第27話 知らない者に付いていく姫
母は、私の名前をあまり呼ばなかった。森のエルフ達は私のことを、姫様と呼ぶ。
そして、森の子供達はきちんと教育されていた。幸か不幸か。
私はエルル・エーデルワイス。
エルフの姫として生まれた。
けれど、それを名乗るつもりはない。エルルだけで良い。『エルフィナ・エーデルワイスの娘』の名前は、公表されていない。
エーデルワイスを名乗れば、バレるだろう。『あの』『フェミニストの』『エルフィナの娘だ』と。
私は、エルフの姫としてではなく。ひとりの、ただのエルフとして、経験したい。
ようやくやってきた、この外の世界で。
◆◆◆
巨大森から西方数十キロの上空。私は風の魔法を応用した飛行の魔法で、ひとっ飛びにやってきた。街が見えたのだ。
オルスの街。ニンゲンの街。
エルフのように、木々や自然に根ざした建物ではない。加工した木材や石を積み上げて建てている。大地に暮らすニンゲンらしい町並みだと思った。
「よっと」
少し離れた場所に着地して、街へ向かう。ニンゲンは魔法が使えないから、いきなり私が現れたら目立ってしまうと思って。
「……畑ね。ここは農村みたい」
エルフも当然、農業は行う。育てるものややり方は少し違うだろうけど、基本的にはニンゲンと同じだと思う。
……重労働だからと、森の女性からは不満が挙がっていたけれど。
「やあ」
「!」
街の方へ向かう途中で声を掛けられた。気配は感じていたけれど。男性だ。
オス。
男。
私の人生で、ふたり目の男性。壮年だ。40代くらいだろうか。恐らく農夫だ。作業着の姿で。
確か、ニンゲンの交尾適齢期は10代後半から20代前半だと習った。エルフと比べて、うんと短いのだ。母が私を産んだのが、120代だった筈。エルフの適齢期は、10代前半から……。
何歳なんだろう。今の私はどうなんだろう。私は今、子を産めるのだろうか。
分からない。
「こんにちは」
「ああ。君はエルフだね。森から来たのかい」
「……ええ。外の世界は初めてなの」
「そうかい。ここはマーズ畑さ。森には無い野菜だろう」
「マーズ。野菜なのね。真っ赤な実」
初めて見るもの。聞く音。風。
「マーズは街では加工されて出されるが、この村では新鮮なまま食べられる。果物のように甘酸っぱくて美味しいんだ。自然のマーズは大陸のあちこちに生っているけど、ここのは僕らが手間暇掛けて育てているからね。うんと甘いんだ」
「そうなのね」
楽しい。
「良ければ、ひとつどうだい?」
「良いの? 売り物でしょう」
「いやあ、初めて森を出た可愛らしいエルフさん。歓迎させておくれよ」
「ありがとう。なら、戴くわ」
「この畑のはまだ穫らないんだ。こっちへおいで」
「ええ」
私は。ドキドキしていた。これが外の世界。ふたり目に出会う男性。仄かに、甘い香りがする畑。
「ここ?」
「ああ。ちょっと古い小屋だけど」
男性に付いていくと、確かに古そうな小屋に着いた。枯れたように黒く煤けた木の柱、天井には蜘蛛の巣。床も掃除されておらず、石やゴミが散乱していて。
「手を出して」
「?」
ガチャン。
「えっ?」
マーズの実。その野菜を貰えると思った。多少の疑問は、流してしまっていた。
これが初めてだったから。
何か、金属質? の、輪っかを。私の差し出した右手首に付けられた。
「魔封具。魔封じの輪。確かそんな名前だよ」
「――えっ」
「いやあ、可愛いねえ」
やはり私は幼く、愚かだった。




