転生者をどうにかしたかった魔術師
男の子を一人、転生させたと王様が言いました。魔王の進軍に私たち人類は耐えられなくなって、ついに一人、連れてきてしまったそうです。転生者は私たちよりも遥かに優れた、格の違う魔力を持ち、こちらには代償も無く魔法陣に召喚されるというのですから、連れてきてしまったのも無理はないのでしょう。いつかはやるのだと、私たちは皆、理解して時には待ち望んでしまっていたのですから。
交通事故で死んでしまったという、志半ばの少年を一人、王様と宮廷魔術師様は全く違う世界線から連れて来ました。それから、十分なお金と立場と人員を宛てがいました。
私もその一人です。宮廷魔術師様程ではありませんが、国でも有数の魔術師に名を連ねている私は当然のように転生者一行へと加えられました。
転生者の名前はユウキと言うそうです。ユウキは珍しい色である黒い髪と黒い瞳を持ちながら、ごくごく普通の学生のような立ち振る舞いでした。歳は十六歳だそうです。私にも、このくらいの時期があったと思い返し、微笑ましくなりました。
「これからよろしくね!」
転生者一行の懇親会で自己紹介をした際の、私たちへの一言をよく覚えています。この言葉は生涯忘れることはないのでしょう。ユウキは悲嘆や混沌、絶望、思考の放棄が満ちるこの世界で、唯一の暖かな陽だまりの希望を携えていたのです。
いつからか暗闇を好んで覗くようになっていた私たちは久方ぶりに、陽だまりの元に集まることができました。
「僕たちなら、できるよ」
魔王に立ち向かうことは無謀であると言えます。この頃、魔王はとうに人間を上回る知恵を発揮するようになっていました。
挑む前の敗北を知っている私たちには、ユウキの底なしの自信が私たちの失われた自信に繋がったのです。
それを見て、実感して、王様の提案に了承しました。
交通事故で死んだという少年の魂は、私たちに忘れたことを思い出させ、失くしたものを満たしてくれたのですから、それだけで報いる価値があるのです。
私たちは、ユウキという少年が魔王の元へ五体満足で辿り着くようにしなければいけない。
私たちは、ユウキという少年がこの戦争のあとも両手と両足、五感の全てを持ち合わせて生きることができるよう、尽力しなければいけない。
王様は私たちに命を懸けてユウキに仕えることを命じたのです。彼に命を懸けることは当然です。魔物の危険を知らない少年が、魔王に辿り着く前に歩くことができなくなってはいけないのです。ユウキには、私たちの未来が託されてしまったのですから。
何よりユウキは子供です。全てが終わったあとに何処にでも行ける身体は残しておいた方が良いのです。
転生者一行の中に、同じく十六歳の息子が居た聖騎士が居ました。
彼は、泣いていました。
ユウキは魔王討伐のゲームをやったことがあると言います。お友達と一緒に、お家でも遊んだそうです。
ゲームの魔王討伐は仲間を集めて、時には村に行き遊び、美味しいものを食べ、仲間内で星空の元語らいながら火の番をするそうでした。
私たちは、ユウキの思う魔王討伐を与えることができず、罪悪感と謝意でいっぱいになりました。
一番最初に死んでしまったのは、聖騎士です。魔物に食い殺され、足の小指の骨しか見つからなかったという息子と、ユウキを重ねてしまったのでしょう。真っ先に庇い、かけた腕や潰れた片目を気にすることなく三十匹の魔物の群れを一人でねじ伏せて力尽きました。最後まで、ユウキは彼の手を離さず、震える肩を押さえつけて彼の死を看取りました。
二番目に死んでしまったのは、聖職者でした。ユウキはやはり、十六歳の戦いをしらない少年で、力を向けること、向けられることに慣れていなかったのでしょう。死角からの狙撃を庇い、頭に小さな穴を残して聖職者は倒れ伏しました。彼女は神に昼夜問わずユウキの無事を祈っていました。きっと、狙撃に気付くことができたのは神の思し召しだったのです。何かに突き動かされるかのように、指のかけた手でユウキを引き寄せ腕の内に匿いました。最期の言葉もなく天に召された彼女の最後の景色は、ユウキの黒々とした艶やかな黒髪でしょう。ユウキは力の入らない、重い彼女の身体をただ受け止めていました。
