第228話 慎重に進めている配慮
それは。
「エルルはん、ちょっとええ?」
「?」
とある夏のことだった。私は部屋で、街で借りてきた本を読んでいると。
レインが部屋を訪ねてきた。ルフは街へ出掛けている。
暑そうな着物を涼しげに着るレイン。恐らくは体温調節の魔法を使っているのだ。魔力侵蝕の無い純血エルフは羨ましい。
私はカナカナから借りた半袖のTシャツとショートパンツだ。ギルドからの粗品らしく、旅人のロゴが入っている。
「ジン君て、もしかせんでも童貞なん?」
「はっ?」
用意した座布団に座ったレインから、思いも寄らない言葉が出てきた。
「視線。所作。反応。うちの勘違いやったらええねんけど、なんというか、エルルはんとルフはん、3人で交際関係なんやろ? ちゃんと抜いてあげとるんかな思て」
「……ええ。抜く? とは?」
「…………あれまあ」
生物は、『生きる物』だ。生きることが目的。本能。つまりは、子孫を残すこと。
身体の発達成長に伴い、『性欲』というものが現れる。子孫を残す為に、異性を欲する欲だ。性的行為を望む欲だ。
そして、その相手に巡り会えないこともある。当然だ。その場合、性欲を抑える為にひとりで処理をすることになる。抑えなければ、普段の生活すらままならなくなることもあるという。
ここまでは分かる。論理だ。
そして、私はジンがたまに、ひとりで処理していることも知っている。
つまり。
「…………もしかして、このままでは修行に支障が……?」
恐る恐る訊く。
レインは、ゆっくりと頷いた。
「18歳の男子、っちゅう生き物を、甘く見とったらあきまへんよ。それに、毎日美人に囲まれとる。それは天国やのうて、地獄と変わらん」
「そこまで……?」
私は21だ。
正直、未だに性欲というものが分からない。頭では理解しているけれど、経験がないから実感が無い。
これは、エルフという長命種だからなのだろうか。
「なんでしてあげへんの?」
「………………えっと」
言い淀んでいると。
ルフが帰ってきた。
スパンと、丁寧かつ勢いよく襖が開けられる。
「エルレイン。これ以上はエルルのプライバシーです」
「ルフっ」
睨んでいた。レインは、穏やかな笑みはそのまま。
「エルレイン。これは、とても慎重に、進めねばならないことなのです。私が、何年も掛けて、丁寧にじっくりと進めています。交際しているからと、部外者に関係を急がされる訳にはいきません。私達の強固な信頼関係は、その実酷く脆いのです」
「!」
そうなのだ。
私には、恋愛が分からない。きっとジンも、どうすれば良いか分かっていない。
ルフに懸かっているのだ。彼女はジンのことも、私のことも分かっているから。
だから、この前ついに、ルフとキスができたのだ。何年も何年も、毎日一緒に居て、食べて、寝て過ごした私とルフが。遥か昔に互いの気持ちを確認したのに。ようやく、去年、キスまで進むことができたのだ。
ルフには考えがある。彼女が考える進行は、最大限の配慮がある。年上の女性ふたりとの恋愛に悩むジンへの。そして、過去に強姦被害に遇って男性との関係構築に億劫な私への。
「……ジンの修行については、どうにかします。エルレイン。あなたが、配慮に欠けていたとは思いません。知らないのですから。ご忠告、ありがとうございます」
その台詞と。私の様子を見て。
多分、察したレイン。
「……えらい、申し訳なかったなあ。堪忍してや、エルルはん。ルフはん。うち、てっきり普段はやりまくりで、ここがカナちゃんの道場やからやりにくいんちゃうかなって」
「…………良いのよ。私が悪いのは、その通りだから。まだまだ、男性について知らないのよ」
「エルルは悪くないといつも言っているでしょう」
レインが立ち上がる。私は、彼女を引き止めた。
「待ってレイン。ねえ、ルフ、彼女には説明しましょう。ジンの修行に影響が出るもの」
「別に、言いたないこと無理して言わんでええよ?」
「…………分かりました。エルレイン、座ってください」
「………………」
このまま、彼女とギクシャクするのも嫌だから。




