第272話 託される数千年の名
エルックリン山脈には、秘湯がある。その湯は魔素が濃く溶けており、なんと浸かるだけで治癒魔法の効果があるという。
その秘湯を、私達や戦士達に使ってくれたようなのだ。
レイゼンガルドの女達が。
「エル姉ちゃん!」
「ジン……。あなた手が」
亜人の回復力はニンゲンより高い。数日で歩けるようになった私は、ルフに肩を借りながら、洞窟内の広場でジンと再会する。
彼の両手は酷い火傷が遺っており、それは二の腕まで走っていた。痛々しい。
「大丈夫だよ。見た目ほど痛くも無いんだ。完治自体はしてる。もう剣も振れるんだ」
「……手袋は?」
「焼けてなくなっちゃった。黒銀はギリギリ、ちょっと残ってるよ。今、洞窟エルフの裁縫上手な女の人に頼んで整えて貰ってる。……まあ、なんとかなるよ。俺はヴァルキリー流免許皆伝だし」
触る。ゴツゴツした男の、手。
私をブレスから守る為に、無茶を。
「……ありがとう」
「…………うん」
彼に守られた。それが嬉しかった。
「もう良いのか。エルル」
「ルード。ええ。取り敢えず、歩けるくらいには快復したわ」
ルードもやってきた。戦士達はこの1ヶ月、山脈内をずっと警邏していたという。
「あの群れ……。何だったのかしら」
「ああ。その話もしよう。席に着いてくれ」
この場には騎士団は居なかった。もう、麓まで降りているという。
ルフに支えられて、腰を下ろす。
「まずは、今回の竜の季節は終わった。恐らくはこの先数年は、ドラゴンは来ないだろうというのが俺達の見立てだ」
「そうなの?」
ルードが切り出す。
「昔から、ドラゴンの群れが高高度に現れ、特に被害無く去った後は、エルックリンに平和が訪れるんだ。50年振りだが、恐らくはそうなるだろう」
「…………なるほど」
「詳細や理由は分かっていないがな。話を戻す。国境騎士団の被害は15人の死亡、36人重傷、後は全員軽傷だ」
「…………15人」
あんなものに、盾ひとつで突っ込んでいったのだ。そりゃ、死ぬだろう。
死なせてしまった。
「彼らはお前に礼を言っていた」
「どうして?」
「この程度の被害で済んだからだ。俺達からも、礼を言わせてくれ。今回のドラゴン被害がこの程度で済み、終わったのは。お前達の働きのお陰だ」
ルードを筆頭に。
後ろに控える戦士達が一斉に、私達へ頭を下げた。
「…………きちんと実力を、示せたかしら」
こういう時。
無駄に謙遜してはならない。そう思う。
彼らと私達は、命を懸けていたのだから。
「ああ。レイゼンガルドは誰ひとり、お前の実力を疑わない。それは血や名前ではなく、行動で。俺達洞窟エルフは、お前を王と認める」
「!」
どくん。責任が心臓へ届いた音。
私が。彼らに、エルフの姫として、心から認められた。その魔力が、伝わる。
「レイゼンガルドの名を。エルフ姫アーテルフェイスへ還そう」
「……良いの? 私は冒険者だから、レイゼンガルドの名を魔界のドワーフへ送り届ける前に途中で死ぬかも知れないわよ」
「良い。我々はお前に託す。それに足る実力を見せてもらった」
「………………分かったわ。確かに」
この旅は、必要だった。
A級昇格試験というだけではなく。
私は一度、必ず、ここへ来なければならなかった。
「数千年の……肩の荷が下りる」
ルードが最後にそう呟いた。




