第11話: 神域の中心
室内は、外よりも静かだった。
いや――静かすぎた。
森の奥だというのに、虫の羽音も、葉擦れの音も聞こえない。
精霊の気配だけが、濃密に漂っている。
「……落ち着く家ですね」
レオがそう言うと、美和はぱっと顔を明るくした。
「そうなんです! 最初は怖かったんですけど、今は全然で。夜も静かですし」
(静か、だと?)
レオは眉を寄せる。
静かなのではない。
“鎮められている”のだ。
この一帯そのものが。
まるで、何かを中心にして。
美和が湯気の立つ木の器を差し出す。
「どうぞ」
受け取った瞬間、レオは思わず目を見開く。
「これは......蓮茶.....」
(......この香り)
そして、ゆっくり口に含み、喉を鳴らすレオ
(この味....間違いない)
「え!?蓮?......ごめんなさい、何の茶かは分からないんです。でも蓮茶って言うんですね」
「これは......貴女が?」
「あ、このお茶は精霊達がお裾分けしてくれて......美味しく、無かったですか?」
その言葉にレオは確信する。
蓮茶で間違いない。
レオの沈黙に、美和の胸がひやりとする。
その表情を、そっと窺った。
無意識に寄るレオの眉間の皺
だが、その表情に美和の顔色が悪くなる
「私.....結構好きな味だから.....良いかなって思ったんですけど....」
そして、シュンと落ち込む美和
その瞬間、窓の外に暗雲が立ち込める。
それはまるで、彼女の表情に合わせるように揺れた。
「え.....?あんなにお天気良かったのに.....」
まずい、とレオは思った。
これ以上、彼女を落ち込ませるわけにはいかない。
「す、すまない!お茶が美味くて放心してたんだ」
「え!?そうだったんですね......嬉しぃ....」
語尾をポソッと呟き笑った瞬間をレオは見逃さなかった。
同時に窓の外の霧が晴れるように空気が変わる。
「......やっぱり......」
ビッツが窓の外と美和を交互に見つめ聞こえない声で呟く。
精霊が、常に美和に反応してる?
これは.....異常だ。
異常どころではない。この女性の采配ひとつで世界が変わる。
そう思った、その時。
美和が突然立ち上がる
「そう言えば!美味しい野いちごがあったんだった!」
そう言って美和は振り返り笑う。
「ちょっと待ってて下さい!すぐそこに美味しい
そうな野いちごが実ってたんです!」
イソイソと出て行こうとする美和を引止めたのは勿論レオとビッツだった。
「ちょっと待ってくれ!」
「どこ行くっての?」
美和に何かあったらと思うと居ても経ってもいられなかった。
「大丈夫ですよ?すぐそこだから!レオさん達と出会った脇に.....」
それは禁足地外ではないのか!?
1人で禁足地外に?
必死で止めに入るレオとビッツだったが
「俺たちはこのお茶だけで充分だ!そうだよな?ビッツ?」
「え?は、はい!このお茶!すっげ〜美味いから!俺、おかわりしようかな!?」
「バカ!この茶を.....」
このお茶の価値を知らないビッツがキョトンと見つめてくる
レオは唇を開け閉めし、くっと押黙る
俺の記憶が正しければ、この目の前の茶はただのお茶では無い
1杯が金貨1枚以上の価値がある茶だと推測するレオ
禁足地の奥深くでしか咲かない蓮
その蓮で作られる蓮茶
間違いない
1度だけ飲んだ事がある蓮茶
「大丈夫ですよ?いっぱいあるから何杯でもおかわりしてくださいね!」
「なん、杯........」
嬉しそうにお茶を入れ始める美和は気づかない
レオがオロオロと狼狽える様子を
「あ、零しちゃった.....」
そしてあろう事か、手を滑らせ大量に漏らしてしまう始末
「は、蓮茶が.....」
「また入れ直しますね!」
「も、ももも.....そこら辺で大丈夫」
「え?大丈夫ですよ〜」
「そうですよ!レオさん、さっきから変ですよ」
きっと俺は今、もの凄くおかしな奴認定されてるかもしれない
だけど、この蓮茶はただのお茶では無く、冒険者だったら喉から手が出るくらい欲しいモノだ。
それをサバザバと惜しげも無く
レオは倒れそうになる足を踏ん張り、滅多に笑わない表情筋を持ち上げる
蓮茶......別名、フルポーション。欠損以外は全快し、毒・麻痺も同時解除する優れもの。なお、国家管理レベルの代物で滅多にお目にかかれないと言っておく
これは王都へ一度帰り、ゆっくり考えたい。
いや、よく考えろレオ。ゆっくり考える時間などない!
