84 大収穫
84 大収穫
王弟リヒャルトが王都に送った書簡は無視され続けます。内容は、王弟から臣へと下り、伯爵位としてケールセットの街を中心とした、モーズリー街道につながる地域一帯を領地として治めたいというものです。そして、ドミニオン国とイシュア国との間に、不可侵条約を結ぶ事も提案しています。
モーズリー高原を侵略されたミーナにしてみれば、イシュア国が譲歩している提案は、こちら側の寛大さを示しているものです。しかし、ドミニオン国側から見れば、領土割譲を認める提案を押し付けてくるイシュア国に対して、寛大さを感じる事はなく、侵略の第一歩として地固めをしているようにしか見えません。
ドミニオン国アルフォンス王は、政敵になりかねないと考えて、リヒャルトの抹殺を容認した経緯があるため、今更敵方に通じている弟を、王弟として認める事はできません。提案を受け入れたからと言って、万事がうまく行く保証はありません。敵方にいるリヒャルトを正式に王弟と認めた場合、敵国に弱みを握られる事にもなり、さらなる侵略に加担する事と同義であると考えます。
現状を打開する具体的な策を王は持っていませんが、それを持っている人間がいて、自分の配下にいる事を理解しています。アルフォンス王は、ケールセットの街からイシュア軍を追い出す作戦に許可を与えます。
イシュア歴393年9月下旬、南部地域は二毛作の豆が大豊作になる事に大歓喜します熱波の影響でぐんぐん成長した豆は、ペンタス教授の正しさを証明します。それと同時に、イシュア国との貿易と交流が、凄まじい利益を生み出す事を証明します。単なる異国ではなく、自分の国にない物品や知識、技術を持った異国と協力できる事が、これだけの利益を自国にもたらす事に驚きながら喜びます。貿易で潤うのは領主や大商人達でしたが、今回の農作物での大収穫は、全ての住民が収入を2倍にするのに等しく、地域全体が歓喜の声を上げます。忌々しい熱波も、豆の育成に大きな貢献をもたらすと聞くと、感謝の対象になるほどです。
民衆も含めて全員が、大収穫祭の検討を始めようと考えて、行動しようとしている中、会議室に集められたケールセット行政府の主要メンバー達は、予定通りの横やりが入ってきたことに驚きはしませんが、不快感を前面に出します。
「以上が、ベッカー伯爵軍の動きです。」
「報告ご苦労。下がって休息を取りなさい。」
「はっ!」
ベッカー伯爵軍6000が、ケールセット方面に出陣するのではなく、そのまま南下して、フェルマー侯爵領に近いガリウス男爵領に向かっているとの情報が入ってきます。ベッカー伯爵が直接対決に出陣するのであれば、自領内での決戦と言う有利な状況を作り出す事ができますが、彼がそのような愚策を取るとはミーナも考えてはいません。
ケールセットの町ではなく、別の所に攻撃を仕掛けるだろうと考えていたミーナは、こういった場合の対策をすでに考えています。取るべき作戦は決まっています。
「主力軍を率いて、ベッカー伯爵領に向かいましょう。」
「待ってください、姉さん。手薄になった伯爵領に攻撃を仕掛けて、敵の部隊を引き返させる作戦は妥当ですが、ベッカー伯爵は、この作戦の有用性を理解しているはずです。罠かもしれません。」
金髪青目の若戦士カールが進言します。ミーナの元で、軍事を叩きこまれつつあるエリック叔父様の長男は、17歳ながらも将軍の威風を纏っています。
「罠でしょうね。伯爵領だけの動員力だけでも12000と言われているのだから、伯爵領には6000の兵力が残されていて、我が軍の進軍を待ち構えているのでしょう。」
「私はミーナ司令官に従う。」
「テリー、何でも姉さんに任せればいいって訳はないんだぞ。」
「そんな事は分かっている。だが、ベッカー伯爵の動きを読める人間は、司令官しかいないのだから、従う他はないだろう。」
アラン叔父様の次男テリーは、内政面での活躍が目立ちますが、オズボーン公爵家の人間兵器の1つである以上、戦闘においても一騎当千の武力を有しています。戦場においては、ミーナと同等の事ができる2人は、副司令官役でもあります。
「私達には、ベッカー伯爵領に向かう以外の選択肢はないわ。地図を見ながら説明するわ。」
ミーナは、会議室の大テーブルに南部の地図を広げます。
「敵は、ガリウス男爵領に進軍と言っても、狙いは農作物の徴収だから、町を囲んで攻めるような事はしないわ。このタイミングでの出陣という事は、男爵が城壁内に籠城すれば、収穫前の豆をごっそり奪っていくだけの事。」
