第8話 己を深く知ることを望む夏
夏。あの、クレイドリの雛は充分に育ったようだ。親鳥と見分けの付かない綺麗な鼠色の翼を広げて、ある日突然に飛び去って行った。巣立ちの時期。
子育てを終えた親鳥達も、別天地を求めて旅立って行った。ここへは戻ってくるのだろうか。だとしても、来年になるだろう。
「はじめまして、エルル姫様。私はルフと申します。今日から姫様に専属でお仕えいたします。使用人兼、護衛ですね」
私はあの日、ニンゲン族の男ヒューイの手を、取らなかった。取らないという選択をした。
まだ、だと思ったのだ。まだ、ここで。全てを学んでいない。歪な社会だとしても。
私は自分の産まれた所を深く知らねば、それを忘れて旅立つことなどできないと思ったのだ。
私はエルフの、姫だから。
ヒューイは、「賢い選択だ」と言った。私は何か少し違えば付いて行ったと思う。そんな運任せの賢さなら、要らない。
「専属、護衛」
「はい。もう無いように努めますが、この前のような侵入者などを警戒しまして。女王様が、人員を再配置なさいました。私は巨大森では新人ではありますが、戦闘能力を評価されまして。使用人としては至らぬ点も多い不束者ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします」
巨大森にも、蝉時雨が降り注ぐ。
小柄で、クリームイエローの綺麗で柔らかな髪。前髪を眉毛の高さですっぱり切り揃えた、ルフ。彼女が私の世界にやってきた。碧い瞳。ツリ目がちだけど細い目は気怠さと真面目さが半々な印象がある。背丈は私より少し高いくらいで童顔、つまり子供のようにも見えるが。実際は私の倍の年齢らしい。
「何でも仰ってくださいね」
「……うん」
ルフは、初めに私の近くまでやってきて。
「私は、『冒険者ギルド』から来ました。いずれ、エルル様が旅立つ際に。お力になれるように」
「えっ」
そう、耳打ちした。あのヒューイが。その所属する冒険者達が。
寄越したエルフのスパイだったのだ。
◇◇◇
ルフはその肩書通り、四六時中私に付きまとった。入浴時や就寝時さえ、私の側から居なくならなかった。
とは言え、特に不快感や嫌悪感は無かった。私の中で、『外の人間』に対する許容範囲が広がったのだ。ルフの行動と言動全てを、認めようと思った。
「ねえルフ、フェミニズムってなに? ヒューイが言っていたのだけれど」
「ええお答えしましょう。しかし、説明が長くなります。必要な事前知識が多いからです」
「お願い。時間なら気にしないで良いから」
「かしこまりました。ではまず、人類――『ヒト種』に於ける、オスとメスの関係を、歴史から学んで行きましょう」
「うん」
私には、オスの知識が無い。歴史のことは学んでいるけれど、森の大人達は皆、登場人物についてはどの性別とも取れるような曖昧な表現で史実を濁していた。動物はオスかメスか、どちらかである筈なのに。どちらでもない、又はどちらでもある生き物は確かに居るけれど。ヒト種がそれに当てはまるとは思えない。だって私が、メスだから。
「オスは身体が大きく、屈強です」
「うん」
ルフの説明に、仮の男性像として頭の中にヒューイを置く。それしか知らないから仕方ない。確かに大きかった。強そうだった。
「それは、メスを守る為です」
「……うん」
それも分かる。クレイドリがそうだ。
「それは何故か、分かりますか?」
「…………何故か」
オスは強い。メスを守る。ふたつの事象の関係性。
何故守るのか。オスとしては別に、自分の身だけを守っていれば良い。他人を守っていては、他のことが疎かになる。
「エルル様。ここで、説明を前後しますが、生き物には目的があります。それを考えましょう」
「……目的」
「勿論、絶対的な解答ではなく、個々人によって目的は違います。しかし、そんな少数の例外はこの場合、話を進める上で妨げとなります。大多数の、基本的な、生物の目的。種族として。生命としての、目的」
ここまで言われれば、分かる。
「繁殖だ」
「その通り」
ルフは、優しく笑ってくれた。