第89話 遺された穏やかな景色
その日は朝まで皆で騒いでいた。別れを惜しみ、讃える夜だった。本当に楽しい宴会だった。
昼前の便で、彼らは行ってしまった。ずっとルフのことを想っていたのだ。船を見送っているルフを横から眺めていて、ようやく訊けそうだと思った。
「……ヒューイとは、どんな関係だったの?」
「あ……。いえ、恋仲ではありませんよ。あいつには妻子も居ますし」
「えっ。そうなの?」
「はい。会いますか? ギルドメンバーの家族用の町があるんです。島の東の方に」
「ええ。是非。……あっ。シャワーと着替えだけ済ませて良いかしら」
「はい。私も同じく。町で取っていた宿に案内しますね」
冒険者は、家族を島に置くことが多いのだという。確かに、ニンゲン界で一番安全な島だと言える。いつ死ぬとも分からない冒険者だから、家族には安心して欲しいのだ。
そんな優しい思いも虚しく、未亡人が多い町なのだと言う。勿論メンバーが死亡しても島から追い出されるようなことは無い。寧ろ、手厚く保護される。
ヒューイの妻子のように。
◆◆◆
「ルフ姉ちゃん!」
子供。
町には子供達が多く外で遊んでいた。思えば私は、同年代から年下の、ニンゲンの子供とは出会ったことが無かった。
その子は、ルフを見付けると駆け寄ってきた。黒い髪。泥だらけで眩しい笑顔。
私より少しだけ低い背。
「ジン。今日も元気ですね」
「ルフ姉ちゃん元気になった?」
「!」
彼らは恐らく。この島へ着いた時にここにも寄ったのだ。ヒューイを亡くしてすぐに。
それほど、ルフは落ち込んでいたのだろう。
「はい。もう大丈夫です。この人のお陰です」
「誰ー?」
ルフは少年の頭に手をポンと置いて、私を紹介してくれた。
「こんにちは。私はエルル。島の外から来た森のエルフよ。ルフは私の子供の頃の先生だったの」
今も子供だけれど。
……いや、生理は来たのだ。もう子供を産めるのだろう。巣立ちもしたし、だとすれば私はもう大人なのか。
「おれはジン! 大人になったら冒険者になるんだ!」
「……そう。頑張ってね。ジンはいくつ?」
「9歳!」
私より3つ年下だ。……あれ、そこまで変わらない。なのにどうして、ジンはここまで子供らしいのだろう。
私が老けているのか。
「トヒア殿は居ますか?」
「母ちゃんは家に居るよ! おれも昼飯で帰る所だったんだ!」
ジンは元気よく走り出して、私達を先導してくれた。元気溌剌だ。凄い。
『男の子』を初めて見る。森の娘達とはやはり違う。あんなに泥だらけで、気にもしていない。きっと走り回って、転けまくって、沢山運動しているのだ。
「ジンはエルル様と同世代ですよ」
「……あはは。実感は無いわね」
「エルル様が落ち着き過ぎで、聡明過ぎるのです」
「あまり褒めていないわよね、それ」
「バレましたか」
長閑な雰囲気だった。子供達が集う広場を中心に、住宅街が広がっている。森も無く、草原も見晴らしが良い。崖の向こうはもう海が見えて、景色にも恵まれている。
子供達の遊ぶ笑い声が耳に心地良い、穏やかな町だ。
「ルフちゃん。よく来たね。あれ、皆は?」
「トヒア殿。今日はその報告と、この方を紹介しにきました」
「?」
ジンが吸い込まれた一角の家。2階建てのニンゲンの家だ。リビングの木製椅子に、彼女は座っていた。
親子よく似た黒髪を束ねて提げている。優しそうな大人の女性。線は細く見えたけれど、そのお腹は膨らんでいた。
妊婦だ。
これも、初めて見る。
「私はエルル。ヒューイとは、少し面識があって。この島に来て、ルフから教えて貰って。あなた達に挨拶をしたいと思ったの」
「…………そう。ありがとうエルルちゃん。私はトヒア。ヒューイの妻よ。何も無いけれど、ゆっくりしていってね」
そこに。赤ん坊が。命が宿っている。ヒューイの遺した子。
「こらジン。先に手――いや身体全部洗ってらっしゃい。汚いのが母ちゃんの身体に入ったら赤ちゃん病気になっちゃうよ」
「ごめんなさい!」
尊い。
そう思った。




