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ミーナ・ファロン物語  作者: オサ
21歳から22歳への話
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86 夜襲

86 夜襲


 戦場から少し離れた丘陵に本陣を構えたミーナ軍は、3日目を休養日として兵士を休ませる間、首脳部による作戦会議を続けます。続けますが、良い作戦を提示する幹部はいません。防衛に適した敵の動きに付け入るスキはなく、こちらの犠牲を無視しての決戦に挑む選択肢がない以上、皆が賛同できるような案を出す事はできません。

「目前の敵に、ベッカー伯爵がいると思うから、何とか倒したいけど。倒すのは容易ではないと思う。ここで時間を費やすのは良策ではないから、一度ケールセットに戻るか。ガリウス男爵領に救援に向かって、街を囲んでいる敵兵を撃つか。どちらかしかないと思う。」

 赤騎士カールの意見に明確に反対できる部隊長達はいません。この戦場で得られるものがないと理解しているため、皆が撤退案に賛成します。

「私も撤退に賛成です。時間が経過すると、敵が男爵領から戻ってきます。敵兵に囲まれるような事があれば、大きな犠牲が出てしまいます。」

 形式的な司令官であっても、リヒャルトが撤退を口にした以上、これを覆すのは、ミーナがイシュア国宰相の権限を使っての命令しかありません。

「リヒャルトがそういうのであれば、撤退をします。ただ、追撃される事を考えての撤退をしなければなりません。」

「殿は私がやります。姉さん。」

「カール、言い出した者が危険な任務を担うというのは無意味な考え方よ。殿は、弓術に優れた私が適任よ。」

「いや、姉さんは、司令官なんだから。そういう。」

 左手を出して従弟の言葉を遮ったミーナは、司令官としての命令を伝えます。

 撤退の第一陣として、第5騎士団とリヒャルトと負傷兵が、物資を輸送しながら夜陰に紛れて戦場を離脱します。次の晩に、重装歩兵の部隊を夜間に離脱させます。その後、残りの部隊が3日間、敵軍の動きを監視した後、6日後の朝日と共に全面撤退を行います。

 追撃を仕掛けてくるまでに、平野部から丘陵が続く道へと入る事ができれば、ほぼ無傷で撤退ができる作戦に反対する者はなく、この日の夕刻からミーナ軍は撤退第一陣の準備を急速に進めます。

 2日目の夜、重装歩兵を送り出したミーナ軍は、敵軍の動きを警戒しますが、ベッカー伯爵軍には動きはありません。

 男爵領に向かった味方が引き返してくるまで防衛に徹するベッカー軍にはやはり付け入る隙はなく、ミーナは冷静沈着な敵将の選択に感心します。ただ、撤退時に足手まといになる兵士達を先に送り出す事ができた事には安心しています。

 ケールセットの町に戻ってから、政治的な動きで伯爵を封じ込める策を実行しなければならないと、次の一手を考え始めます。


撤退を決めてから4日目の夜、ミーナ軍の本陣に急報が入ります。ベッカー軍が夜襲を企てて動き出すという情報ではなく、ガリウス男爵領から撤退してきた兵士が、ケールセット方面から進軍してくるという情報です。

「どんなに急いでも戻ってくるまでに7日ぐらいかかるはずでは?」

 ミーナに呼び出されたカールは驚くと同時に、魔石の僅かな輝きの中、不敵な笑みを浮かべている姉の気迫に圧倒されます。

「敵が夜襲してくる想定はしてあったでしょ。」

「そうですが、ガリウス男爵領で包囲をしていた部隊がここに来るとは・・・。部隊が動いたのであれば、こちらの諜報部隊が感知したはず。」

「敵はドミニオン国全体なのよ。他の貴族が軍を組織して動いたのよ。南下して、ベッカー軍と途中で入れ替わっていたのよ。」

「こちらが監視していたのは、別の部隊だったという事なのか。」

「そう考えるしかないわ。」

「囲まれると脱出が難しくなるのでは。」

「囲まれれば、ここに残った2000ではどうにもならないけど。今なら脱出はできるわ。カールは2000を率いて、敵が包囲を完成する前にケールセットへの道へ向かって。」

「という事は、姉さんは。」

「言うまでもなく、夜襲のために動き出しているベッカー伯爵軍を混乱させて、彼を倒すわ。」

「エリカティーナと一緒ですか?」

「私の知らない所で行動されるよりは安全だから。」

「お姉様、武器を持ってきました。」

 小さな荷台に武器を満載した馬車と共に登場したエリカティーナは暗闇の中、楽しそうな声で姉に話しかけます。6000の敵兵を足止めするのは容易ではありませんが、姉ミーナと2人だけで、それを成し遂げるのが楽しくて仕方がありません。さらに、ベッカー伯爵の首級を手にできたら、どれだけ姉に褒められるのかと思うと、妹の心は躍ります。

