或る昼下がりの邂逅
玄関のチャイムが連続して鳴る音で俺は目覚めた。テーブルの上の電波時計を見ると、午後二時十七分。
夜の三時にこのアパートに帰ってきてからの記憶があまり無い。どうやら、そのまま疲れて眠り込んでしまったようだ。
途中で一度起きたような記憶があるが、夢だったかもしれない。
半日近く寝ているはずなのに頭はスッキリせず、空腹感もしっかりある。ぼんやりとした意識に、重い体。
チャイムの高音がこの上なく耳障りだった事は今までに無い。…まあ、今までこの家のチャイムが鳴った事自体が殆ど無いのだが。
「はい…。今行きます…!」
こんな時間に誰だろうか。アマゾンは使った事がないし、宅配便を送ってくるような知り合いも居ない。もしかしたら何か頼んで忘れているのか?
勢いをつけて一気に起き上がり、二メートルほどの距離をよろよろと歩いてドアを開ける。
ドアチェーンのガチャッという音でまた少し意識が覚醒に近づく。
「……どちら様ですか…?」
佐川急便の爽やかな制服を想定していた俺は、予想が外れて思考が停止しかけた。
濃紺のスーツを着た若い女が立っている。なんとも微妙な表情で。
「あの…、佐藤和也さんですか?アガレスコーポレーションの人に指示されて来たんですが…」
「……ああ、新しい『アルファ』の人?」
俺がそう言うと、女の微妙な表情が一層深まった。
どうやら、あまり何も聞かされていないらしい。どういうルートで引っ張ってきた人材なのか、少し気になった。
「え?あの…私はこの封筒を渡すようにと言われて…」
おずおずと女が差し出した茶封筒を受け取る。中身は大体予測が付いていた。
「封筒渡す以外には何か指示されました?」
「いえ…。あ、でも『後の事は封筒を受け取った人に聞け』って…」
「俺に?」
不審に思いつつ封筒を開け、中に入っていた資料の束を取り出す。
一応ドアの陰に引っ込み、女に覗き見られる危険性を無くす事も忘れない。
資料の一枚目に目を落とすと、クリップでメモが挟んであった。
崩し字だが読みにくい訳でなく、流れるような筆跡だ。
「この封筒を届けた女は新しい『アルファ』
詳細な説明は不要 資料のファーストフェイズだけを指示し終了後は帰宅させろ」
(………面倒だな)
ドアの外を覗くと、女はチェーンの向こうで居心地悪そうにしている。
本当にこんな奴に俺の「アルファ」が務まるのだろうか。
「…封筒の中にあなたへの指示が書いてあった。取り敢えずここじゃ何だから上がって」
「あ、はい」
ドアを完全に開け、女を招き入れる。そういえば、この部屋に人を入れるのはこれが初めてだ。
「どっか座って。ちょっと説明しなきゃならない事があるから」
「はい」
テーブルの横の電気ポットから急須に湯を注いで女に茶を出した所で、茶葉が出涸らしに近かった事を思い出した。
女の反応を恐る恐る窺うが、緊張しているのか緑茶の風味の無さに気付いた素振りは無い。
気付かれる前に本題に入ることにした。
「それで、まず聞きたいんだけど、アガレスコーポレーションにはどういう経緯で入ったの?」
「あ…、就職活動で不採用続きだった時に親戚が話を持ってきてくれて、面接受けたら二日後には採用になったんです…。今日が初出勤で」
「職務内容とか、勤務時間とかは?」
そう尋ねると、女は少し困ったような顔をした。
「それが…、勤務時間や内容は話を持ってきた親戚からちょっと聞いただけで…。正直、
正社員になれたら何処でも良かったので。親戚は『冠婚葬祭関係』って言ってたんですけど」
「…ああ…そう」
そこまで聞いて、俺は「この女は騙されている」と確信した。
普通に就職活動を続けていればもっとまともな所に行けたかも知れないのに、よりにもよって。
(こんなブラック以上のブラック機関に放り込まれるなんてな)