79 お披露目
79 お披露目
「本日は、リヒャルト王弟殿下に、フェルマー領にお越し頂いたこと、我が家の誉れであり、末永く語り継ぐべき慶事。また、王弟殿下の婚約者であられるイシュア国宰相閣下ミーナ・ファロン様を、皆様にご紹介できる事、フェルマー家だけでなく、南部貴族の喜びでもあります。」
「リヒャルト・アイヒベルガー王弟殿下、ミーナ・ファロン宰相閣下、ご入場。」
南部最大勢力を誇るフェルマー家の領都中心にある城塞の大広間に、主賓である2人が入ってきます。ドミニオン国でも武勇を振るった戦女神が、深紅の豪奢なドレスに身を包んで入場すると、会場入り口の貴族達から感嘆が漏れます。肩までしか伸びていない金髪についているのは、小さな緑の宝石の付いた髪留めだけですが、顔の作りと青い瞳の輝きで十分過ぎる美しさを示しているため、そのような事を気にする貴族達はいません。
悪魔のごとき凶悪で、災害のごとく破壊を与える戦士であると噂されるミーナが、これほど美しいとは思いも寄らなかった初見の貴族達は、ただただその美に圧倒されています。
その脇にいる頭1つ分低い王弟殿下は、社交の場ではミーナの添え物でしかありませんが、今回の主役として注目を集めています。本物かどうかの見極めをしなければならない南部貴族達は、真剣に赤髪青目のリヒャルトを見つめますが、見た目だけで真偽を見定める事ができる者はほとんどいません。
南部貴族達の中で、王都に滞在した事があり、王宮主催の社交パーティーに参加した事がある者は少なく、王族と顔を合わせる機会を持つ人間が極めて少ないです。王弟がイシュア国に拉致されたのが、社交界デビュー前という事もあり、直接会ったことがある人間はほとんどいないはずです。
だから、南部貴族達は、腕を組んで歩いている女性の方をしっかりと見ています。王弟が本物であれば、ミーナの家格にも、職格にも相応しい男性という事になり、7歳下の子供であっても尊重する態度を取り続けるはずです。2人の関係から真偽を見出すしかない彼らは。2人の仲睦まじい様子を探りますが、探るまでもなく、本物にしか見えません。
頬を赤く染めたミーナが、腕を組んでいるリヒャルトに何度も笑顔を向けているのを見て、南部貴族達は2人の愛情を疑う事はできなくなります。
「皆の歓待、感謝する。婚約者のミーナ・ファロン嬢だ。」
「ミーナです。」
美しく響く声に酔いしれそうになる貴族達の多くは、王弟殿下に相応しい美女が、イシュア国軍の総司令官として、ドミニオン国を侵略している事が信じられなくなります。2人が注目を集める中、2人の前でフェルマー侯爵が片膝をつきます。
「リヒャルト様、本日の御訪問ありがとうございます。しかも、僅か30名の護衛を連れての御訪問。我がフェルマー家をご信頼していただいた故と考えます。この御恩情に報いるに、我が家の忠の全てを捧げたく思います。お許しいただけますか。」
「許す。」
「ありがたき幸せ。これより、フェルマー家は、リヒャルト王弟殿下の忠実なる臣下として、領地統治、軍役、様々な任務を務めさせていただきます。」
「頼むぞ。」
「はい。ミーナ様におかれましては、此度の婚約、誠におめでとうございます。以前、我が家を救っていただいた事、忘れはしません。婚約者であるミーナ様にも、我が家は忠を尽くしたく思います。」
「リヒャルト様を共に支えて頂きたく思います。」
「はっ。」
茶番とも言える儀礼によって、フェルマー家は王弟殿下の直臣となり、その婚約者であるイシュア国宰相に配下に入った事になります。王弟と言う看板に頭を下げているため、フェルマー家が国王に対する反逆に問われる事はありません。むろん、リヒャルトとミーナを打倒した後であれば、反逆者の烙印を押して処分する事は可能ですが、国王がリヒャルトを排除しない以上、フェルマー家の行動には一定の理があります。