「カール、撤退指揮を任せるわ。向こう側で魔石が強く輝いたら、丘を降りて、ケールセットに向かって撤退。途中で私達を待つ必要はないわ。町で会いましょう。」

「はい。」

「頑張ってね。」

「ああ。」

 重装備の赤鎧ではなく、赤黒い魔獣皮で全身を包み込んだ軽装備に身を包んだ姉妹は、荷馬車に乗ると丘を下ります。


 イシュア歴393年10月7日、新月の夜、ベッカー侯爵軍は引き篭もりの巣を放棄して、敵が陣を構えていた丘へと向かいます。撤退するルートには、遠征先から急遽呼び戻した4000の兵が配置されつつあります。

 敵の一部が撤退するのを見逃したのは、ベッカー軍が完勝するためです。伯爵軍の完勝とは、打撃を与えて敵を追い払う事で、敵将リヒャルトやミーナを討ち取る事ではありません。強者と言われているミーナ軍が、伯爵軍の攻撃を受けて撤退したという1つの事実を手にする事ができれば、後は政治力を駆使して南部貴族を切り崩す事ができます。

 その筋が見えているから、伯爵は、先行離脱したであろうリヒャルトを追う事なく、護衛の兵と共に逃がします。丘に残る敵兵が少しでも減れば、撃破のための夜襲での成功率が上がります。目的外の戦果を望むことが、大きな油断である事を名将は理解しています。

 3つに分かれた部隊に指示を出すために、火矢を用意させている最中、伯爵中央軍の目の前で、光の矢が打ち上がります。満月よ明るい鋭い光の矢が、一瞬にして中央軍兵士達の目を奪います。

 魔石による強烈な輝きを遠目で確認した伯爵軍の左右両軍は前進を始めます。戦闘開始の合図だと勘違いしたのは仕方がありません。3軍が一気に丘に攻め上がって、敵を追い落とすのが作戦であり、大切なのは3方向から同時に攻める事であり、そのタイミングを逃す事はできません。

 だから、エリカティナの放った光の筋は、伯爵軍への総突撃の合図と勘違いさせます。

「お姉様が交渉しようとしているのに、無視するアイヒベルガー王家を恨むのかしら。それとも、ベッカー伯爵を恨むのかしら。」

不敵に笑っている美少女は、矢じりを炎の魔石に付け替えた矢を敵左軍に向けて次々と放ちます。炎の筋が2本目、3本目、4本目とベッカー左軍に入っていくと、1本目の炎の矢が着弾した地点から大きな炎を巻き上げます。

合計10本の炎の矢が打ちこまれた時、5本目の矢の着弾点の炎が大きくなり、どんどん燃え広がっていきます。

「よく燃える。毎晩枯れ草を撒いておいたから、良く燃える。枯れ草の広がっているこ子で火を使うと、味方も一緒に焼き尽くしてしまうのだけど、今なら・・・・・・。やだ、独り言なんて・・・。お姉様の所に戻ろっと。」

炎に包まれた左軍の死者は多くありませんが、火傷を負う者は多い上、炎による奇襲を受けたため早々に丘の上に攻め上がる事を断念します。とりあえず、炎のない方に怪我人を抱えて逃げるのに精いっぱいになって、戦場から離脱します。

ベッカー軍の右軍は順調に丘への接近に成功して、駆け上がろうとしますが、泥の大地に足を取られます。雨も降っていないのに、どうしてと驚くほど広い地域に泥濘が発生しています。

カールが逃げる前に、丘の上から水の超魔石を使用して流した水が、固い大地を柔らかく不安定な大地へと変えます。進軍できなくなった先頭を圧迫するように、後衛が次々と泥濘地帯に突入してきます。身動きできない兵士達が怒号を発するようになり、丘上への夜襲は完全に失敗します。


カール率いるイシュア軍は、ケールセット方面へと駆け出します。その方面には4000近い伯爵軍が防衛網を敷いていて、夜襲を受けて遁走するイシュア軍を殲滅するために待ち構えています。

「突撃せよ。眼前の敵兵を一気に殲滅する。」

包囲網を敷くために薄く広がった敵兵を切り裂くのは簡単であり、ほぼ無傷で一か所を突破すると、ミーナ軍は退路を開きます。

包囲網の裏側に出たカールは、最後尾の弓兵達に方陣を敷かせると、数本の松明を掲げさせます。敵に自分の居場所を教える事で、火に集る虫を集めて撃退する作戦を展開します。

