冬の訪れと雪女-四-
欠伸をしたときに出た涙を指で拭うと、ヒラリと真司の目の前を何かが通り過ぎる。通り過ぎたと思ったら、それはまた戻って来て菖蒲と真司の周りを飛んでいた。
「え……? 蝶?? いつの間に……」
そう。真司の目の前には、真っ白な蝶が一頭飛んでいたのだ。
真司はポカンとしながら、その真っ白な蝶を見る。その蝶は前身が雪のように白かった。
お茶を飲んでいた菖蒲は、湯呑みをテーブルに置くと右手を宙に翳した。
すると、ヒラヒラと飛んでいた蝶が菖蒲の指に静かに舞い降りた。
真司は物珍しそうに、菖蒲の指に止まった蝶をジッと見る。
「この季節に蝶って変ですね。それに真っ白ですし……初めて見る蝶です。凄く綺麗ですねぇ」
「ふふっ。驚くのはまだ早いぞ? ほれ、真司や、少しこの蝶に触れてみい」
「え? ……はい」
真司は恐る恐る菖蒲の指に止まっている蝶に触れる。その瞬間、冷たい冷気が指先から伝わり、真司は思わず蝶から手を離してしまった。
「うわっ!? 冷たっ!! な、なんですか、この蝶?!」
「白雪お姉ちゃん!」
楽しそうに絵を描いていたお雪が、飛び出しそうな勢いで体を起こしながら言った。その言葉に、真司は口を開け目を見開きながら驚いた。
「……え? 白雪お姉ちゃん? ま、ままままさか……これが……この蝶が、白雪、さん?!」
(雪女って、蝶にも変化できるんだ! すごい!)
そう思った瞬間、居間の入口でクスクスと笑う声が聞こえてきた。
「うふふっ。面白い御方ね」
「へ?」
蝶は、ふっと菖蒲の指から離れ、真司と菖蒲の間を通り過ぎると優しいく綺麗な声音のする方へと飛んでいった。
「…………」
真司は蝶を目で追っていると、真司の目はもう蝶ではなく入口で立っている女性へと目線が変わっていた。
菖蒲とは違う美しい女性に、真司は見惚れていた。
銀色に真っ直ぐ伸びた髪をハーフアップにし、雪の結晶をモチーフにした簪で髪は留められている。真っ直ぐ切られた前髪からは、紺瑠璃色の優しい瞳が覗いていた。
着物は白く、しかし、袖や足元は淡い蒼色で、そこだけ雪の結晶が散らばっていた。
帯は渋い赤色で、先程まで飛んでいた真っ白な蝶が刺繍されている。文庫結びをしてサイドに垂れる長い帯は、まるで蝶の後翅みたいだった。
歳は20歳ぐらいだろうか? 少しだけ、お雪にも似ているような気がした。
お雪が『お姉ちゃん』と呼ぶのも無理はない、と内心真司は思っていた。
「白雪お姉ちゃーん!!」
白雪に向かって突進するお雪を、両手を広げ優しく受け止める。
「雪芽、久しぶり」
我が子を迎えに来たかのように、優しい声音で白雪はお雪を抱きしめた。
「えへへ~」
「うふふっ」
そして、二人は笑いあった。
その姿は、まるで、本当の姉妹や親子みたいに見えた。
「白雪や。久しいの」
「はい、菖蒲様。お久しぶりでございます」
白雪はその場で正座をし、菖蒲に向かって深々と頭を下げる。
(……え? 今、菖蒲"様"って言った?)
真司は菖蒲の名前を呼び方に首を傾げて、談話する二人を見る。
そして、ふと、商店街の妖怪達のことを考えた。
(そういえば、他の妖怪達も、菖蒲さんの事を菖蒲様って言ってたっけ……? いつも、目上の人みたいに接してたし……菖蒲さんの正体って何なのだろう?)
ぼんやり思っていると白雪に「あなたが真司様ですね?」と、言われ真司はハッと我に返った。
「え?! あ、はい! 宮前真司です! よ、宜しくお願いします」
(あれ? 今、僕にも様って言った?)
「真司様。雪芽が、いつもお世話になっております」
そう言うと、白雪は真司にも頭を下げた。
そんな白雪を見て、真司は慌てて手を振る。
「いえいえっ! あの、そんなに畏まらなくて大丈夫です! それに、様付けも大丈夫なので、普通に呼んでください! むしろ、そっちの方が嬉しいというか……」
「………ふふふっ」
真司は、なぜ白雪が笑ったのかわからなくて首を傾げる。傍で見ていた菖蒲も、同じように袖を口元に当て静かに笑っていた。
白雪は笑っていたことに気づき、慌てて口元に手を当て真司に謝る。
「あ、失礼しました。菖蒲様から聞いた通りのお方だな……と、少々思いましたのでつい」
「え? 菖蒲さんから?」
真司は菖蒲を見る。菖蒲は目を細めながら「うむ。それはな……」と、言う。
「それは?」
「それはー? なにー??」
黙ったまま白雪の傍にいたお雪も真司の後に続く。すると、菖蒲は人差し指を口元に当てると「秘密じゃ♪」と、笑みを浮かべながら言った。
その瞬間、ガクッと項垂れる真司を見て、今度はお雪も笑った。
「面白いねぇ~♪」
「ふふふっ」
(僕は全然面白くないんだけど……)
不貞腐れたような顔をし、内心モヤモヤする真司だった。