第171話 溺れる姫を助ける大きな背中
バキバキバキバキ。
木造のホテルの壁が、天井が、床が。『風』によって、破壊されていく。玩具のように。
「危ないっす!」
「ぅ……!」
リーリンが咄嗟に私に覆い被さる。だが、破壊はそこで止まった。私の部屋の壁は吹き飛んだけど、部屋の中は被害が無かった。
隣の部屋から、超高密度の魔力を感じる。嫌でも。魔力探知能力がなくとも、強制的に感じさせられる魔力量。
その重圧。
「おいおい……! 『ネズミ』の匂いがすんぞ! どうなってんだ!?」
「…………!」
まるで、これも突風かと思うほどの怒号。
エルドレッド・ギドー。
「…………うひぃ。やーば……。バレちゃったっす」
リーリンが立ち上がり、一応の戦闘態勢を取る。小刀を抜いて、私とエルドレッドの間に立つ。
悲鳴と瓦礫の音が続く。ホテルに普通に居た宿泊客やスタッフはニンゲンだ。それぞれが這々の体で逃げていく。ホテルはすでに半壊していた。エルドレッドの風魔法で、一撃だ。
暑い。空調機は当然に破壊された。夜中の暑さと、乾いた空気。雲ひとつない夜空に、月が浮かんでいた。
「冒険者ギルドメンバーか。場所は隠してんだぜ? あんたが呼んだのか、エルル?」
「…………!」
積まれた瓦礫に片足を置いて、私達を見下ろすエルドレッド。そうだ。彼は許さないだろう。そもそもギルドは、彼ら国際警察機関と敵対している。
「……えーと。ウチ、戦闘力はほぼ無いんで。オスの魔法使い相手なんて、無理っすね」
「はぁ? なら見付かっちまった時点で終わりじゃねえか。お前もエルルの使用人として刑務所だな」
姫様、と声が階下からした。ルルゥだ。隣にノルンが見えた。ノルンが、ルルゥを引っ張って避難しているのだ。エルドレッドの戦闘に、巻き込まれないように。
エルドレッドは、彼が自ら申し出た護衛対象である私を攻撃しない。彼はリーリンだけを、殺すか無力化するつもりだ。一応、降伏すれば命は助かる筈……。
「ははっ。そりゃ無理な話っすね。ウチ、依頼で来てるんで。エルルさんはこのまま連れていくっす」
「ほう? 俺から逃げられると? エルルを連れて? メスのお前が?」
「あははー。それも無理っすね」
「何を隠してる」
「……あはは」
言う間に。
エルドレッドの、ロープの魔法が発動した。ラス港で見た魔法だ。複数のロープを操り、対象を捕縛する。あの時は、ナイフを使って凌いだけれど。今は私は魔法を使えない。
「終わりだぜ。冒険者」
「!」
◇◇◇
一番、最初に反応したのは。
耳だった。目は、意味が無い。魔力は。
ジャキン。何か布製のような物質が刃物に切られる音。それが、複数回、小刻みに連続で。
私達に迫るロープが斬られたことはすぐに分かった。
誰が?
「………………誰だお前」
エルドレッドの声。
咄嗟に目を瞑ってしまっていた私は、恐る恐る瞼を開ける。確かにロープは、私達に到達する前に全て切られて、地面に落ちていた。
目の前に。
「…………あ」
背中。大きい。男性だ。ニンゲンの手。剣を握っている。ニンゲンの足。一般的な革靴だ。何の亜人――
魔力が視えない。彼はニンゲンだ。
――まさか。
「間に合った……! 遅いっすよ! アホジン!」
リーリンが叫ぶ。それを受けて彼は、ちらりとこちらへ振り向いた。
目が、最初に合った。ばちりと。月明かりで、顔が判別できた。くっきりと。
「………………ジン」
「……エル姉ちゃん。助けに来たよ」
それからはもう。
「…………っ!!」
視界が溺れてしまって、何も見えなくなった。