包囲網の一部が完全に突破されたと勘違いしたベッカー軍の兵士達は、穴から逃げようとする敵兵を追撃するために殺到しますが、悉く射殺されます。イシュア軍が突破したと考えている穴には、弓兵達の方陣が待ち構えていて、伯爵軍は暗闇の中、見えない矢の攻撃で絶命させられます。

流石に、イシュア国が作った脱出口から、絶命の声が聞こえてくると、目印になっている赤い松明が、死への誘いであることに気付きます。500近い兵士達が矢を受けた頃、伯爵軍は様子見のために動きを止めます。


馬車の荷台の上に登ったミーナは、その場から矢を射続けます。敵兵が重装備でなく軽装備で盾も持っていないため、目の前の敵の集団に対して一撃一死の水平射撃を次々と繰り出す事ができます。

「ぐが。」

「わぁ。」

「敵はどこから撃っている。少数の部隊のようだ。」

 たった1人の攻撃だとは思わない中央軍は、1秒ごとに発せられる呻き声と絶叫に戸惑いますが、精鋭達の部隊長は暗闇の夜襲中であっても対応を心得ています。

「一度足を止めろ!!!盾兵は前面に出ろ!!!比較的装備の厚い者も前に出ろ!!!頭部さえ射抜かれなければ死ぬことはない!!!敵は少数の部隊だ。慌てるな!!!敵の位置を見定めれば、我が軍は勝つ!!!左側の炎は草地に火を放っただけだ!!!敵兵が逃げ出している証である!!!慌てるな!!!夜襲は成功している!!!最後の一撃を与えれば、勝てる!!!」

 全軍進めの声を上げれば、瞬時にミーナを飲み込むことができる距離で、伯爵軍は足を止めてしまいます。敵兵に飲み込まれても闇夜の近接戦で次々と敵兵をなぎ倒す事はできますが、今しばらくは矢での攻撃を繰り出す事ができるようになった青い目の狩人は射続けます。暗闇に目が慣れているため、盾がどこにあるかは見分ける事ができるため、1秒ごとに声を発せさせる攻撃は続きます。盾兵と言っても、全身を隠す事ができる大きな盾を持っている訳ではなく、片手で持てる程度の大きさの盾であり、防壁のように隙間なく並べる事はできません。

 そろそろ倒れ込んだ兵士達の位置から、射撃砲台の位置が分かりそうになる頃、炎の矢が一本、別の方向から伯爵軍に飛来します。

「向こうだ。」

 ミーナのいる位置から視線を外した兵士達は横から矢で射抜かれていきます。二地点から尾弓攻撃のどっちに盾を向ければよいのか分からなくなった兵士達は、次第に密集して複数の方向からの矢を防ごうと動き始めます。

 夜襲中にも拘らず、完全に防衛体制を取った伯爵軍は、自らで動く事を放棄します。その隙に、エリカティーナがミーナの元に駆け付けます。

「お姉様。」

「エリカ。息は整っている?」

「行けます。」

「光の矢を放ったら、敵に突っ込む。一番後方にベッカー伯爵がいるはず。これを討つ。」

「分かりました。」

「目を閉じて。10数えたら、突撃する。はい。目を閉じて。」

「1。」

 カウントダウンが終わった後、ミーナとエリカティーナは双剣を抜き放って突撃します。最前列の敵兵の中に進入しようとした瞬間、大きな太鼓の音が戦場に響き渡ります。その音と共に伯爵軍が、進撃方向と逆を向きます。

「逃がさない。エリカ、続いて。」

「はい。お姉様。」

 暗闇の中、周囲の状況が理解できない兵士達は混乱していますが、退却の太鼓の音が鳴っているため、ただ逃げる事だけに専念します。背後から迫ってくる2人の死神に追いつかれると確実な死を迎えますが、その度に一瞬だけ死神の足を止める事に成功します。

ただ逃げ惑う集団も、肉の壁と考えると、すぐに修復しながら移動する分厚い壁であり、それを突破するのは、ミーナとエリカティーナの武力があっても不可能です。

「これ以上は無理ね。伯爵は馬で逃げているだろうから。追いつくことはできないわ。これ以上疲労を貯めると、私達が脱出できなくなる。」

「はい。」

 この日の夜襲でベッカー伯爵軍は、ミーナ軍を撃退したと嘯きますが、実際は1200名を超える死者と、その2倍を超える負傷者を出していて、戦闘そのものでの評価は、大敗北という事になります。


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