57 遠距離戦
57 遠距離戦
ドミニオン国王の絶大な信頼を得ていると言われるベッカー伯爵は、王弟リヒャルトへの襲撃があったと認めたものの、誘拐されたことは認めずに影武者を立てます。王弟の顔を知らないドミニオン軍は、影武者を真の王弟だと信じていて、ミーナが噂を撒いても動揺する事はありません。当然、イシュア国宰相ミーナの停戦要求に応じるはずはなく、完全に無視されます。
戦いが避けられない状況に陥ったミーナは、ケールセットの町に集結した伯爵軍の動静を伺います。忍び込ませた諜報員からの情報は、伯爵軍の全容を明らかにします。総勢8500名、伯爵に従う貴族達は、子爵家3家、男爵家10家で、部隊を率いるのは当主自身か、領地騎士団団長で、精兵部隊と言って良い陣容です。武器はもちろん、食糧も十分に準備しています。歴戦の名将に率いられた兵士たちの士気は高く、隙は見当たりません。
「アラン叔父様。」
「お父様。」
ミーナとメルを迎えるのは、王都から兵を率いてきたアラン公爵です。美丈夫と言える肉体を包んでいるのは、2人と同じ軽装備で、威風堂々という容姿ではありませんが、魔獣狩りの最強戦士の凄みを放っています。
馬上の公爵が率いる騎馬兵1500が大きく広がっている様子に、メルは感嘆の声を上げそうになりますが、父と従姉の真剣な表情に思い止まります。
「敵はどうなっている?」
「重装備の兵士2000が南東の村へ向かって進軍中です。」
「残りの兵は?」
「町に残ったままです。」
「敵が全軍を動かさない意図は何だと思う?」
「こちらと一戦して、戦力を見定めるつもりだと思います。」
「そうだろうな。だが、平地での戦いでは、騎馬の方が有利。こちらが騎馬兵だという事は、伯爵も知っているはず。」
この一言に対して、ミーナは叔父と同じ色の瞳で語ります。馬の脚を見てから、腰につけてある弓を見て、再びアラン公爵を見つめます。戦いを主導するのは公爵の仕事で、宰相の仕事は内政分野です。その一線を守りながら、宰相はここでの戦いを要請します。
2000の重装歩兵対1500の軽騎馬兵の戦いは、何の障害物もない平地で行われます。先手を取ったのは長弓を装備しているアラン公爵軍で、遠距離からの矢攻撃を繰り出します。それに対して弓矢での反撃ができないベッカー伯爵軍は重装備と盾によって、その攻撃を凌ぎます。
防衛を固めた兵士達に弓矢攻撃の効果がほぼないため、アラン公爵軍は兵を2つに割って左右からの突撃を行おうとしますが、重装備の兵士たちは盾を構えたまま、その間から槍を突き出す形で防壁を強化します。
激突の直前に、アランもミーナも弓攻撃に切り替える形で、重装歩兵に手傷を負わせる事に成功しますが、打撃らしい打撃を与える事はできません。ミーナとメルは得意の弓術で、敵の司令官や部隊長を狙おうとしますが、重装歩兵の中に隠れているため、ターゲットを発見する事もできません。
攻め手を失ったアラン公爵軍は、夜襲を企てますが、平地で隠れる場所もない場所では、夜襲も伏兵も仕掛ける事はできません。3日間、一歩も動こうとしない伯爵軍の狙いは、騎馬兵の突撃を誘って、激戦の中で敵兵を削る事であると理解したアランとミーナは、関所砦への撤退を決めます。
「ベッカー伯爵が、ここを目指して、全軍で動いているけど。リヒャルト王弟殿下はどうする?」
関所砦の賓客室になった部屋に入ってきた傭兵スタイルの美しい女性が、客人であるドミニオン国王弟殿下に淡々と話しかけます。
10歳の元気さはない少年は、椅子に座りながら見上げます。美貌を隠し切れない宰相の眩しさに慣れてきていて、しっかりと正面から見る事ができます。
「どうするとは。」
「関所の城壁の前に、伯爵軍が勢揃いしたら、王弟の名乗りを上げるかどうかって事。私達としては、停戦交渉をして、王弟殿下の解放をする代わりに、金貨10万枚をもらえるという話にしたいのだけれど。」
「ベッカー伯爵が、身代わりを立てている以上、私は偽物扱いされるだけです。ご期待には応える事はできないと思います。」
「でしょうね。今更、王弟殿下の存在を認めて、伯爵が得になる事は何1つないからね。あなたを助ける事に成功しても、見捨てるつもりだったのかと言われてしまうから。それで、私が聞きたいのは、これからのあなたの身の振り方よ。」
「イシュア国にとっては、私は何の価値もない存在だと思います。ですが、私にはドミニオン国に居場所はありません。戻っても、ベッカー伯爵に殺されるでしょう。迷惑でしょうが、イシュア国に住まわせてもらいたいと考えています。」
彼に与えられた選択肢は1つしかない事をミーナは分かっていて、この質問をしています。誘拐した責任があるという表現は正しくないのかもしれませんが、ミーナの心情を正確に表しています。王族であっても10歳の子供である以上、大人である自分たちが責任を持つのが当然であると、国を預かる宰相は考えます。
それに、一族が強固な絆で結びついている自分達に比べて、王冠を頂く一族の絆の薄さは哀れに思えます。貴族の頂点として、その血の誇っているのであれば、幼い王族であっても、政治上の敵対勢力に担がれたとしても、尊重するべき血の流れる命であれば守るのが当然であるのにとミーナは考えます。大切で貴重な血筋だと言いながら、平気でその血を引く家族を切り捨てる薄情さは、人としての頂点に立つべき存在である資格がないのではとも考えます。
