⑦真一が見つけた物
「……お父さん……」
奈緒が苦しそうに、寝言を呟いた。
瞼からは一筋の涙が零れ落ちる。
「……お父……さん……」
奈緒の寝言で、真一が目を覚ました。
暗闇の中、辺りを確認する真一。
今は何時だろう?
真一は、側に置いていた懐中電灯を点けようとした。
しかし、眠っている奈緒を起こしてはいけない。
真一は、懐中電灯の前に座布団を置いて、光が広がらないよう工夫した。
小さく漏れた光で、時計を確認する真一。
目にした時刻は、五時半。
もう早朝だ。
真一は疲れた顔で、壁にもたれた。
チラリと奈緒を見る。
部屋の奥に、奈緒らしき黒い固まりがあった。
微かに、寝息も聴こえた。
真一は正面に、顔を向けた。
目の前には、二人が入ってきたドア。
土砂の重みで、折れ曲がったままだ。
弱い光の中、真一はドアの辺りを、ぼんやりと見つめた。
おや? と真一は思った。
ドアの隙間から、金色に光るものが見えるのだ。
真一は、そっと近づいた。
それは何かの留め具だった。
少し土を掻き分けると、紫のエナメル生地の一部が見えた。
あっ……。
真一は、声が出そうになった。
それは、奈緒が肩に掛けていた、ショルダーバッグだった。
真一が奈緒に目を向ける。
よし、彼女が起きた時に渡そう。
きっと喜ぶだろう。
そう考えた真一は、ドアの隙間からバッグを抜き取ろうとした。
一気に引っこ抜いては、土が崩れてくるかも知れない。
真一は慎重に、土を掻き分けた。
数分後、奈緒のバッグを取り出す事に成功した。
しかし、喜びは束の間だった。
真一は違和感を感じた。
バッグから黒くて固い、細長い物が、数センチ突き出ていた。
なにやら胸騒ぎがする。
不吉な予感を抱きながら、半開きになっているバッグを広げてみる。
——それは、包丁だった。
真一の表情が、瞬時に強張った。
恐る恐る、包丁を手に持ってみる。
ゆうに刃渡、二十センチ以上はある肉切り包丁。
切れ味も鋭そうだ。
重厚で冷たい刃の光沢が、真一に無言の威圧感を与えてくる。
よく見ると、傷や汚れが全くない。
どうやら買ったばかりの新品のようだ。
なぜ、こんな物をバッグに入れているのだろう?
およそ、若い女性が持ち歩く物ではない。
見つかれば、銃刀法違反にもなり兼ねない。
真一が緊張した面持ちで、あれこれ考えていると、傾けたバッグから何かが落ちた。
その際に音がしたが、奈緒に起きる気配はなかった。
真一は、そっと落下物を拾った。
真っ黒に汚れた、銅製の物体だった。
L字の形をしたそれは、そのままLの形にして置くと、縦に三十センチ、横に二十センチ程だ。
何かの部品だろうか?
