自由と無垢のルームメイト
初めて、人を拾った。
仕事を終えて、終電に揺られて辿り着いて。いつも通り真夜中。溜め息吐きながら、無常なほどあっけらかんと日を跨いでる、街の時計塔を見上げた。
その時計塔が何だか私を惨めな目で見下している様で、切なくなった。煌々とした光で目を痛めつけてくる。
ふと時計塔の足元を見ると、女性が座り込んでた。黒のショーパンとニーハイ。胸もお腹もはだけた際どいタンクトップに、デニムのジャケット。真冬に似つかわしくない格好。
彼女の露わな肉体は、薄らと時計塔に照らされている。というより、彼女が晒している感じだった。
彼女は体育座りで俯いたまま動かない。こんな時間に女が一人きり。絶対危ない。
「大丈夫、ですか?」
優しく労る声を、更に刺激しないように小さくして囁いた。
彼女が顔を上げる。私より若い、20歳位の女の子だった。
途端、私は息を止めた。
彼女は目を輝かせて笑っていた。口角をクイッと上げ、白に輝く歯を惜しみなく見せつけてくる。吸血鬼のように尖った八重歯が今にも噛みついてきそうで、でも妙に可愛く思えた。
「良かったぁ。声かけてくれたのが女の人で」
彼女はあどけない笑顔で言った。
この真夜中に、この世の中に、非常ににつかわしくない笑顔で。
私の中で、常識の壊れゆく音がする。棺のようなそれが、バリバリと割れてゆく。そこから手が出て、彼女へと伸びていた。
「家、来る?」
私は、考えよりも先に声が出ていた。
「えへ、うん」
彼女は更にニコッとして答えた。
私が期待した通りの、純粋な笑顔。
魔法にかかったような。一切の日常を封印し、心を解放し続けてくれるような、魔法の笑顔。
帰路の途中。言葉は、いらなかった。
家に着くと彼女は洗面台へ真っ先に向かい、ティッシュを使って両手で慈しむように八重歯を磨いた。
洗面台を向く彼女の無防備な背中から、非常識な翼が生えている様に見えた。
吸血鬼?天使?どっちでもよかった。
朝。彼女はもう居なかった。
あの翼でまたどこかへ羽ばたいたんだ。
私の心には、彼女が住み着いたまま。
そう、心のルームメイト。
彼女は私のつまらない日常を、心と体から追い出してくれた。可愛い笑顔と八重歯で。
私の八重歯が鮮烈に輝いている。
誰かを救いたいと。
私は救血姫。
血を吸って救う姫。