第169話 母と魔界との距離
形式だけの裁判を終えて、私の周りの役人達はすぐに刑務所へ向かう準備に取り掛かった。
「急いでいるのね」
「!」
部屋のドアを開けるとロン氏が見えたので声を掛けた。彼も頻繁にホテルにやってきているようだ。
「エルル姫……。申し訳ありませんな。余計な期待をさせてしまい。……私が港へ出向いている間に判決は変わったようで」
「良いわよ別にそれは。……東オルスのイシア女子刑務所と言ったかしら。そこに、何かあるのね」
「…………はい。事情は私も先程把握しました。そこでのエルル姫の刑務が、『国防』に関わるそうで」
「……は?」
「申し訳ありませんな。これにて失礼いたします」
そう言ってまた、彼は慌ててどこかへ去っていった。
「国防? オルスを攻める国があって、例えば私の魔法でそれを解決しようと……?」
部屋に戻り、ソファに座る。ルルゥがお茶を淹れてくれる。
マーズ茶だ。今はもう何とも思わないけれど。私が強姦された時の、印象の作物。ルフは意識的にこれを避けてくれていた。ルルゥは知らないのだ。彼女は悪くない。マーズの実はオルスの特産品なのだから。
「魔界だろ。オルス東端の海は魔海に繋がってる」
「!」
部屋には何故かエルドレッドが居た。彼本当に、デリカシーの欠片も無いのだけど。
「……人魔境界線の話? 確か、オルスの防衛は母の任務だったわよね」
「違うな。正確には『エーデルワイス一族』だ。人魔大戦末期に古い盟約がある。キャスタリア大陸のレイゼンガルド一族と国際国境騎士団。レドアン大陸のバルバロス一族とウラクト軍事同盟軍。ミーグ大陸……はちょっと事情が違うが。んで、オルス大陸のエーデルワイスとオルス自警軍。そこは最前線なんだよ。大戦が終わって境界線が引かれて、500年しか経ってねえ。『そろそろまた』なんて噂が出てる」
「!」
「まあ、あんたを急いで捕まえる決定を下すくらいには、現地で『何か』動きがあったんだろうな」
「そんな……」
魔界。ニンゲン界と魔界は、『近い』。魔族と関わりが殆ど無いのは、お互いに近付かないだけだ。魔物を無視すれば、オルスから例えば船を進めればひと月も経たずに魔界へ到達する。
そこからいつ、魔族が軍を率いてニンゲン界へ攻めてくるか分からない。そんな緊張状態が500年続いている。
その境界の要として、大魔法使いやニンゲンの大軍勢が各境界に配置されている。
エーデルワイスに、その『義務』があるのだとしたら。
私は。
「……実際、どうなんだ?」
「えっ?」
エルドレッドが、私を見た。
「冒険者ギルドは確か、『魔界入り』って基準があるんだろ。エルル、あんたは『それ』なのか? 魔族相手に、『生存』できるのか?」
「…………」
私は。
何故、母に魔法を教わって来なかったのだろう。
「……魔界入りの基準に満たしてはいないわ。そもそも、女性だけのパーティにはその資格が無いの。それに、あなたに敗けたばかりだし。魔術を使えるようになったと言っても、この程度よ」
私は弱い。もし強ければ、好きにできたはずだ。誰にも強制されずに、好きにどこでも冒険ができた筈。だけど、捕まり、ルフと離れ離れになり、こんなところまで連れて来られている。
私は弱い。
今はまだ。
「姫様……」
「…………」
その回答を聞いて。
エルドレッドはどうしてか、黙って部屋を出ていった。