三番目に死んだのは護衛の剣士です。かつて先代の王様直属の護衛であった彼は、ユウキを孫のように可愛がり、部下のように稽古をつけ、友のように褒めたたえました。既に年老いていた彼は、しかし剣筋は鈍ることなく、魔物の血液ひとつユウキにかかることのない位置と素早さで数百の魔物を切り捨てました。けれども、やはり年老いてしまっていたのです。柄を握る手のひらが突然開かされ、剣が遥か上空へ飛び、その間に胸を大きく切り裂かれました。魔物の爪は毒を帯びる場合もあり、彼を切り裂いた爪はまさに毒でした。若かったのなら体力があり、耐えることのできた毒に耐えられず、私の回復魔術を待つ間に、大きく息を吐いてしまいました。それから、新たな空気を吸うことはなく、ユウキの頬に皺だらけの手を置き、毒に侵されているとは思えない微笑みを浮かべて、「さようなら」を言ったのです。ユウキは、濡れた頬を誤魔化すようにして笑い、彼を見送りました。
残るは私一人です。しかし、私も五体満足ではありません。膝から下は枯れ枝を魔術で補強した義足をつけています。鼓膜が傷ついているのでしょう、片方の耳がほとんど機能をしていません。
けれど、ユウキは無事です。
傷一つ無い、美しい肌をそのままに呼吸をしています。私たちは、私は、それだけで義足の痛みすら無くすことができるのです。
私とユウキだけになったしまった転生者一行は、明日、魔王城へ乗り込みます。
魔物の軍団を、ユウキは桁の違う魔力を用いた魔術で一掃しました。ユウキは成長したのです、十六歳の少年は見間違えるほどに強く逞しくなりました。
これならば、この世界で生きることができるでしょう。
曇り空の夜の下、小さな火を私とユウキは囲っています。
「明日、だね」
ユウキは笑顔を絶やしませんでした。魔王城を目前に、怯えるどころか喜色すら見せているのです。
私が怯えていてはいけないと、自分を律することにしました。
「これで、終わるんだね」
えぇ、と私は頷きます。
やっと、長い戦争が開けるのです。
「でも、みんな、死んじゃったよ。僕が、もっと力を使えていたら、こんなことにならなかったのに」
それは違います、私たちは何も知らないあなたに大きすぎる責任を乗せてしまっているのです。あなたが私たちを責める道理はあっても、私たちがあなたを責める道理はありません。
「優しいね。ここの人達が優しいから、僕はがんばれたんだよ」
優しいなんてとんでもない、私たちは、重罪人です。とても、ユウキに感謝される人種ではないのです。
「重罪人?そんな訳ないよ、僕は感謝をしてるんだよ」
なぜ、感謝されるのでしょうか。私は不思議に思いました。
そういえば、どうにも、おかしいと思っていました。
「……これね、本当は、王様から魔王討伐が終わるまで言うなって言われてたんだけど」
十六歳の少年というのは、もっと身勝手で、やりたいことがたくさんあるはずなのです。魔王討伐などという、命の危機に晒されるようなものを、やりたがるはずが、ないのでは。
なぜ、自ら進んで、経験したこともないような、危険の中へ。ゲームでやったというだけでは、魔王討伐をする、理由には、なり得ない、と、思う、のです。
ユウキは、とても、無垢で、私たちにはもう無い、はずの、陽だまりを。
言い換える、のならば。平和しか知らない、十六歳の少年。
「魔王討伐が終わったら、僕を元の世界に戻してくれるの。死んだことをなかったことにして、お父さんとお母さんの所に返してくれるって。友達とも、また遊べるんだって。あぁ、早く帰りたいなぁ」
私は、王様が私たちに、身代わりになれと言ったことしか、知らない。
頭が、真っ白になりました。魔王など、怖くなく、なりました。
いま、この世で、いちばん、怖いものは。
「お母さんのご飯が、また食べたいんだ」
ユウキ。あなたが、二度と、父と母の元へ、いけないこと。あなたのお友達とは、永遠に遊べないこと。
転生者は、元の世界には帰れない。
私たちは、重罪人だ。
許されてはいけない。
異世界転生をさせるという、罪の重さをようやく自覚しました。
