第182話 世界という逆境に生きる人
「エル姉ちゃん、大丈夫?」
ジンが背後から話し掛けてきた。私は振り向いて、目で彼を呼んでから、また視線を森へ戻した。
「ここ数日、口数も少ないよ」
「…………ええ」
彼が隣に座る。
「…………ジンは、『悪口』って、言ったこと、ある?」
「え? うーん……。まあそりゃ、誰しも多少はあるんじゃないの?」
「そう……」
未だに、頭の中で反芻している。耳に残っている。
「何か言われたの?」
「……『耳長ヒトモドキ』と」
「うわ。それは流石に駄目だろ」
「この前のニンゲンの女性のパーティに、去り際にね。……ずっと考えていたの」
「エル姉ちゃん……」
耳長は、エルフへの侮辱言葉だ。実際にニンゲンより耳は長いのだけど、あの文脈の使い方だと完全に侮辱の意味合いだ。
ヒトモドキ。これはニンゲン以外の人種に対する侮辱言葉だ。亜人という言葉も元々は侮辱なのだけど、それよりももっと強く否定する言葉がヒトモドキだ。神正教が好んで使っている言葉。
それらを組み合わせたのが、耳長ヒトモドキ。
『不正にニンゲンを真似たヒトモドキ』の内、『耳が長い種類』のことを、そう言うのだろう。手が長いサルでテナガザルと言うのと同じで。耳が長いヒトモドキだから、耳長ヒトモドキと。
もう本当に。完全に、魔物扱いだ。
言葉が通じるのに。脳の大きさは同じなのに。友人になれるのに。
最大限の拒絶だった。しかも、陰口のように。私達と別れた後で、わざわざ私の耳にギリギリ入るように言い捨てたのだ。
こんな気持ちになるのだ。
私はこれまでの20年の人生で。ただの一度も、相手を侮辱することのみを目的とした悪口なんて言ったことはない。
これから先も、言うことはない。決して。
「……ニンゲンってさ。亜人とは、やっぱり違う所があるんだよ」
「えっ?」
ジンの言葉で顔を上げる。無意識に考え込んで俯いていたらしい。
「亜人は、基本的にみーんな魔法が使えるじゃん。その時点でニンゲンより強いんだよね。概ね、全員が」
「…………」
ジンの言葉に傾注する。
「勿論、ニンゲンでも鍛えれば亜人に負けない戦闘力を身に付けることはできる。けど、それってニンゲン全体からすれば、ほんのひと握りなんだ。『戦闘能力を身に付けるまでのハードル』が、明確に違う」
「……そうね」
「ニンゲンは、一番数が多いけれど。一番弱いんだ。平均して。……特に、女性が。ニンゲンの女性が、世界で一番弱いヒト種なんだよ」
「……ええ」
その通りだ。だから、彼女達は徒党を組んだのだろう。数で優位を取る。ニンゲンのやり方だ。
「だから、他の人達に対して攻撃的になりやすいんだって。男性が怖いから。亜人が怖いから。魔法が怖いから。……精一杯、威嚇してるんだって。……師匠から教わった話だけど」
「…………そう」
弱くて、怖いから、攻撃的になる。
私も、そうだ。エルドレッド達に対して。彼らを殺さねばならないと強く思っていた。
実際は、殺さなくても。殺し合いすらしなくても。今、今日。ここまで来ている。
「余裕があるのは、姉ちゃんだ。言葉の暴力は心を傷付けられるけど。……身体は死なない」
「!」
私には……魔法がある。
いつでも、彼女達を黙らせることはできた。
そうだ。戦争になれば不利なのは彼女達だった。オスのエルフには敵わないけれど、メスのニンゲンなど、やろうと思えば。
…………。
なるほど。
「贅沢な悩みだったのね」
「あー。いや。そう、言いたかった訳じゃなくて。……冒険に出ればもう、『社会』じゃないからさ。戦闘能力を持ってる姉ちゃんが気にすること、無いよって」
「…………ええ。そうよね」
彼女達には、魔法が無い。無いのに、冒険者をしている。私がもしハーフではなくて、ニンゲンだったら。それでも、冒険したいと思っただろうか。
…………それは、分からない。
つまり私は彼女達を、リスペクトしなくてはならないのだ。
『この世界という逆境で頑張っている』彼女達を。
そう思うと。
あの悪口も、気にならなくなってきた。
「ありがとうジン。少し楽になったわ」
「そう? 良かった」
私が彼女達にとって耳長ヒトモドキであることで。その差別を以て彼女達が自分を守れているのなら。
私に直接被害が無い間は、それで良いかもしれない、と。




