13.その後の二人
——年が明けた二○○○年、一月。
その日は、雪が降りそうなほど、厳しい寒さだった。
喫茶店で、ホットコーヒーをすする真一。
そこへ近寄ってくる、一人の女性。
「荻野真一センセー!」
少し鼻にかかった声。
懐かしさを感じながら、真一は振り向いた。
だが、そこにいたのは、見知らぬ女性だった。
誰だろう?
一瞬そう思ったが、よく見れば、それは奈緒だった。
「あっ……奈緒さん?」
すぐに奈緒だと認識出来なかったのは、彼女の容姿が、ガラリと変わっていたからだ。
派手な色をしていた髪は黒くなり、奇抜な服やメイクも落ち着いたものになっていた。
真一は、ポカンと口を開け、奈緒を見つめた。
やはり美人だ、と改めて思った。
「遅れて、ごめんねー。さっき、ナンパされちゃってさー。超ウザかった。てかさ、今日マジ寒くね?」
喋り方は変わっていないようだ。
真一は、妙な安心感を得た。
「髪、黒くしたんですね。似合ってますよ」
真一の言葉に、奈緒は少し照れた顔をした。
「もう二十歳になったからね。ちょっと落ち着こうと思って」
——あの日、包丁を振り回した真一は、駆けつけた作業員達に取り押さえられた。
警察署での取り調べ中、真一は奈緒の名前を決して出さなかった。
最後まで、奈緒を庇うつもりだったのだ。
だが次の日、奈緒が警察に出頭する。
真一を刺してしまった事、岡賢太に家を燃やされ父を亡くした事、その復讐を遂げたかった事、全てを洗いざらい話したのだ。
事態は、一変した。
真一は釈放され、代わりに殺人未遂として、奈緒が捕まった。
やがて岡賢太のもとに、捜査が及んだ。
当初、岡賢太は否認を続けた。
だが、動かぬ証拠を突き付けられ、犯行を認めざるを得なくなった。
その証拠とは、家宅捜査の際、岡賢太の部屋から見つかった壊れた眼鏡だ。
これが、現場にあった眼鏡レンズの破片と一致した。
岡賢太としては、万が一にも見つかってはいけないと考え、捨てられなかったのだ。
奈緒の殺人未遂については、早めに裁判が行われた。
評議の結果、まだ奈緒が未成年であった事、被害者である真一が訴えない事、また父親を殺された心情を汲んで、執行猶予付きの判決となった。
その後、奈緒は真一のいる△△県で、古着屋のアルバイトを始めた。
真一の方は、教員を続けている。
住居はアパートへと変わった。
両親と一緒に、移り住んだのだ。
やがて年が明けると、奈緒から連絡があった。
そして二人は、今日、久しぶりの再会を果たす事になったのだ。
待ち合わせは、映画館の近くにある喫茶店だった。
「それにしても、まさか映画を見に行こうだなんて、奈緒さんから誘ってくれるとは、思いませんでしたよ」
真一の言葉に、奈緒は耳をポリポリと掻いた。
「てか、閉じ込められてた時、センセーが映画に行こうって言ったんじゃん」
真一は思い出した。
「ああ……言いました、言いました。ここから出られたら、映画を見に行きましょうって、確かに」
「でしょ?」
ふと奈緒の視線は、真一の腹部に向けられた。
「センセー、お腹はもう大丈夫なの?」
「お腹? ああ……、ちょっと傷跡が残ってますけど、もう何ともないですよ」
真一が服を捲り上げて、見せようとした。
「いいよ、見せなくて。こんなところで!」
苦笑いを浮かべる奈緒。
二人の間に数秒間、沈黙が流れる。
「……ごめんね……あの時、痛かったでしょ?」
奈緒は、申し訳なさそうに言った。
「さすがに、痛かったですね。でも刺される瞬間、両手で包丁を掴んでいたから、そこまで深く刺さらなかったですよ。それよりも……」
真一は間を置いて、唇を舐めた。
「……まさか次の日、奈緒さんが警察署に来て、全てを打ち明けるとは思いませんでしたよ」
「まあ……何だろーね……心境の変化ってやつ? とにかく悪いのは私だからね」
奈緒は、気まずそうな笑みを作って、目を伏せた。
しばらくして、奈緒は小声で言った。
「私を止めてくれて……庇ってくれて……」
(……ありがとう)
最後の、ありがとうは、唇だけが動いた。
「え? 何か言いました?」と、真一。
「ん……別に」
奈緒はメニュー表を広げ、顔を隠した。
三十分後、映画館の席に着く二人。
奈緒は、真一が持っていたポップコーンに手を伸ばすと、一握り掴んでムシャムシャと食べ出した。
「あ、それ僕の……」
「ちょっとくらい良いじゃん、ケチくさいなー」
奈緒の相変わらずの態度に、真一は、やれやれといった顔で笑った。
映画は、家族愛をテーマにしたヒューマンドラマだった。
二時間後、終盤を迎える。
夕陽の中、父と娘が手を繋いで歩くラストシーンがあった。
小さな女の子は、嬉しそうな顔で父親を見上げている。
グスッ……。
鼻をすする音がした。
奈緒が泣いているのだ。
真一は、奈緒の横顔を見つめた。
スクリーンの光に照らされた奈緒の横顔は、とても美しかった。
しかし、その美しさの内側に、今にも崩れてしまいそうな、もろさ、儚さを感じた。
これからも奈緒は、心に大きな傷、深い悲しみを抱えて生きていくのだろう。
そんな奈緒の横顔を見つめながら、真一は思った。
彼女を、守ってあげたい。
不幸な道に進まないように——
おわり




