第225話 エルフの姫と優しい表情【第9章最終話】
「……言い訳は?」
「ぅ……」
夜。
寝室にて。
ルフに、甘く睨まれながらお説教。
「…………ジンが、右手に持っていた鉄アレイを落としちゃって。大きな音が鳴ったの。それで吃驚して飛び上がっちゃって。休めと言われたのにコッソリ鍛錬していたことがバレてカナカナがやってくる足音がして、ジンに言われて私はそのまま退室して……」
「キスするチャンスだったじゃないですか」
「…………ぅ……」
正座をさせられている。
目を逸らす。ルフに叱られている。
「何でしないんですかキス。好きな男とのキス。完全にやれたじゃないですか」
「…………もしかして、皆で狙って私とジンをふたりに?」
「今はそれは良いです」
「あっ……。はい」
「はあ……」
ルフは頭を抱えて、大きな溜め息を吐いた。
「……『男性に対する嫌悪』。無かったんですよね」
「ええ……。ジンに嫌悪感は抱く筈無いわ」
「良かったじゃないですか。キス寸前まで行っても、恐怖も心傷想起も無かったのは」
「……そうね。それはそう。だけど……」
「後は、エルルの意気地の問題です」
「…………私、意気地無しなのね」
「慎重になりすぎですね」
キス。
…………愛情表現であることは知っている。自然界でも色んな生物が行なっている。
それを。ジンとするところだったのだ。
彼も、キスを待っていたのだろうか。
だとすれば、土壇場で逃げたのは私だ。
「…………少し、分からないのよ」
「何がですか?」
「……本当にそれが必要なのか。私達は既に、信頼関係があると思っていて。今更……って」
「そういう話、ジンとしていませんよね? ジンの気持ちはどうなんですか」
「………………そう、よね」
怖いのかもしれない。
男性への恐怖ではなくて。
何か、こう。……上手く言葉にできないけれど。
私達のこれまでの関係性が、破壊されるような。
性的行為そのものへの恐怖。漠然とした、不安。
「…………不安だわ。ええ。恐怖も少しあるけれど、不安が、一番近い気がする。あの時。何もなければ。本当にキス……していたのかしら。何だかんだと、しなかったかもしれない」
「エルル」
たかがキスだ。
そんな風に、言えはしない。したことがないのだ。
ああ例えば、私のキスが下手で、彼に引かれるかもしれない、とか。私の口臭や鼻息が彼に触れるのが申し訳ない、とか。
いつの間にか無意識に正座を崩して、膝を抱えて顔を埋めていた。
「いきなり男性とのキスは、いくら相手がジンと言えどハードルが高いということですか?」
「…………そう、ね」
脚の間から応える。
「エルル。顔を上げてください」
「……?」
顔を。両手で包み込まれた。ルフに。
睨んでいない。目が合う。優しい表情。
「では、まずは私としますか?」
「えっ!?」
少し、赤らんでいて。
驚いて、脚を崩す。ルフは私の顔から手を離して、向かい合わせに座った。
「そういう話でしたよね? このパーティは、エルルのハーレムだと。私とも結婚するつもりなんですよね?」
「………………ええ。けど、あなたは」
「エルル。私は確かに男性しか愛せません。しかし、以前も言った通り。あなたが私の一番です。私はエルルに限り、女性も愛することが可能です」
「…………っ!」
半分……いや。1/4ほど冗談だった。いや、本気だった。本気の、詭弁だった。ルフが通常の異性愛者というのは知っていたから。
けれど。ルフにこうまで言って貰えるほど。
私が、影響させてしまったのか。
「……大事なファーストキスですよね。このルフに、くださいませんか」
「…………!」
なんだ、その顔は。視線は。口元は。
艶やかに熱を帯びて、艶かしく湿っている。
昼間のように、私も熱を持ち始める。急激に。じとり。唾を、飲み込む。
心臓が。
「…………ルフ」
「はい」
お互いの心臓が、その魔力が、乱れているのが分かる。きっと彼女も私の魔力を感知している。
「やり方が分からないわ」
「リードしますよ」
「……ルフ」
「はい」
向い合せから。
隣り合わせへと。
彼女から来てくれた。
触れる。魔力だけじゃない。体温が直に伝わる。
熱い。
「……やっぱり、近いわね」
「それは、これからくっつく訳ですから」
見つめ合う。
鼻先が触れる。
美しい。やはりこの人は美人だ。
「不安なら、手を繋ぎましょうか」
「…………」
無言で応える。伝わる。言葉を発する余裕が無くなっている。
強く、手を握られた。
「!」
と思った瞬間。
遂に触れ合った。
◇◇◇
どれくらいの時間、そうしていたのか。
柔らかかった。
柔らかかったのだ。その記憶だけ。
どのような感触だったのか。本当に柔らかかったのか。
「………………」
もう、覚えていない。覚えることができなかった。
衝撃的すぎて。
「…………これがキスです」
「………………ル」
「はい」
名を呼ぶと、いつも、常に、必ず、すぐに返事をしてくれる。
「………………」
言葉にならない。今になって、恥ずかしさがやってくる。顔が発火する。
なのにルフは。
「……はい。何度でも。満足するまで」
「…………!」
優しい表情のまま。
もう一度、重ねてくれた。
もう一度。
「…………」
「はい」
もう一度。