「参加者に申す事がある。私は5年前、王都でリヒャルト殿下の御前で剣舞を披露した事がある。王宮内での剣技大会でお会いした事がある。9歳であられた殿下は、可愛らしい男子であられたが、今、この場にいる戦士達は気付いておろう。14歳ながらもこれだけの大きな武威を持たれている事に。イシュア国で過ごした3年間の修行の中では、魔獣を討伐された。イシュア国では立派な戦士としての実力を示している。殿下はすでに立派な獅子であり、名誉あるアイヒベルガー王家を支える大きな柱である。私のように2人に忠誠を誓えとは言わぬ。それをお二人が求めておられぬからだ。だが、無礼は許さぬ。主催者として、お二人にご無礼がない限りは、本日のパーティーが無礼講であることをここに宣言する。」
ジルバッド・フェルマーは、リヒャルト王弟殿下の成長した姿を見て、ミーナ・ファロンが、歴史上稀な大英雄であると確信します。この大英雄と対立すれば、地理的に最初に討伐されるのが自分であるのが分かっているため、彼は侯爵家の全てをリヒャルト殿下に賭ける事を躊躇いません。
ベッカー伯爵を使って南部の食糧を強奪する現王家に比べて、僅かの供回りだけで侯爵領に乗り込んで来たリヒャルトの方が誠実で勇敢です。イシュア国のミーナ宰相が、傀儡にするために担ぎ出した人間であっても、リヒャルト王弟殿下が傀儡になる訳がない事を侯爵は理解しています。14歳という年齢で近衛騎士レベルの実力を持たせるまでの成長している事は、彼が誰かの意のままにしか動けない人間ではない事を証明しています。そして、リヒャルト殿下をここまで成長させたイシュア国が、単なる傀儡と扱わない事は確定しています。傀儡にする人間にここまでの教育を与える理由は存在しません。
また、殿下が仮に傀儡であっても、ミーナの戦略は、南部地域の貴族達と共存するためのものであり、貿易によって相互利益を増やしてくれるのだから、南部地域の貴族として、リヒャルト殿下を支持する事に何の問題もありません。こういった判断ができる南部貴族達は少なくはありません。
社交パーティーは一夜で終わりますが、ミーナ達の侯爵領への滞在は10日間に及びます。
「リヒャルト様、ミーナ様、この条件での貿易では、ケールセット領の利益が出ないのではありませんか。フェルマー領にとっては、ありがたい契約ではありますが。」
「ミーナ様、私から説明した方が良いでしょうか?」
「いいえ、殿下、私が説明した方が良いと思います。」
お似合いの夫婦に見え始めている侯爵は、手にしていた契約書をテーブルに置いてから姿勢を正します。
「お聞かせください。」
「私の狙いは、ベッカー伯爵の排除です。言うまでもなく、偽物を倒さない限り、リヒャルト様が謂れなき非難を浴びる事になります。ただ、現時点では武力で倒す事はできません。伯爵領まで出兵するにはいくつもの貴族領を通過しなければならないため、今のままでは辿り着くことができません。」
「おっしゃる通りです。」
「討伐するためには、伯爵をおびき寄せなければなりません。そのためには、南部貴族達の支持が必要です。ドミニオン国内で、リヒャルト殿下を支持する声が大きくなれば、伯爵は、王族を偽った逆賊との批判を受ける事になります。当然ながら、伯爵は自身の正当性を示すために、こちらに攻撃しなければならなくなります。」
「なるほど、我が領が南部地域の貿易拠点になり、獲得した莫大な利益を、周辺の貴族達にも分かるように貿易を広げれば良いのですね。」
「その通りです。ここから広がった様々な商品は、南部地域にとどまらず、その周辺にも広がるから。伯爵も無視できなくなります。」
