第28話 現実を経験した日
知っていた筈だ。
そういうものが存在すると。母も。その被害に遇ったのだと。
いくら知識で。頭で知っていても。それは経験したことではない。目の前の男性がどのような者なのか、知る術にはならない。
「はぁ……っ! はぁ……っ」
私は愚者だ。
知っているだけで、分かった気になっていた。目の前の人が、まさか自分に悪意を持つ訳が無いと、心の何処かで油断していたのだ。そんな経験は、してこなかったから。
知識とは、実生活で活用してこそ真価を発揮する。結局害を被っていては、意味はないのだ。
それを経験できたとポジティブに考えるには、今の私はあまりにも。
「…………これ、が……っ」
痛い。
痛い。痛い。初めての感覚。巨大樹の宮殿に居て、痛いことなんて、無かったから。母は私に、痛みを教えることをしなかった。
「……これが…………。強姦…………なの、ね」
魔封具。初めて食らったそれは、私に有効に機能した。魔力が流れない。魔法が使えなくなった。
……いくらニンゲンが残酷で攻撃的でも、私には魔法があるからと。高を括って油断していた。彼らはその科学力で開発していたのだ。私達、魔法使いに対する。……亜人に対抗する手段を。
魔法の無い私など、同年代の少女より非力だ。成人男性に組み伏せられて抵抗などできる訳も無い。
力の限り、魔法を撃ち放った。彼が私の服をビリビリに破いている間も、彼が密着してきて気色の悪い脂汗でぬるぬるの感覚がしても、鼻が捩じ切れるかと思うくらい不快な体臭を感じても。魔封具に向かって放ち続けた。筋力で全く敵わないのだ。それしかできることがなかった。なんとなく、分かる。この金属の輪は、魔力を吸収して溜め込む性質がある。
際限なく魔力を送り込み続け、その許容量を超えた時に。
彼の股間が私に押し込まれ、激痛が走った時。魔封具が弾けた。風の魔法が遂に発動して、男性の上半身は3つに捩じ切れて吹き飛んだ。余波と衝撃で小屋は崩れ、果実を搾ったような血の雨を浴びながら、私達は下敷きになった。
「はぁっ……。はっ」
再度風の魔法を使用し、それら全てを吹き飛ばす。痛い。痛い。
「……うっ」
突っ込まれたままの、それの切れ端をようやく抜き取る。股の間から血が垂れる。
痛い。
「これが男性? これが交尾? ……嘘よ」
赤い。血だ。間違ってもマーズの実の汁ではない。ここにそんな、甘い香りは無い。血の匂い。腐った匂い。気持ち悪い匂い。
嘘じゃない。
これが、現実だ。これが外の世界なのだ。母が、女性を守ろうとしたそれなのだ。
「う……。魔力がもう」
痛い。よろめく。立てない。魔封具は私の魔力を根こそぎ持っていったらしい。
「うお……。君、大丈夫か!?」
「先輩これ、エルフ……」
「!」
新たな声。低い声。ふたつの声。
男性が、ふたり。
「うおおっ!?」
死に体を振り絞り、風の魔法で結界を張る。触れれば切り刻む旋風で自身を囲む。
「近付かないで……っ!」
「魔法だ! 下がれっ!」
男性。今しがた、私を強姦した性別のニンゲン。
先程の男性より若い。20代から30代くらいだ。ふたりとも同じような格好をしている。紺色の服。何かの所属制服かもしれない。
「君! 特区を除くオルス国内では魔法の使用は禁止されているんだぞ!」
「待て! 今それを言っても意味ない! なあ君。怪我をしているだろう! 我々は警察だ。騒ぎを聞き付けてやってきた。君を保護したい!」
辺りには、血飛沫と――死体の肉片が散らばっている。私が魔法で殺したとはっきり分かる。
警察?
彼らからすれば、私は法律を破り、彼らの同族を殺した危険な亜人族。
私からすれば、彼らは私に性的暴行をした種族でその同性。
私が彼らの言葉を信用する要素は、無い。
「…………うっ」
けれど。
限界が来た私は、そのまま気を失ってしまった。




