第235話 無意識に押し付けられる傷
ジンは、道場には帰ってきていないらしい。午前中ずっと、彼を探していた。街には居なさそうだと思い、山へ入る。
夏の日差しを浴びながら。
「……こういうのはどうでしょう。ズボンの上から。若しくは、エルルは後ろを向いて。……ジンに抱き着けるということは、男性器は隠されていて見えなければ良いのではないでしょうか」
「…………それはありだわ。服の上からなら、触れるかもしれない」
「彼に密着して。キスをしながら。触ってあげるのです」
「ええ」
カナカナと戦った開けた場所までやってきた。ジンが居た。崖に脚を投げて座っていた。山を背に、街を眺めるように。
「ジン」
声を掛ける。一晩中、そうしていたのだろうか。
「ごめんなさい」
「……」
彼も彼で悩んでいる。その元凶はやはり私なのだ。
私が性格的、性的に彼の望み通りの『女』であったなら。
「俺、やっぱり我慢するよ。別に、いつも自分でしてるし。姉ちゃんとキスできただけで充分だ。それで充分だよ」
「…………ジン」
彼は振り向いてくれず、景色を見ながら応えた。
「それにさ。冷静に考えると。俺達って、冒険者パーティだから。……あんまり、そういうことしすぎるのも良くないかもって」
彼は。
『冒険者』に憧れを抱いている。憧れるべき『冒険者像』があるのだ。
戦士と。魔法使いと。
冒険のお伽噺。
「…………まだ、良いよ。今は。急ぎすぎたんだよ。そりゃ、俺だって、いずれは……って思ってるけどさ」
「…………」
彼に近付く。
風が吹いた。その風に乗って。
男性の匂いが流れて来る。
「…………隣、良い?」
「今、汚いよ俺」
座る。横顔を見る。スッキリした表情だった。一晩考えて、結論に至ったのだろう。
「エル姉ちゃん」
「旅の道中。ずっと汚いじゃないの。慣れてるわよ臭いや汚れなんて。お互い様でしょう。私だって」
「……いや、姉ちゃん達は凄え匂いだよ」
「凄えって何!?」
「……えっと。女の匂いっていうか。……凄えエロい匂い」
「えっ。そんなのしてるの? ルフ?」
すぐ後ろにルフ。振り返ると、彼女は肩をすくめて溜め息。
「……フェロモンというやつでしょうかね。旅というのはある種極限状態ですから。近くに異性が居たらより魅力的に感じるかもしれません」
「…………フェロモン」
自分で嗅ぐ。全く分からない。まあそもそも、私にはまだ『エロい』が分からないのだけど。
「いつまで我慢するつもりなの?」
「…………姉ちゃんのことだよ。なんでそんなに、前向きになれるの? また、倒れるかもしれない。もう、しばらく俺に近付かない方が良いよ」
「………………」
さっきから。彼がこちらを向いてくれない。
一度も目を合わせてくれない。
「…………ごめんなさい。あなたを、傷付けてしまった」
「だから。俺じゃないってば」
ニンゲンには魔力は流れていない。彼の感情が分からない。怒っているのか。悲しんでいるのか。その表情からは。
「………………」
次の言葉が出ない。口が、脳が止まった。
「……修行の為。そんなんで、エル姉ちゃんとそういうこと、したくない」
「!」
そもそもは。
それが目的だったかもしれない。そしてもっと辿ると。私が、母からの報せに間に合う為だ。
私の為。自分の為。
ジンは私との行為を、大切にしてくれているのだ。
「…………なんで、性欲なんてあるんだろう。男に。今、一番要らない。俺、修行にならない上にエル姉ちゃんを傷付けて、ルフ姉ちゃんに我慢させて。……なんで。コントロールできないんだろう。自分のことなのに」
「………………」
「今は一刻も早く修行終わらせないといけないのに」
「…………ジン」
「エル姉ちゃん」
「!」
そこで。
名前を呼ばれて。見ると、目が合った。
真剣な黒い瞳。
「傷付いてるのはエル姉ちゃんだ。俺に、押し付けるように謝らないでくれよ。苦しいのはエル姉ちゃんだ。そこを間違えたら、ダメだ」
……近付いたのは。横に座ったのは。キスをするためだ。その先をするためだ。
今はしてはいけないと思った。