真一には結局、それが何か分からなかった。
だが、しかし。
やはり問題は包丁だ。
真一は、再び部屋の奥で眠る奈緒を見た。
奈緒がまた、小さく唸った。
「うう……ん……」
寝苦しそうに、奈緒の右手が畳の上を這う。
——そして、その手が何かを掴む。
それは『合格祈願』とプリントされた、丸くて平らな、木製キーホルダーだった。
五百円玉を、少し大きくしたくらいのサイズだ。
奈緒は、そのキーホルダーを持ち上げると、興味津々で見つめた。
「どうした、奈緒? 何を見てるんだ?」
奈緒の父、和夫の声がした。
それは、穏やかな冬の午後。
奈緒と和夫が、公園を散歩している時だった。
奈緒が、キーホルダーを拾ったのだ。
「お父さん、こんな物があったよ」
奈緒は、落ちていたキーホルダーを、和夫に差し出した。
受け取った和夫が、目を細める。
「……合格祈願? 受験生の子が、忘れて行ったのかな?」
裏には『けんた君』の名前入りだ。
観光地の土産屋などによくある、◯◯君、◯◯ちゃんといった、比較的多い名前がプリントされたキーホルダー。
そういった類の商品だ。
「けんた君が、忘れていったんだよ」と奈緒。
「ははは、そうだな」
その時、人影が二人に近づいた。
奈緒と和夫が、その人物に顔を向ける。
そこには、小柄で眼鏡をかけた少年がいた。
高校生くらいだ。
左頬には大きなホクロがあり、奈緒はそれが気になった。
「すいません……それ、僕のです」
少年が、和夫の持つキーホルダーを指差した。
「おっと、持ち主ですか。これは失礼」
和夫がキーホルダーを、少年に手渡した。
「どうも……」と、小さく頭を下げる少年。
「……大学受験ですか?」と、和夫が訊く。
話しかけられるとは思っていなかった少年は、少し戸惑った顔をした。
「あ……はい」
「それ、買ったんですか? 御利益があると良いですね」
和夫は、優しく微笑んだ。
その笑みを見て、少年は緊張の糸を緩めた。
「いや……実は、どうしても行きたかった大学に落ちちゃって……浪人決定です。このキーホルダー、母親が買ってくれたんですけど、御利益なかったみたいですね。でも、せっかくなので持ってるんです」
「ほう、そうでしたか。次は受かると良いですね。頑張って下さい」
「……どうも、ありがとうございます」
少年は照れ臭そうに会釈をすると、行ってしまった。
少年の背中を見送ると、和夫は奈緒の肩に手を置いた。
「落とし物も、無事に持ち主に戻った事だし、そろそろ帰ろうか」
「うん」
白石家が火事になったのはに、その日の夜だった。
——火事から、三日後。
奈緒は病院にいた。
二度にわたり、刑事が訪ねて来たが、医師は追い返した。
まだ奈緒に話を聞くのは、早いと判断したのだ。
なぜなら、奈緒の精神的ショックは相当なもので、あろう事か声が出なくなってしまったのだ。
そして、二日が経った。
その間も、刑事は何度も訪ねて来た。
痺れを切らした刑事が強く出ると、医師は少しの時間だけ、という条件付きで面会を認めた。
刑事は二人いた。
年配の刑事と、若い刑事、共に男性だ。
二人は笑顔を作り、なるべく優しく奈緒に接した。
機嫌を取るためのケーキも、用意していた。
夜は寝れる? ご飯は食べてる? などの話をした後、本題に入った。
刑事の話は、こうだ。
今回の火事は、放火だという事。
何者かが隣の空き家に、火を放ったのだ。
その後、急に北風が強まり、白石家にも火が移ったしまったという事だ。
「……それでね、奈緒ちゃん。犯人も慌てていたらしくて、物を落として行ったんだよ。えっと……この二つなんだけど、何か思いす事はないかな?」
そう言って、年配の刑事はポケットから、証拠品入れの透明な袋を二つ取り出した。
何かガラスのような破片と、キーホルダーが、それぞれの袋に入っていた。
ベッドの上で、手渡された物を確認する奈緒。
すると奈緒は、大きく目を開いた。
キーホルダーに、見覚えがあったからだ。
真っ黒に焦げているが、その大きさと形。
公園で出会った高校生の物だ。
その袋を持つ奈緒の手が、汗ばんでいく。
「それ気になるの? それはね、合格祈願のキーホルダーなんだ。でも、全国で流通している物だからね。これだけで犯人を見つけるのは難しいんだよ。まあ、受験をひかえた若い人物だとは想像するけどね」
年配の刑事は、少しだけ苦笑いをした。
真顔に戻ると話を続けた。
「あとね。犯人は、おそらく眼鏡をしているね。このガラスの破片みたいな物は、割れた眼鏡の一部なんだ。もしかしたら、犯人は転んだのかもしれないね。さて、どうだい、奈緒ちゃん。誰か思い当たる人はいるかい?」
——けんた!
奈緒は叫んだ。
絶叫した。
しかし、奈緒は声を出せない。
代わりに、ヒューヒューと息が漏れるだけだった。
つづく……