魔王討伐は終わりました。早く終わりました。私は魔王討伐など終わらなければ良いのにと思いました。
魔物の軍勢が恋しく、私の失われた手足など安いものに感じました。魔物の軍勢に失われる命すら、ユウキの前には無に等しいのです。
ユウキは五体満足の身体です。私たち肉壁がユウキを、その名の通り命懸けで守ったのですから。
一体、なんのために。
この十六歳の少年を、なんのために。
国への帰路は重く苦しいものでした。幻肢痛に苛まれることすら許されない。罪は今やこの世界にのしかかっているのです。
ユウキは嬉しそうでした。彼は人の顔色を伺うことを知らない。愛されて育ち、当たり前に身が守られ、死が隣にいる感覚も知らない環境にいたのでしょう。
ユウキは私の無くなった手足を何度も申し訳なさそうに撫でました。暖かい手のひらが、罰のようでした。
死んでしまった聖騎士、聖職者、剣士が羨ましいと同時に死んでいて良かったと、安堵します。
聖騎士が居なくてよかった、騙された十六歳の少年を見たら、彼は耐えることができなかったでしょう。
聖職者が居なくてよかった、信じ込む十六歳の少年を見たら、彼女は神を憎むでしょう。
剣士が居なくてよかった、この先を知らない十六歳の少年を見たら、彼は怒りのあまり王様を殺すでしょう。
私だけが残された帰り道。知らない歌を口ずさみ、私を慰め歩幅を合わせる心優しいユウキ。
燃えるような夕日に、本当に燃やされたいと願いました。
転生させることは罪である。
これは昔、世界戦争が起こった際に決められた国際法です。私たちはそれを守り、生活してきました。
けれど、今。国際法すら機能できない、崩壊しきった人類の文明の前では道徳など投げ捨てられました。
投げ捨てられた道徳。それが、ユウキという存在です。
国は既に眼前です。
ユウキは浮き足立っています。私は、足を止めてしまいたいです。
ユウキは幸せになれない。魔王討伐を果たした少年は、元の世界に帰ることはできない。魂は元の世界へ帰ることを許されず、この世界で輪廻転生を繰り返すでしょう。
ユウキの父や母の元には、ユウキという魂は存在することがなくなったのです。
私たちは、一度でも転生者待ち望んだことがあります。罪です、重罪です。きっと、死刑が相応しい。
昔、転生させることを罪とした人達は、このような気持ちだったのでしょうか。同じ状況で、同じことを感じたのでしょうか。
ずっと心臓が音を立て、汗が止まりません。
魔王など、可愛らしいものでした。
私たちは、魔王よりも恐ろしい。
「あっ、お城が見えたよ!あと少しだね、ちゃんとした義手と義足を貰って、それで美味しいものを食べよう!そうしたら僕たちはお別れだね」
ユウキは良い人です、人を疑うことを知らないのです。そこに、付け込まれたのでしょう。
王様はなぜ、本当のことを言わなかったのでしょうか。ユウキにも、私たちにも。それほど、切羽詰まっていたのでしょうか。王様は嘘をつき、騙し、無駄な希望だけを与えて、ユウキに傷を与えるだけでした。
王様は、王様として色々考えたのでしょうね。
一人を犠牲に、大勢を救うことができる。とても、合理的です。非人道的だと思われても、それに救われなければ私たちの歴史は終わっていたのですから。死者は増え、魔物が土地を奪い、魔王が人類の代わりに世界に君臨する未来は、そう遠くはなかったのです。
ユウキが現れるまでは。
私たち人類から見れば、王様は合理的な判断で多くの命と歴史を守った偉大な人物になるでしょう。
ただ、それが私には耐えられそうにありません。
「お父さんとお母さんが、僕の誕生日にゲームを買ってあげるって言ってたんだよ。なんのゲームにしようかずっと悩んでたんだ。あと、友達とも出かける約束をしてたから、すごく楽しみ。みんな、元気かな」
ユウキ、ユウキ。希望に騙されているあなた。
今、ここで死んでしまうのは如何ですか。
絶望より希望の方が良いのです。当たり前ですよね。
ユウキより私たちの方が、今の私たちの方が絶望を知っています。私たちは魔王のおかげで絶望の苦しみを知っています。ユウキは私たちよりも深い絶望を味わう必要はないのですよ。
