掛け軸のお願い-四-
✿―✿―✿—✿―✿
近所の人にも会わず無事に家の前まで辿り着くと、真司は安堵の息を吐いた。幸い、家の中は今は誰もいない。
真司は菖蒲の方を振り向くと「どうして菖蒲さんが学校にいるんですか?! そもそも、なんで他の人にも姿が見えるんですか?!」と、菖蒲に問い詰めた。
菖蒲は真司の勢いに目を見張るように驚くと、可笑しそうにクスクスと笑い始めた。
「お前さんの学校にいたのは、さっきも言ったとおり待ちきれなかったからじゃ。そして、学校を特定できたのは、お前さんが昨日、その制服を着ていたからじゃ。ここいらで学ランといえば、あの学校か他の周辺の学校しか無いからね。後は、妖怪の情報収集のおかげじゃな」
真司は妖怪の情報網がどれだけのものかわからないが、こうやって特定できた以上は、かなりすごいだろうということだけはわかった。
「そして、他の人間が私の姿を捉えることができるのは、私がそうしているからじゃ。つまり〝化けている〟ということじゃな」
「化ける?」
菖蒲は真司の言葉にコクリと頷く。
「私たち妖怪は人に姿を見せる際、化けて出る。そうやって、昔から人を驚かしているのじゃ。今回、私は化けて学校まで来たんやえ。その方が、お前さんも周りの目を気にせず話せるじゃろう?」
「菖蒲さん……」
真司は菖蒲の優しさに胸が温かくなる。菖蒲はそんな真司を見てフワリと微笑むと、真司の家を見上げた。
「そういえば、真司。家の者はおらぬのかえ?」
「あ、はい。両親は今頃仕事ですから」
「そうか」
菖蒲の言葉に真司少し首を傾げたが、気にせず門扉を開け菖蒲を招き入れる。
「どうぞ」
「うむ。お邪魔するぞ」
真司の家は、学校から歩いて15分ぐらいの一軒家が立ち並ぶ住宅街の中にある。
菖蒲は隣の家や近所の家と真司の家を見比べた。
「それにしても、お前さんの家は立派な洋風じゃの。何とも、可愛らしい。ドールハウスにありそうな家やの」
「まぁ、引っ越してきたばかりでリフォームとかもやりましたから。外観は母の趣味ですが……これには、僕も父も少し恥ずかしいぐらいです……」
真司は門扉の横にある置物を横目で一瞥する。そこには動物や小人の置物が置いてあったり、可愛らしい鉢植えが並んでいた。
今はまだ咲いていないが、春になると花が咲き乱れ、真司の家の周りは今よりもっとファンシーになるだろう。
真司は、ふと、新たな疑問が頭に過ぎる。
(そういえば、今、菖蒲さん、"じゃの"って言ってなかったけ?さっきから言ってる、よね……?)
「ふむ。どおりでお前さんの喋りには訛りが無いわけやね」
「あ、言われてみればそうですね。僕は、元々東京出身なので」
菖蒲にそう言われ、真司は改めて自分の方言について考える。転校してきた初日、季節外れの転校生にクラスの人達は〝東京から来た転校生〟というのに興味津々な様子で真司に話しかけてきた。
なるべく人と関わらないようにしていた真司は、目を合わせないように小さな声で話すと、話しかけてきた学生達は真司にこう言った。
『それ、標準語言うんやんな?』
『うわ……俺、それ聞いたらゾワゾワした!』
『こっちの喋りにせぇへんの?』
真司は学生達に言われ当初は自分も大阪の方言にしないといけないのかな?と、思っていた。だが真司は東京でのことを思い出し、人と関わらないのなら変えても仕方がないと思ったのだ。
なによりも両親も今だに標準語のままで話している。やがて真司は、自分の方言について考えなくなった。
また、それと同時に〝転校生〟というものに熱が冷めた学校達は真司が全然話さないことや関わってこないことに興味をなくし、真司の周りから離れていった。
方言についてもどうでもいいのか、まるで真司の存在が居ないように気にかけてくることも話しかけてくることも無くなったのだ。
それでも、二人の男子生徒だけはしつこく真司に話しかけていた。
その二人も真司の方言については特に気にしていないようだが、真司は避けるようにその二人からいつも逃げていた。
真司は自分のことよりも、菖蒲のことについてまた考える。
(菖蒲さんは、大阪の方言というより何だかお年寄りっぽい話し方だなぁ。かと思えば、京都なのかな?まるで、舞妓さんみたいな喋り方もするし……う~ん……謎な人だ)
意外と失礼なことを思っている真司とは裏腹に、菖蒲は納得したかのように頷いていた。
「ふむふむ。して、掛け軸はどこぞ?」
「あ、そうでしたね。今、持ってきますので、僕の部屋で待っていてください。部屋を案内します」
「あい、わかった」
真司は鍵を鍵穴に差し込み、菖蒲を家の中に入れと靴を脱ぎ、二階に続く階段を上った。
階段を上った突き当たりのところに真司の部屋はある。真司は部屋のドアを開け「座布団とか無いですけど、好きなところで寛いでいてください」と、菖蒲に言うと階段を降りた。
真司は階段を降りるとリビング行き、そこからベランダに出て庭に出る。庭には真司の母が趣味で植えている花々と園芸野菜などがあった。
そして、庭の隅には少し大きい物置き入れがあった。
真司は物置の扉を開く。中には、両親が大事にしている物や父親の釣り道具、菖蒲の店で見たような壺や古い割れ物、着物などがある。どこから集めてきたのかと、真司でも思うぐらいだった。
真司は奥の棚にある箱に入っている掛け軸を見つけると、それを手にして自分の部屋へと向かった。
「お待たせしました……って、何をしているんですかっ?!」
部屋のドアを開けると目の前の光景に驚き、真司は手にした掛け軸を思わず落としそうになる。真司が目にしたもの――それは、菖蒲が真司のベッドの下を犬が伏せをしているような格好で覗き込んでいる姿だった。
菖蒲はというと、覗く姿勢のまま真司を何気ない顔で真司を見ていた。
「む?見ての通りやの」
「はい?! えっ?!」
「うむ、最近の若者は、ベッドの下にイヤラシイ物を隠しておると、お雪から聞いてのぉ。折角やし、確かめようと思って」
菖蒲の言葉に頭痛がしてきたのか、真司は眼鏡を上げ眉間を軽く揉むと溜め息を吐いた。
「菖蒲さん……。普通は、そんな所にありませんよ……」
「なんじゃ、そうなのかえ?つまらんのぉ~」
「そっ、そもそも、そんな物僕の家にはありません!」
「な、なんとっ?!」
「その……そういうのは、少し……もごもご……」
真司は目線を菖蒲から逸らし頬を掻く。耳が少しだけ赤く染まっているのを見ると、どうやら恥ずかしいらしい。
そんな真司の姿を見て、菖蒲は体を起こし着物の袖を口元に当てクスクスと笑った。
「おやまぁ。ふふふ、お前さんは初心やの」
「…………」
更に恥ずかしくなり俯く真司は、菖蒲に言い返せなかった。
何せ、菖蒲が言う『初心』という言葉は正論を言っているのだから。
(まったくのその通りです……うぅ……)