ。予想やと、きっと、まだそこにおるの。どうやら、そのわんちゃんというのは臆病者らしいからの。そうなると……外に出ず物置の中で隠れてるかもしれん」
「でも、それならどうして早く自分から戻らなかったんですか?」
「戻りたくても戻れなかったんやろうね」
真司は菖蒲の言っている事がわからず首を傾げる。
「雷の音で驚いたと同時に、掛け軸の方も動いたんじゃろう。落ちた拍子に箱が開封し掛け軸も開いた。その隙間から、わんちゃんが逃げ出した」
「…………」
菖蒲は犬が逃げ出す様子をその場で目撃したかのように真司に説明する。真司はそんな菖蒲の言葉に耳を傾けていた。
「この女の子は、雷の怖さとわんちゃんが逃げ出したのに悲しんだ。わんちゃんも、戻ろうにも怖くて中々戻れんかったんやろうて。そこで真司が現れた。お前さんは、落ちてある掛け軸を拾ったのではないかえ?そして、天気の崩れも続いていた」
「はい。暗くてよく見えなかったんで、最初は辺りを探していましたけど……。確かに、2、3日は雨も続きました」
菖蒲は「ふむ」と、呟くと話を続ける。
「掛け軸が落ちてあるのに気づき、お前さんは、掛け軸を広げて見た。そして、正体が掛け軸の中の女の子やとわかると、その掛け軸を再び箱に閉まった。そうやろう?」
「はい、そうです」
「だから、わんちゃんはその後も戻れなかったんじゃよ」
「え?」
「出てきた掛け軸から戻るためには、再びその掛け軸の中へ入らんとあかん。しかし、この掛け軸は真司の手によって箱の中にしまわれた。開いていない掛け軸は、閉じてある限り元の場所には戻れんのじゃよ」
「じゃぁ、元の場所に戻れないのは……僕のせいだったんですか……」
そう言うと真司は落ち込みシュンと項垂れる。菖蒲は、そんな真司に優しく微笑みかけた。
「気にすることはあらへんよ。お前さんは、こうして女の子の悲痛な願いを聞き入れたのやから」
「……はい」
「さて、と」
菖蒲は、掛け軸を丁寧に丸め閉じると、箱にに納めスっと立ち上がる。そして、ニコリと微笑むと「わんちゃん救出作戦に行くぞ、真司!」と、真司に言った。
真司は「そのネーミングセンスどうなんだろう?」と、少し思ったが、元気良く返事をしたのだった。
「はいっ!」