ファランクスとパイク兵
サリッサを用いるマケドニア式ファランクスとスイス傭兵やランツクネヒトに代表されるパイク兵。
この二つは軍事史に於いて連綿と進化し続けてきた歩兵の中で良く似通った存在として知られています。確かに両者には数メートルの長槍を用い、堅固な方陣を築き、破壊的な突撃力を見せたという共通点があり、教科書的には中世の暗黒時代に失われたファランクスがルネサンスの中で再び復活したと言われています。
ところが、実際にはマケドニア式ファランクスとパイク兵はその進化の過程が大きく違うのです。
先ずマケドニア式ファランクスについてです。マケドニア式ファランクスがギリシア都市国家で用いられてきた古典型ファランクスから派生したものというのは衆知の事と思います。
この古典的ファランクスは非常に攻撃的な陣形でした。重装歩兵のみで編成され、平原で敵軍を打ち破る唯それだけの為に生み出された陣形だったからです。しかし、戦争が歩兵同士のぶつかり合いから諸兵科連合軍の戦いへと発展していくにつれファランクスを構成する重装歩兵により防御力を付加しようという動きが出て来ました。
その結果、イフィクラテスやマケドニア王フィリッポスによって重装歩兵達には長大な槍が与えられました。数メートルの長槍を装備することで距離という鎧を身につけさせたのです。
つまり、マケドニア式ファランクスは”突撃する密集歩兵陣形に距離の防壁を付け加えた”存在だったのです。
一方のパイク兵ですが、こちらは元々中世ヨーロッパを席巻した騎士による突撃に対処する為に生まれた存在でした。巨大な馬に乗り猛烈な勢いで突っ込んでくる重装騎兵を防ぐための馬防柵としての機能がパイク兵に求められた役割でした。特に士気も低く弱体な歩兵が騎士に対抗するにはクロスボウを除けば、これぐらいしか方法が無かったのです。
しかし、時代が下るにつれて歩兵の構成者の中に、徴収された農民だけでなく、次第に都市や共同体からの志願兵が含まれるようになっていきました。彼らは非常に士気が高く、軍団同士の正面突撃にも耐えるだけの意思が有りました。その時、パイク兵は単なる柵から攻撃機能を持つ突撃戦力へと進化したのでした。
つまり、(後期の)パイク兵は”歩兵による防御陣形でありながら突撃が可能になった”存在だったのです。
両者は一見すると同じ外見ですが、それは復活ではなく収斂進化の結果としてほぼ同一となったものなのです。