「ガリウス男爵領の規模では、2000程度の迎撃軍しか集まらないから。豆を奪われても、見過ごすしかないですね。」
「テリー、フェルマー侯爵が救援軍を出すだろう。6000程度は出せるはず。」
「2人とも、話を聞くように。」
「はい。」
「はい。」
「伯爵軍は、迎撃してきた兵が少なければ、戦場での戦闘を選ぶけど、フェルマー侯爵軍が出てきたら、他の領地に向かって逃げ出すわ。物資だけを刈り取れればいいのだから、こちらの援軍を待つことはないわ。しかも大軍であるフェルマー侯爵軍と対決して、負けるような戦いは避けるはずよ。そして、それは私達に対しても同じよ。私達がガリウス男爵領に向かっても逃げられるだけ。私達が追い掛け回しているうちに、伯爵領に残っている兵士が、ケールセットの町を直接狙って動き出す。そうなったら、私達には、ケールセットを守るために戻るしか選択肢はないわ。各地を回って披露した上で、敵の主力の1つと戦うのは避けるべきよ。それに、途中で挟撃される可能性だってある。伯爵なら、その状況を狙うと思うわ。」」
「なるほど、俺たちが男爵領に向かえば、空になったケールセットが攻められて、戻った俺たちは挟撃される。ベッカー伯爵領に向かえば、ガリウス男爵領の部隊が伯爵領に戻ってきて、俺たちは挟撃させる。どっちにしても挟撃されるのか。」
「そうよ。テリー。どちらにしても挟撃させるのであれば、主導権が握りやすい、ベッカー伯爵領への進軍しかないわ。伯爵は本領にいるだろうから、攻め込めば直接対決に持ち込むことができる。もし、男爵遠征軍に伯爵がいるのであれば、伯爵領での戦いを早く終わらせて、挟撃されるのを防ぐ事ができる。戻ってくる伯爵が、本領を放棄する訳にはいかないだろうから、迎撃戦で伯爵を仕留める事ができる。それに、伯爵が何らかの策で対決を避けたとしても、男爵領に向かっている敵兵を撤退させる事はできるわ。」
ミーナは、ケールセットの防衛のためにテリーと2000の兵力を残すと、主力兵4000を率いて、ベッカー伯爵領へと出陣します。
白馬に赤鎧の女騎士が2人並んで行軍しています。少し背の低い方の美少女は、ずっとにやにやしていて、戦場に向かう人間のする表情ではありません。美しいのは否定しようがありませんが、周囲からは不気味に見えます。姉ミーナのために直接戦場で戦えることを喜んでいる妹は、この上なく気分が良い状態で、首狩場へと向かいます。
「リヒャルト、言うまでもない事だけど、あなたの任務は生き残る事よ。それだけは忘れないでね。」
「はい。」
黒馬に黒鎧の少年騎士は、今回の戦いの司令官として参戦しています。王弟ここにありを示すための出馬は、情勢を好転させる一手にはなりますが、討ち取られるような事があれば、深刻なダメージを受ける事になります。
それでもこの手を選んだのは、ベッカー伯爵を戦場に引き出して、撃破するためです。本物の登場で、伯爵の立場が以前よりも弱くなっているのは間違いありませんが、伯爵の勢力拡大が止まったという程度で、勢力そのものは健在です。元々、伯爵に敵愾心を持っていた南部貴族達が、明確に反意を示しただけであって、他の貴族達は王家の信任を得ているベッカー伯爵に対して、従順な態度を示しています。
「ただ、戦場では目立ってもらうから。私かエリカと一緒に動いて。」
「はい。分かっています。」
「逃げるように指示が出たら、私を置いてでも脱出を優先して。私は1人になった方が生存する確率が上がるのだから。」
「はい。」
「エリカ。」
「はい。お姉様。」
「無茶な攻撃だけはしないでね。」
「分かっています。」
「本当に分かっている?」
「もちろんです。」
「エリカ。良く聞いて、私にとって大切な妹は、エリカしかいないのだから、戦場で活躍するかしないかで、エリカの価値が変わる事はないの。だから、私のために、武勲を上げる必要はないのよ。」
「はい。分かっています。でも、戦場で勝つためには私だけでなく、皆が武勲を上げる必要があります。私も、それなりの武勲を手にする事になります。」
「武勲を上げるなとは言わないから、無茶な事だけはしないでね。」
「分かっています。自分の命の大切さは理解しています。メル様を支える任務に支障をきたす事はしません、」
「分かっているなら。いいわ。」
この日、見晴らしの良い丘陵に陣を設置したミーナ軍は、強行軍の疲労を癒すために、丸1日の休息を取ります。




