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ミーナ・ファロン物語  作者: オサ
3歳頃の話
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6 祖母

6 祖母


「ばあば、ばあば!バルド、ママを呼んできて。」

 暗闇の暴走から4日後、公爵邸の祖母エリスの部屋でミーナが叫びます。膝から崩れるように倒れた美しい女神は、か細い呼吸を維持したまま、静かに眠りに付きます。生と死の概念を理解し始めたミーナは、祖母が死ぬ間際に居る事と、自分にもどうにもならない状況が発生している事だけは理解しています。

 公爵家の大人達は一瞬だけ戸惑いを見せますが、意識を失っている前公爵夫人をベッドに運ぶと、その光景を静かに受け入れます。

「ミーナ、ここに居るよ。」

 大きなベッドに昇った三歳児はエリスの耳元で自分の存在をアピールします。高熱の身体から発生させる声は、苦しみに耐えている呻き声と、ミーナと言う名だけです。女神エリスが求めているものが、ミーナである事を示しています。しかし、3歳児のミーナではありません。戦女神エリスが求めている人物は、ファロン家のミーナの義祖母にあたる人で、叔母セーラの実母で、前ギルバード公爵の第2夫人であり、前公爵夫人エリスの侍女である故人です。

 イシュア国に対する貢献度においては、ギルバードとエリスに及びませんが、オズボーン公爵家への貢献と言う尺度を持ち出すと、第2夫人ミーナの貢献度は他者と比べると桁違いだと言われます。それは、彼女個人の手にできた幸せのほぼ全てを公爵家に捧げて、公爵家の命脈を繋いだように見えるからです。故人の心情を聞き出す事ができないため、彼女が幸せであると感じている可能性は否定できませんが、彼女以外の人間の全てが、不幸ではなくとも、彼女はもっと多くの幸福を感じるべきだったと考えています。

「ばあば。ミーナだよ。」

「ミーナ、お婆様の手を握ってあげて。きちんと伝わっているから。」

 倒れてから12日間、ミーナは祖母エリスと一緒に過ごします。母親レイティアは、娘ミーナにしかできない事をじっと見守りながら、自分の子供達に、どうしても第2夫人ミーナを付けたいと言っていた事を褒めたくなります。

 その名を自然に呼べる環境を死を迎えている母に提供できる事を、名前を譲ってくれた第2夫人ミーナに感謝します。


「ばあば。」

「ミーナね。」

「うん。」

「お母様。」

「レイティアね。」

「はい。」

 3日振りに目を覚ました前公爵夫人が視力を失っている事を悟った宰相夫人は、娘と同じようにベッドへと昇ると母親の手を握り締めます。決して器用ではなかった母親で、妹のような可愛さを感じる事もありながらも、偉大な公爵夫人としての尊敬の念を失う事は無かった母親が、今初めて弱々しく感じます。

見た目は18歳の美少女のままでありながら、高温のになった皮膚に、若さを感じさせる張りを持ちながらも、弱々しいとレイティアは感じます。

公爵家の最も苦しい時期に、そのか細くなった命脈を繋いだ女性の凄さは、自身が三児の母親となり、宰相の妻となってからこそ、真の意味で理解できます。そして、偉大な英雄である戦士が、真の意味でただの母親になっている事をレイティアは理解します。

「生まれてきてくれてありがとう。レイティアがいたから、あの戦いでも生き残る事ができた。一緒にここで生活できて楽しかった。孫達を抱かせてくれた。本当にありがとう。」

「お母様、私を、私を生んでくれてありがとう。これまでも、これからも幸せです。だから・・・。」

「そうしたいけど、今度は難しそう。少し寝るわ。」

「ばあば、寝るの?」

「うん。おやすみ、ミーナ。」

 別れの時間しか残されていない事を理解したレイティアは、家族全員を呼び集めます。


 1日の内、数分ずつ数回だけ女神は神託を下ろすために目覚めます。公爵アラン・オズボーンには、これからも重荷を背負う事を労わった上で、イシュア国の守護を頼みます。その妻である公爵夫人キャロラインには、次期公爵を出産した事を褒めて、感謝します。公爵領の事を依頼した上で、様々な財産を公爵夫人に委ねます。

 アランの妻は武力を何1つ持たない嫁ではあっても、公爵領統治に関しては、歴代公爵夫人の誰よりも優れています。この時委ねられた財産を自由に使える事で、多くの改善を成し遂げた公爵領の成果は、イシュア国宰相であるロイドを超えるものであるとの評価を得ます。エリスから全てを委ねられた時、公爵夫人は翼を大きく広げて飛び上がります。

 ケネット侯爵の爵位を持った次男エリックに対しては、これからも兄アランを支えるようにと依頼すると同時に、16歳で身重になった婚約者であるアイリスを労わるようにとの話を繰り返します。

