第56話 唯一絶対の正しい価値観
「ほら」
「えっ」
続いてピュイアは、私の手を取って自分の胸に当てた。
「……?」
ふわふわの羽毛。柔らかい乳房。これがなんなのかと思っていると。
「見てて」
「!」
グッ。
とピュイアが力を込めた。すると乳房は一瞬で硬くなった。まるで岩かなにかのように。
「…………筋、肉?」
「そう! ハーピーのメスにあるオッパイは脂肪じゃなくて筋肉なんだよ。あはは! これやると特に初めて会うニンゲンのオスは吃驚してもう近寄って来ないぞ!」
まるで力こぶだ。翼を羽ばたかせる為に発達したのだろうか。エルフが胸を鍛えてもこうはならない。ハーピー特有の身体構造か。
「ニンゲンの男性に、胸を触らせて?」
「うん!」
「……そう。吃驚はするわね。エルフとしても、いきなり自分の胸を触らせる文化はないから」
「文化じゃないぞ! あたしのオリジナルだ!」
「…………そう」
ピュイアは凄いと思う。ニンゲンと男性に対する恐怖が無いような話し振りだ。自信に満ちた表情もそうだ。自分が亜人(ニンゲンに次ぐ、従たる種族)だなど、思ってもみないような表情。
事実、ニンゲンと亜人に差は無い。あくまでニンゲンの社会での呼び名に過ぎない。
私も、深く考えすぎる必要は無いのかもしれない。
◇◇◇
しばらく甲板で話していると、波が強くなってきた。風が強いのだ。商会員であるニンゲンの男性に危険だと注意された為、私達も船内へ戻った。
「皆ムキムキでしょー? 商人ってより船乗りの方が多いかな。ニンゲンの船だし、ニンゲンが一番上手いんだよ」
「そうね。皆、ピュイアのように胸筋も発達してた。……ピュイアは、船を操縦しなくて良いの? 私もできることがあれば手伝うわ」
「あー。大丈夫! あたしは見張りやってるから船の仕事は免除なんだ。さっき危険って言われたのは、エルルのこと。あたしは時化でも外出て飛ぶから」
「……そう。でもタダで乗せて貰っているのだし、何かしたいわ」
「うーん……。商会員へのご褒美ってことでしょ?」
「まあ……そうね。報酬よ。ユーマンは結局、私にチケット代は請求しなかった。私は一応、彼らギルドにお願いされて本部へ向かっているという立場らしいのよ」
「うーん……」
「?」
船内の廊下を進む。ピュイアは腕を組んで首を捻り、私の胸を注視した。
「……エルル何歳? あたしは16!」
「12よ?」
「オッパイ無いねえ」
「…………まあ、そう、ね……?」
何を考えているのだろう。ピュイアの行動と発言には興味がある。今まで出会ったことのないタイプだ。
「ご褒美ねえ。船のオス連中はオッパイ揉ませたら喜ぶけど、エルルじゃできないなあ」
「えっ。ピュイアは普段揉ませているの?」
「いつもじゃないよ? 海ってさ。日によってすっごく大荒れな時とかあって。もうめちゃくちゃになるの。それが全部終わって、お疲れさまーって時とか。こんな仕事してるから、戦闘もたまにあったりするし。そんな死にそうなのが終わった時とか。ご褒美あげるとまた頑張ってくれるんだー」
「…………」
想像ができなかった。いや。
想像しようとすると、頭の中で、靄が掛かる感覚がある。
ああ、きっとあれだ。
あれを思い出すから。私は心の自己防衛の為に、思い出さない。思い出せないのだ。
男性は女性の身体が好きなのだ。これは生物である以上避けては通れない話。なるほど。ピュイアはそれを利用して、船員達を慰労しているようだ。
「ピュイアは、それで良いの?」
「うん? あたしさ。筋肉好きでさ。普段からおっちゃん達の腹筋とか触ってるんだ。で、触られるのも好きー。普段飛んでるとさ、オッパイ凝るんだ。こんなのでご褒美になるなんて、オスって単純だよねー」
「……その論理なら、あなたも単純になってしまうわ」
「あははー! あたし馬鹿だからなー!」
冒険者は自由の集団。独自の文化があり、それで上手く彼らなりの社会が回っている。
ピュイアのこの慰労は、例えば私の育った巨大森で口にすれば、性的嫌がらせの強要、また性犯罪として男性側が社会的に再起不能になるほど叩かれるだろう。それだけ非常識なものだ。エルフからすれば。
けれど、ここは森じゃない。本人も進んでしている。
唯一絶対に正しい価値観など、無い。
私が口出すことではないのだろう。