そのフルポーションをビッツは何の抵抗もなくガブガブとあんなに何杯も.....
そもそも俺だけで考えて良いことだろうか?
フルポーションだぞ!しかもこの質!.........。
「では、それで.....お願いしてもいいですか?」
レオはグルグル回る思考の中、美和の話を聞き逃してた
「それが良いですよ!レオさんもそう思いますよね?」
レオは金色の瞳をパチパチと瞬かせ、ゆっくり頷く
「あ、あぁ、それでいいと思う」
半分も聞いてないなど今更言えないレオだった
「やったぁ!ハルく〜ん!もう少ししたら犬のお兄さん達が連れて行ってくれるからね?」
「えっ……?」
連れて行ってくれる?どこに?
「....い、犬.....」
犬で間違いはない
間違いではないが......
と、考える前に文字通りの言葉だろう
「じゃぁ、俺たちは1度王都に戻りますね!」
「あ!ちょっと待ってください!これ!良かったら持って行ってください!」
そう言って持たされたのは先程飲んだばかりの蓮茶だった
勿論、フルポーションの存在をまだ知らない
いや、まだ体験したことが無いビッツは呑気に受け取る
「わぁ、ありがとうございます」
レオは呆然としながら紙袋に大量に入れられた蓮茶を見つめる
後にこの蓮茶が危機的状況を救う
事があるかもしれない
それはまだ分からない未来の話し
美和に見送られレオとビッツはログハウスを後にする
「レオさん大丈夫ですか?なんかずっと放心してません?
それにしても驚きましたね!精霊があんなにいっぱい!俺、正直ビビりました!」
ビッツの声が興奮からか震える。
レオも言葉を失った。それは間違いない。
「うわぁ、まだ手ぇ振ってる....」
ビッツは赤ん坊が苦手で、上手く隠しながら距離を取ってた。今も無邪気な遥斗を見ながら耳を垂直に立てるのをレオは見逃さない。
あの空間で、妙な真似をしたら大変な状況になってたかもしれない
だからそれはビッツの英断だとレオは思った。
そして現在、未だに精霊達が俺たちを監視してるのも事実
赤の精霊。
青の精霊。
黄の精霊。
フワフワと漂いながらくるくると舞い、禁足地の入口が近くなるまでその数は減る事は無かった
そして――
褒美だと言わんばかりに突然
足が、軽く
疲労が抜け
呼吸が深くなる。
まるで――
何かに“許された”ように。
「い、今の……精霊……?」
レオは即座に答える。
「……あぁ。おそらく」
自分でも、確信はない。
だが他に説明がつかない。
ここは精霊の神域。
なんでも有りの精霊達の戯れとはとてもじゃないが言えなかった。
守られているのは――おそらく彼女だ。
そう、思った。
一方で。
ビッツが考えるのは小さな赤ん坊の事だった
視線は、まっすぐ揺るぎない。
遥斗。
小さな指が、まだ宙を掴む形のまま止まっているのを見た。
黒い瞳が、きらきらと光っていた。
精霊は。
美和の周囲ではなく。
ほんの少し、低い位置で舞っているのも見た。
(……偶然、だよな?)
ただの赤ん坊だよな?
赤ん坊に何かができるわけがない。
でも。
タイミングが、あまりに。
遥斗が、くしゃりと笑うと精霊が、嬉しそうに震えたように見えた。
ビッツの背筋に、冷たいものが走る。
「……レオさん」
「何だ」
「いや……なんでもないっす」
言葉が続かない。
違和感。
だが、確証はない。
レオは既に結論に辿り着いている。
精霊の愛しき子は、美和だ。
そう解釈するのが、自然。
自然――なはずだ。
もう一度振り返ると、ニコニコ笑う遥斗の姿
どう見てもただの赤ん坊
苦手なあまり見過ぎて、そう思っただけ
ビッツは視線を逸らす。
(……気のせいだ)
そう思おうとした。
だが。
胸の奥に、何かが引っかかったまま、消えなかった。




