69 解放戦争
69 解放戦争
堅固を誇っていた関所砦の建築物は完全撤去されて、堀は埋め立てられて、泥地へと変わっています。
イーモース街道と名付けられた一本道から、ドミニオン領の平野部に出た重装歩兵隊は、3方向からの矢雨を受けると、盾を掲げて立つ以外に何もできなくなります。無理やり、3つの陣のうちのどれかに強襲をかけても、土塁による高地を作った敵陣を突破する見込みはなく、重装歩兵隊はそのまま街道内へと逃げ込みます。
3つの陣に1000名ずつの兵力で、イシュア軍を待ち構えていたドミニオン軍は、完璧に見える防御陣を構築しています。それぞれの陣に、重装歩兵200と騎馬兵200が配置していて、矢雨を無理に突破してきても、3方向からの突撃で殲滅できるように近接戦闘力の高い部隊も用意してあります。
10日間で、3度の重装歩兵隊の前進作戦が行われますが、イシュア国軍側にも騎馬隊を投入する機会は見つからずに、3度とも矢雨を降らされたというだけで、攻撃は失敗します。
街道に投入された戦力は、ファルトン重装歩兵隊800,第5騎士団800,モーズリー騎馬隊800の総計2400で完全に足止めされています。さらに、10日間で3度の前進が試みられますが、突破どころか、3つの陣に接近する事も出来ないまま、イシュア軍は完封されています。
イーモース街道出入り口の攻防は、両軍とも決定打を繰り出す機会を得ないままで、戦線が膠着します。
両軍の大きな動きが最初に発生したのは別の戦場です。
「私はミーナ・ファロン、降伏すればよし、即時降伏しない場合は、武器を持つ者は全て殲滅する。」
関所砦に近い位置にある4つの村の最北にあるシラ村の木柵前で、美しい高音の降伏勧告が発せられると、村はパニックに陥ります。特に、村の監視と共に防衛を任されている300名の兵士達は、1000名を超える大部隊の登場に、何が起こったかが分からないまま、混乱から回復する事はできません。
街道の出入り口からの攻撃を防いでいる3000の軍が敗北したという情報もなければ、シラ村よりも関所に近い村からの救援報告もなく、戦地から一番離れているこの地に突現敵兵が現れてきた理由が分からないのですから、どのように動けばいいのかが誰にも分かりません。
「ノースター軽騎士隊、柵を越えて、村内から敵兵を駆逐せよ。ペルルーカ弓兵隊は、2手に分かれて、村の後方まで走れ、逃げ出そうとする兵を逃すな。」
5人1組で連動行動する軽騎士隊は、混雑する戦場では無敵の戦いを展開する事ができます。人間を速さと攻撃力で凌駕する魔獣との戦いで鍛えている5人1組、もしくは6人1組の攻撃は、1人の人間に対しての攻撃としては破格の破壊力を持っています。
村の広場に集まり始めたドミニオン軍兵士は、各人撃破の的になるだけで、瞬く間に制圧されます。敵の攻撃だと気付いて逃げ出そうとした時には、弓兵隊が村を取り囲むように配置されていて、一兵も逃がしません。弓矢を躱して逃げ出そうとするドミニオン軍兵士も10人目が複数の矢を当てられて絶命するのを見ると、逃亡する事を諦めます。
3時間で村を制圧した2部隊1600名は、モーズリー高原から続く街道ではなく、ミーナが設置を命じていた、山地を通り抜ける隠し道を通って、ドミニオン領に進入しています。隠し道と言っても、獣道に目印を設置しただけの通路であり、道のりの半分以上が2人並んで通行する事ができない険しい細道です。
必要最小限の武器と軽装防具、水と火の魔石と、15日分の食糧袋を背負った戦士達が、通行する事によって、獣道が完成したと言われる道は、今後も極秘事項として隠し道という名前でしか呼ばれません。