たとえまやかしの希望だとしても、ユウキが何も知らなければ、それは本物の希望として存在し続けるでしょう。
暖かな陽だまりを与えてくれたユウキを、私は冷たく暗い水底へ突き落とすことはできません。
いいえ、させません。
私はユウキを守るため、ユウキに仕えたのです。その勤めを果たさなければいけません。
私のことを愚かだと言う人は居るでしょう。真実は伝えるべきだと、それが筋を通すものではないのかと。
愚かなことはわかっています。
ですが、愚かになることと、ユウキが絶望の底なし沼へ落ちて行くことが天秤にかけられたのであれば、私は愚か者になります。
後ろ指を刺され、外道だとでも言われれば良いのです。石を投げられ、火に巻かれてしまえば良いのです。
黒々とした艶やかな黒髪が赤黒い土に汚れました。笑顔のまま、瞳の輝きは失われました。
どこかへ飛び立ったユウキの魂へ、ごめんなさい。
頭と身体のふたつを、私は丁寧に抱きかかえて城へ向かいました。ユウキの知らない歌が頭の中で流れていたので、口ずさみました。
ユウキの世界の鎮魂歌を私は知りませんでした。なので、耳馴染みのある曲を弔いにしましょう。
城のものは私を見て、哀れみの目を向けました。魔王にやられたとでも思っているのでしょうか。
王様は待っていました。
私は言いました。
「私を死刑に」
心臓は驚くほど静かで、止まっているほどです。
「それから、二度と転生者など出さないよう転生に関する魔法書の破棄を」
ユウキ、ユウキ。最後に希望だけを見て、死ぬことができたでしょう。このような方法しか選べなかった私を、ユウキはきっと恨むでしょう。
「ユウキに誰よりも丁寧な葬式を」
王様がユウキにどんな風に真実を伝えたのか知りたいとは思いませんでした。どのような方法を取っても、ユウキは深く絶望するのですから。
「……魔王は、ユウキによって討たれました。役目は果たしました」
優しい、まだ十六歳のユウキ。世界の救世主である転生者を殺した愚か者は。
「ユウキは私が殺しました」
それから私は、ユウキの頭と身体を丁寧に地面へ置き、逮捕されました。
古びた牢屋の居心地すら良すぎて、私は早く死にたくなりました。
世界が魔王の脅威に晒されなくなった、ある日のことでした。ひとりの愚かな魔術師は断頭台に立ち、晴れ渡った青空と嫌悪の眼差しを見つめました。
もはや魔術師は、恐れる物が存在しない化け物だったので、小さな春風を頬に感じのでしょう、晴天の心地良さに目を瞑ったそうです。
この世界の誰も知らない歌を口ずさみ、首筋に刃物が落ちる最期まで、魔術師は軽やかなリズムに身を任せ、一切怯えを見せませんでした。
こうして、世界は本当に平和が訪れたのです。
「お母さん、どうして魔術師は救世主様を殺しちゃったの?」
「きっと、とても力の強い救世主様が怖かったのね。救ってくださったのに、ひどい仕打ちだわ。ユウキは、魔術師のようになってはダメよ」
「わかってるよ。このお話はみんなが知ってるから、僕たちの中には魔術師みたいな人はきっと、うまれないよ」
「ふふ、良い子。救世主様も、『救世主を殺してしまった魔術師』の物語が広まれば、報われるわね」
「救世主様が生まれ変わって、幸せならいいなぁ」
「あれだけのことをした救世主様だもの、素敵な人たちに囲まれて幸せに生きているはずよ」
「僕みたいに?」
「そうよ、ユウキみたいに。可愛いユウキ、おやつにしましょうか」
「やったぁ!お母さんの作るおやつ、大好き!」
「そんなに褒めても、おやつは増えませんよ」
転生者が居たという事実は薄れ、やがれ消え果て、ただ救世主と彼を殺した魔術師が居たという事実にすり変わりました。
この世の誰も、転生者のことを知りません。
王様は魔術師の言った通り、転生関する魔法書を全て破棄し、知識すら根絶やしにしました。転生という知識の無くなった世界は平和に包まれ、小競り合いはありますが、それも全てこの世界の住民で解決できます。この世界で生まれたもので、手に負えないものなど、最初から存在しなかったのです。
魔王が現れる兆候も、転生者の兆しも、もはやありません。




