王侯貴族宮廷作法・舞踏会運用覚書
交易商ギルド準構成員・オスレム手記(今季用)
外部持ち出し厳禁/商会内参照専用稿
一、総論:貴族相手の心得
本王国の貴族は金ではなく象徴で動く。品物の良し悪しより、差し出す際の姿勢、沈黙の間合い、語尾の余韻に価値を見出す。会話は言霊の儀式であり、一語の誤りで取引が反故になる。商人は宮廷の“沼”に足を取られぬよう注意すべきである。
二、宮廷作法基礎
挨拶は「声」ではなく「影の深さ」で行う。瞼の伏せ方、胸元の影の揺れ、三拍分の沈黙が礼とみなされる。頭を深く下げるのは臣の誓約と解釈されるため不可。声を発するのは相手が姿勢を戻してから。
品物の説明は直接的表現を避け、比喩で語ること。丈夫な品は「刃を拒む気脈を宿し」、高価な品は「星の巡りに赦されし品位を帯び」、希少品は「風が二度と運ばぬ出会いにて」、新品は「未だ誰の記憶にも触れざる姿」と表現する。過剰な修辞は成金扱いになるので注意。
謝罪は象徴的に表す。「申し訳ございません」は禁句。例として「灰雨が胸を濡らし、わたくしの過ちを洗わせております」と述べる。本当に怒らせた場合は沈黙が最も重い謝意となる。
三、舞踏会参加ルール
入場時は声を低く、余韻を残す。早口で名を告げると市井の売り声とみなされる。披露品は布を二重に掛け、布一重は売り急ぎの俗商の印象となる。
挨拶の順序は、まず主催家、次にその家の分家、さらに招かれた高位家、最後にその他の貴族である。順序を飛ばすと侮辱扱いになる。
商人の立ち位置は壁寄りの光の薄い場所で、中央は求婚者や血統家系の後継者が立つ位置とされる。むやみに中央に近づくと衛兵が来る。
展示品は貴族が触れず影を鑑賞するのが基本で、触れさせてもらえるのは特級の好意。返礼として薄布を一枚渡すと交易の結界の意になる。
四、会話不文律
値段を伝える際は「数」ではなく「巡り」で表現する。断りは「影の閉門」で、了承は「灯の受領」で示す。俗気な表現は避け、象徴的・詩的な語感を重視する。
五、舞踏会特有の象徴行為
右手の手袋を外して差し出されれば取引の意志、左手なら家名間の友好提案と解釈する。商人は返礼に薄布を一枚渡す。
飲み物は杯を飲むのではなく影を眺める。飲み干す行為は重大決意の表明であり、商人は絶対に行わない。
舞曲の誘いは拒否禁忌。商人は踊らず、「わたくしの足は交易の大地に縫い付いておりますゆえ」と詩的に断ることで不敬を避ける。
六、貴族の性質(幻想的特性)
貴族には声に魔力が宿り、言葉の選択を極端に重視する。影の濃さは家格を示し、沈黙は最も高貴な言語である。笑みは許しではなく観察であり、値踏みの証である。
七、まとめ:商人としての生き残り術
言葉は短く、象徴は長く。沈黙を恐れず、品を見せるよりその品が宿す物語を語ることが最も効果的。値段交渉は舞踏会では絶対に口にせず、貴族の言葉は意図より“予兆”を読む。
本書は“分からぬままに近づき、理解できぬまま距離を保つ術”を示すものであり、完全に理解することは永遠に不可能である。