「村人に炊き出しをさせろ。指揮はスコット。」
「は。」
「接収した物資は?」
「荷馬車20があり。穀物が満載です。軍事用の物資も食料に武器もたくさんあります。2000規模の兵士の補給基地って感じです。村側の収穫も倉庫に蓄えてあります。」
「保存がきく食料を各自に5日分ずつ携帯させろ。武器は各自剣を1振り、追加で持たせろ。弓兵には十分な矢を持たせて、軽騎士にも弓束を1つずつ持たせろ。配給の方はジャックが指揮を取れ。」
「はい。」
「パトリック、捕虜は?」
「230です。70名程殺害した計算です。」
「情報を持っている者は?」
「隊長とやらには話を聞きましたが、補給部隊で、全体の動きは分からないそうです。ベッカー伯爵の居場所は極秘事項で、知らされていないようです。ただ、伯爵の名で出てくる命令書には、発信地として伯爵の領都セゼックと書いてあるそうです。全てに。」
山地を越えての侵入作戦は大成功していても喜べる状況ではありません。達するべき目的の1つであるベッカー伯爵の居場所は不明で、かつ、自分の居場所を隠そうとしている事が判明します。
陣頭指揮をしなくても、知恵を授けるだけでも知将として活躍する事はできます。その事を考えると、伯爵は本領から指令を出している可能性もあります。もし、そうであったら、戦場での彼の位置を探そうとする事は、幻想を追いかける愚行になります。
「捕虜には、遺体を埋める作業をさせて、それが終わったら、縛り上げておいて。見せしめが必要なら3人まではいいけど、それ以上は殺さない事。」
「分かりやした。」
「マーゴットは私の護衛ね。」
「はい。」
補給を完了した2隊は翌日には村を離れます。
ミーナの次の狙いは、4つの村を統括するケールセットの町です。かつては男爵の統治下にありましたが、今は国王直轄領であり、ベッカー伯爵が委任統治をしています。ここを拠点にモーズリー高原への侵攻を行った以上、彼がこの街で指揮を振るっている可能性は僅かながら残っています。また、領土を侵略しようと考えているミーナ軍にとっては、橋頭保にするべき重要な地です。
ドミニオン国では、城壁で囲まれた住宅地や行政拠点がある場所を街と呼び、城壁などの防衛施設がほとんどない住宅地を村と呼びます。ケールセットの街は小規模ですが、モーズリー高原の侵入口に位置する事から、城壁の高さと強度が補強されています。4000の兵力では、攻め落とすのは難しいと判断される防衛力を持っている地に、イシュア国の精鋭部隊は吶喊します。
「弓隊は左右から、城壁の上に立つ敵を撃て。」
西門の前に集まったミーナ軍は、朝日が昇るとともに雄叫びを上げて攻撃を開始します。城壁を守っている防衛隊は、城壁の上から弓矢を撃ち下ろしているだけで、守り切れると考えています。
城壁を守る2000の守備兵がいて、しかも敵兵は一か所に集まって攻撃を仕掛けようとしています。一点集中で攻めてくるのであれば、一点集中で防衛すればいいだけです。高所から弓を撃ち続ければ、敵兵が退いていくのは分かりきっています。注意するべき事は、撤退する敵に追い打ちをかけるような事をして、城壁外に出てしまった場合に伏兵で逆撃を受ける事だけです。
守備隊の隊長が、出撃を禁止している以上、この戦況で街の城壁が突破される事はないと、ドミニオン軍の誰もが考えます。接近してきた敵兵が、防備を固めた重装兵ではなく、軽装備である事が分かると、城壁の上にいる兵士達が失笑を漏らします。イシュア国の兵士が長い梯子を持っている事が分かると、守備隊は見下ろしながら笑い出す者まで現れます。