 そして、未成年でありながらも、暗闇の暴走に参戦する婚約者に身を捧げたアイリスには感謝の言葉と同時に、生まれてくる子供を見る事ができなくなった事を謝罪します。

 目覚めている時に、別れの言葉をかけるエリスの病状が変化したのは、一通り話しが終わった7日後からです。体温が、微熱から時折高温に上昇する状態から、常に高温となる状態に悪化します。意識を失いながらも何かに抵抗するように苦悶の表情を浮かべるようになります。

 そして、たった1人の名前だけを何度もつぶやきます。

「ミーナ。」

 決して会う事ができない侍女の名を、エリスお嬢様は何度も口にします。どんなに感謝してもしきれない、どんなに謝罪してもしきれない大切な人の名前だけははっきりと口から出てきます。


 11日後、セーラ・ミノー公爵夫人は、フェレール国からイシュア国に戻ってきます。フェレール国の仮屋敷に戻った直後に、母エリスが発病した知らせをセーラは受け取ります。一瞬だけ後悔に身を落としますが、すぐさまオズボーン公爵邸を目指します。

 わずか4日で戻って来られたのは、昼夜関係なく馬を走らせたからです。何頭も乗り換えながらの強行軍で、公爵邸に辿り着いたセーラは、深緑色の簡素なドレスに着替えてから、母のベッドへと向かいます。

「お母様。セーラです。」

「・・・お帰りなさい。ミーナ。帰って来てくれたのね。」

 失ったと聞いていた視力が完全に戻っているように、瞳が自分の顔を見つめているのを感じたセーラは、実母ミーナと自分が瓜2つである事に感謝します。最後の最後に、敬愛する義母に素敵な夢を見せる事ができる機会を得た事に感謝します。

「エリスお嬢様、只今戻りました。」

 セーラは、母の手が自分を求めて動いているのを見ると、大きなベッドにさっと腰かけて、すり寄ります。上半身を起こして欲しいと願っているのが分かったセーラは、上半身を抱きかかえて持ち上げると、しばらくエリスとセーラは見つめ合います。

 赤髪赤目の左手を握りしめながら、エリスは言葉を紡ぎだします。

「ミーナ、ありがとう。セーラを生んでくれて、セーラを私達の下に送ってくれて。とても幸せよ。」

「はい。セーラも幸せをもらったと喜んでいました。」

「そう、それなら嬉しいけど。ミーナとセーラの時間を奪ってしまった事は申し訳ないと思うわ。これからは一緒に居てあげてね。」

「はい。」

「ミーナは私よりも年上なのに、若く見えるわ。」

「エリスお嬢様も、お若く見えます。以前と変わりません。」

「そう。髪をまた伸ばしたのね。」

「はい。似合いませんか?」

「ううん、とても綺麗よ。私はミーナの赤い髪が好きだったの。温かくて、輝いていて、とても好きだったの。ミーナをお嫁さんにする男性に嫉妬すると・・・・・・。旦那様はいますか?」

 エリスの部屋にいるのは、夫ギルバードと4人の子供と、幼女ミーナ・ファロンの6人だけだった。残りわずかな時間は家族のためだけにしたい家人たちの配慮だった。幼女が同席できたのは、もちろん、エリス最愛の女性の名前を継いでいるからです。

「ああ。ここにいる。」

「こちらに来てくださいませんか。いえ、ミーナの隣に座ってください。」

「分かった。」

「2人で手を握り合ってもらえませんか?」

 大きなベッドの上に、エリス、ギルバード、セーラが腰かけています。そこまではエリスの要望通りです。しかし、その次の要望にどのような意味があるのかが分かりません。

「こうか。」

 エリスとセーラが繋いでいる手の上にゴツイ手を重ねてから、夫は妻の要望を叶えたのかを確認します。

「違います。ミーナは、私とではなく、旦那様と手をつないで欲しいの。」

「え、あ、はい。」

 右手をエリスの背中に回して支えているセーラは、左手を離すと父親と手を繋ぎます。

「ああ、良かった・・・。旦那様、これからはミーナを可愛がってあげてください。ああ、良かった。すぐではなくていいので、ミーナとの結婚式を挙げてください。」

 英傑エリスの最後の望みは、愛する侍女の幸せな姿を見る事です。母とも姉とも言える程に近しく、親しいミーナに対して、幸せを与える事ができなかった事が、エリスの後悔です。

 誰よりも自分の幸せを願い、そのために全てを捧げてくれたミーナに対して、何もできなかった現実が、エリスの心残りです。

「旦那様。」

「ああ。必ず、ミーナを幸せにする。結婚式も挙げる。」

「ミーナ。」

「ありがとうございます。エリスお嬢様。私は今幸せです。お嬢様と出会えた事も、一緒に過ごせた事も、こうして戻ってこれた事も。全てが幸せです。もう少しでいいから、私達を見守ってください。」

「ええ。そうするわ。ミーナが幸せな所を見たいもの。でも、少し疲れたわ。お休み、ミーナ、頬にキスをしてくれたら、嬉しい。」

 最後の言葉と共に目を閉じたエリスの身体から力が失われたのを感じたセーラは、最後の望みを叶えます。


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