第38話 賢者の卵の対等な会話
男。
好きか嫌いかで言えば、嫌いだ。
ただ、『今のところは』と付け加えなければならない。生理的な嫌悪感を無理矢理、理性で振り切る。
私は以前、巨大森で。空想した筈だ。クレイドリの『つがい』を見て。私もいずれ。
オスと出会い、つがいになり、交尾をするのだと。
母が私を産んで愛したように。私も……と。
幼い私を裏切りたくない。裏切るような現実を教えたくはない。
まずは――
良い男性を、確認できれば。払拭できるはずだ。この、身体中に走る寒々とした厭気を。
「まずは自己紹介を。僕はユーマン。この冒険者ギルドの支部長だ。よろしく。エルル」
ユーマンと名乗ったこの男性。茶髪で、短い髭が生え揃っている。髭だ。話には聞いていたけれど。ヒューイにもトットにも無かった。あれが男性の、髭。
服装は職員の制服だ。かっちりした男性用の。紺色で、スーツとローブの中間のようなデザイン。
「そこのソファに座ってくれ。話をしよう。僕は話したいこと。君は訊きたいことが、沢山ある筈だ」
「…………分かったわ」
この部屋は支部長室と言った。部屋の一角にソファに囲まれた低いガラスのテーブルがある。言われるまま従う。訊きたいこと?
ギルドの目的と父のこと。たったふたつだけだ。沢山ではない。
「ルーフェからの報告は聞いているよ。オルスイール市の事件も耳に入ってる。……大丈夫、かい?」
「……ニンゲンのニュースはすぐに全世界に広がるのよね。私はこれから一生、名乗る度に強姦被害者だと思われる訳、ね」
「すまない。気を悪くさせたのなら謝るよ。僕らからすれば、こんなニュースはどうでも良いんだ。君が無事なら」
「…………ルフも。いえ、ヒューイも。そしてルーフェも。どうして私を、ここへ連れて来させたかったの? ここに何があるの。私を、どうしようと言うの?」
問う。
ユーマンは私がここへ来てからずっと笑っている。微笑んでいる。それを崩さない。ポーカーフェイスのように。
裏があるのかと疑ってしまう。
私の睨みを受けながら、ユーマンは私の向かいに座った。
「エルル。君は、冬になる前にここを出発しなければならない」
「どうして? どこへ?」
また、先延ばしの会話。気付く。そうか。
会話が成り立つことは、幸運であり喜びだったのだ。基本的に、人は自分の話したいことしか話さない。ルルゥやルフ、母は。私がエルフの姫だからと気を遣って。私を尊敬して、会話をしてくれていたのだ。
彼らニンゲンは、特別意地悪なのではない。私と対等なのだ。
愚かな私はようやくここで気付く。ルフに再会したら、謝意を伝えなければならない。ああ、冒険者ギルドに留まる理由ができてしまった。
「ギルド本部だよ。ルフもそこに居る。そして、君が必ず出会わなければならない人が居る」
「…………なるほど」
まずは、この男の話を聞かなければ進まない。私が質問をすることは控えなくては。ここは外の世界。宮殿とは違う。すぐに何でも訊いて、そして答えが返ってくると思い込むのは間違いだ。私が間違っていた。
「父と母。実はどちらも冒険者と繋がっていて、そして重要な立ち位置だったのね」
「……ああ。その様子だと、何も聞かされていないのか」
「ええ。母から聞かされていたのはニンゲンと男性への嫌悪が殆どよ」
「…………ああ。そうか。そうだろうね」
ああ。
察していく。少しずつ。けれど、明らかに。ユーマンの表情から。言葉から。声音から。
「あの夜。目的は私だけじゃなかった。ヒューイは母と密会していた。そこで何か、交わしたのね。何かを」
「…………素晴らしい。見立て通り。君はやっぱり、賢者の卵だよ」
ギルドを知ること。冒険者を知ること。父を追うこと。
それらは、私の目的である『世界を知ること』の道中にある。
無視はできない。
もう訊かない。材料を集めて考察すれば良い。行けば良い。見れば良い。会えば良い。考えれば良い。
やがてその先に、賢者があるのなら。確かに今の私は卵と言って良い。