しかし、すぐさま、その笑いは消えます。地上から撃たれた矢が、次々と城壁の守備兵の頭を射抜いていきます。高低差があっても矢が届くのであれば、当たる事もあり得ます。ただ、その威力は弱まっているはずで、射倒すことができないはずです。
「ミーナ様、突撃ですか。」
「もう少し待て。弓兵の攻撃に怯み始めた所だ。」
「了解。」
西門の城壁に集まっていた兵士達が次々に倒れていきます。補充された兵士達が、盾を構えて西門の上に集まってきますが、盾から顔を出すと射抜かれるため、盾を構えただけの案山子になります。
軽騎士隊が長梯子を城壁にかけると、そこを登り始めます。ほとんど攻撃を受けないまま、半分まで登った時、ミーナが城壁に向かって駆け出します。茶色の皮鎧と短いマントを装備した美貌の軽戦士が、梯子を駆け上げると、そのまま城壁の上へと到達します。
両腰に吊るしてある双剣を抜き放つと、城壁で敵兵の首を落とします。体を鉄製の重装備で守っていても、頭部を完全に覆っている装備ではないため、ミーナの素早い一撃で次々に絶命させられます。
30名を切り殺した頃、梯子を上りきった軽騎士隊も城壁の上に登場します。軽く小さな盾と長剣を装備した戦士達が、狭い城壁の上を3人1組で動き回ります。近接戦闘をするとは思わなかった守備隊は弓矢を握りしめながら、その命を刈り取られていきます。
西門以外の防衛兵も異変を察知して駆け付けようとしますが、もうその時には、西門の城壁上はミーナ軍に支配されています。
「私は、ミーナ・ファロン。イシュア国宰相であり、今回の誅伐軍の総司令官である。ドモニオン国は、モーズリー高原の2つの街を焼き、そこの住民8000人を凌辱して、殺戮した。イシュア国は、この蛮行に対して、討伐軍を派遣する決定をした。軍事行動に参加する人間は、虐殺者と同罪として、戦場にて処刑する。ケールセットの住民に告ぐ。ドミニオン軍の蛮行を許すな。奴等に協力をするな。私達が住民に要求するのはそれだけである。イシュア国はこれまでモーズリー高原を支配していても、ドミニオン国への水を止めた事はない。かつては条約によって、十分な水を提供して、両国の和平を願い、そのために尽力してきた。しかし、ドミニオン国が我が国に与えたのは被害だけである。8000の住民の死に対する怒りはある、あるが、私達は虐殺しない。住民の安全は保障する。武器を持たぬ者は住民とする。」
美しい調べのような宣言に聞き惚れていた町の住人たちは、防衛隊が完敗したと勘違いします。この時点では、西門も開いてはおらず、50名の兵士が城壁の上に登っただけです。残りの3門や各所の防衛兵を集めれば、防衛が可能な状態ですが、住民達に広がった敗北感は、守備隊の戦意を一気に削り取ります。
「武器を捨てて降伏しろ。降伏が嫌なら、広場に武器を捨てて、東門から逃亡せよ。2時間後に掃討戦を行う。住民は自宅に戻れ、夕刻までには終わる。」
ミーナの声に従って、城壁に登った兵士達が同じ文言を大勢で繰り返します。西側防衛隊の戦意が完全消滅すると、西門が開かれて、兵士達が城壁内へと入ってきます。その後、弓隊が門をくぐって、城壁に上がると、高所からの弓攻撃を確保します。
完勝したミーナ軍は、昼過ぎに降伏兵1000名の武装解除を行うと、100名の騎馬隊を編成して、町からの逃亡兵を夕方まで追いかけさせます。この後、この地を立ち去らなければならないミーナ軍は、逃亡兵たちが集結して、ケールセットの町をすぐに奪回させるのを防ぐために、その日の夕方までは徹底的な追撃戦を行います。
翌朝、騎馬と荷馬車と、守備兵が放棄した武器と20日分の食糧だけを接収して、ミーナ軍は南部に向かってケールセットの町を立ち去ります。