「おお。確かに、周辺の貴族達は、さらに利益を求めて、北部の貴族領に商品を売る事になる。ベッカー伯爵に配慮している貴族達も、ケールセットと直接貿易をする事は憚れるでしょうが、私や南部の貴族達との商談であれば、抵抗感はなくなります。そして、そこで実際に利益を得る事ができる事になるから、ケールセット領のリヒャルト様を本物であると認める事になる訳ですね。」
南部の中小貴族達の半数は、ケールセット領のリヒャルトを真であると支持していますが、残りの半数は、貿易の利益があるから、侯爵に擦り寄っておこうと考えています。その擦り寄り派を北側に拡大するのがミーナの作戦であり、その作戦が成功すれば、利益を与えてくれるケールセット領のリヒャルト殿下の悪口を言わなくなります。
それは、ベッカー伯爵領のリヒャルトを偽物であると主張する事につながります。そういう状況ができれば、ミーナがさらに噂を流して、伯爵を追い込む事が可能になります。
「そう言う事です。ケールセット領は、北上する形で貿易圏を広げる事に集中するから、南部の方は侯爵にお願いします。」
「お任せください。ですが、ケールセット領の方でも利益を得た方が良いと思います。」
「南部地域には稼いでもらわないと困るのです。稼いだ利益で軍備を増強してもらうのですから。」
「軍備というと。リヒャルト様が伯爵を討伐する時に援軍を出す必要があるという事ですね。」
「いいえ違います。援軍は望んでいません。南部の領地を自分達の手で守って欲しいと考えています。ベッカー伯爵の強さは、敵の弱い所を徹底的に突く事です。ケールセットで待ち構えている私達に攻撃を仕掛ける事の難しさは分かっているはずです。すると、次の手として、南部の貴族領を見せしめで攻撃する可能性があります。向こうにしてみれば、リヒャルト様の真偽とは別にして、ケールセットがイシュア国に侵略された土地であり、そのケールセットを放置している南部地域の貴族は、国王に対しての忠義を果たしていないと非難されて、それを軍事行動の大義名分にされる可能性があります。強い大義名分ではないけど、戦端を開く理由にはなります。そして、勝利さえ得れば、後で軍事行動を正当化するのは簡単です。攻められても戦線を維持して、救援を待つだけの軍事力が必要なのです。」
「分かりました。貿易する貴族領には、防御のためも軍備増強を勧めておきます。ただ、急激な軍備増強は、ドミニオン国への反逆と捉えられるかもしれないと、積極液に慣れない貴族も多いので、冷害時に、北部の貴族達が過大な税を徴収した事を持ち出して、北部貴族達の無理難題を退けるためにが、一定の武力が必要であると訴えて、軍事増強を実現したいと思います。」
「南部の方をお願いします。」
「最善を尽くします。1つだけ、確認させていただきたい事があります。」
「王家との関係をどうするかって事ですか?」
「はい。」
「それは、リヒャルト様に。」
「侯爵、私は兄王を支える立場を変えるつもりはありません。王家の一員であり、対立する事はありません。私がベッカー伯爵の所にいる偽物を打倒するまでは、王家が私を攻撃対象にするかもしれませんが、それはイシュア国の後ろ盾を得ているからであって、兄王がそういう選択をするのは仕方がないと考えています。だから、私は貿易を加速して、ドミニオン国に利益をもたらす王弟として、兄王に認めてもらう事を目指しています。」
ミーナとリヒャルトが並んで存在するため、王弟殿下の評価は高い物にはなりません。しかし、ミーナの指示を的確に実行できる事を考えると、その能力は決して低い物ではありません。フェルマー侯爵のように、直接触れ合う機会を持てば、凡人とは違った能力を持っている事を理解できますが、ドミニオン国全体が末っ子王弟殿下の力量を知るのはまだ先になります。