自らが毀損している血筋であるのに、自身の王位を守るために必死に非道と罵られる行動をとるドミニオン国王が哀れにも思えます。そして、この少年は、生き延びるためには、自分の価値の源である血筋を捨てなければなりません。その事も哀れに感じます。
「分かったわ。イシュア国宰相として、リヒャルトの面倒を見るわ。ただし、ドミニオン国の色々な情報が欲しいわ。知る限りでいいから、それを教えてくれる。その代わりに、リヒャルトに必要な教育を与えるわ。イシュア国でも1人で生きていけるように。」
「はい。お願いします。」
この日、王弟リヒャルトは、宰相の従卒となります。これは奴隷がいないイシュア国にいては、最下層となる庶民になる事を意味しています。頂点の階級から一番下に落ちた第7王子としてもリヒャルトはその名を歴史に刻みます。
ベッカー伯爵軍は、4つの軍に分けると、2000ずつの兵を4つの村にそれぞれ派遣します。名目は、村に潜んでいる裏切り者を討伐する事です。モーズリー高原の入り口にある4つの村と、イシュア国が密かに関係を持っていると言う話は、噂としては南部に広がっていて、この軍事行動は別段不自然な点はありません。
しかし、この動きがアラン公爵軍を誘い出す策謀である事を、ミーナもアランも見抜きます。4つの軍に分かれている事は、兵力分散の愚を犯しているように見えますが、各個撃破される心配は皆無です。イシュア国が繰り出せる騎馬兵が2000以下である事は知られていて、前哨戦において2000の重装歩兵が防御を固めていれば、突破されない事は証明済みです。
もし、イシュア軍が攻撃を仕掛けてきたら、伯爵軍は防衛を固めて時間を稼ぐだけで勝利に近づきます。一軍が対峙している間に、他の軍が集まってきて、包囲する事ができれば、圧勝ではなくても、消耗戦に持つこむことができます。8000と2000の消耗戦が発生すれば、数が多い方が圧倒的に有利になります。
「ミーナ姉様、伯爵は村を本当に襲わないの?」
「盛んに村を討伐するって話を広げているみたいだけど。それはないわね。」
関所砦の一室がミーナとメルの部屋です。小さな個室を2人で利用しているのは、砦の収容人数を越えた兵力が駐留しているからです。戦闘がないため、2人は紺色のワンピース姿で、部屋の中でくつろいでいます。しかし、軍の首脳部でもある2人の話題は戦闘の事ばかりです。
「・・・・・・。」
「不安みたいね。でも、伯爵の立場になって考えてみると、村への攻撃はない事が分かるわ。考えてみて、彼が討伐するって話を広めている目的は何?」
「私達を誘い出す事です。」
「でも、私達は出ていかない。」
「はい。だから、村を襲撃して、私達を誘い出すのではないかと。」
「そういう見方もあるけど。4つの村は、どっちつかずの勢力ではあるけれど、あくまでもドミニオン国の一部よ。私達には、そもそも村を守る義務はないのよ。もし、伯爵が村を本当に攻撃して、それでも私達が誘い出されなかったら。伯爵は、自国民に対する虐殺を行った汚名を得る事になる。伯爵が実際に襲撃して良い事は何1つ無いのよ。それに、私達が出撃しない方が、村は安全なのよ。」
「安全。どうしてですか。」
「私達が村を守るために出撃したら、村はドミニオン国を裏切っていると言われて、本当に裏切り者として討伐されてしまう可能性がある。それだけではないわ。出撃した私達が村を焼いたと噂を流すために、伯爵軍が村を実際に焼き払う可能性もある。」
「・・・・・・。」
「私達が動くことによって、相手に様々な機会を与える事になる。だから、ここで敵が来るのを待つのが最善なの。敵は他にする事はないのだから。とりあえず、敵が押し寄せてくるまでは、ゆっくりと英気を養う事が重要なのよ。」
ミーナはこの戦いにおいて、イシュア国軍の2つの弱点を知ります。
1つは大義名分がない戦いに慣れていない点です。フェレール国もドミニオン国も、軍を指揮する貴族の利益を得るための戦いを普通に行います。野盗と変わらない動機で戦う姿は、貴族の誇りも、騎士の誇りも見当たりませんが瞬発力があります。利益があるのだから食いついてみるという思考は、強い攻撃力や戦場での柔軟さを得る事につながります。そう言った視点から考えると、イシュア国軍は、軍団が持つ攻撃力を活かす事ができていません。
2つ目は、軍団を指揮する司令部が、軍団を動かすという思考を持てない点です。対魔獣戦のエリートとして生きてきた戦士達には、集団戦の経験が圧倒的に不足しています。魔獣戦では不必要なものとして切り捨てている駆け引きの重要性が、集団戦においては顕著になります。早く動いて敵の急所に一撃を与える事が戦いの神髄である事には分かりありませんが、敵の急所を表に出させるためには、時には無駄に思える行動を選択しなければならない事があります。そういった判断力は、経験によって養うべきもので、その経験がイシュア国には足りていません。
そして今、ミーナが一番恐ろしいと感じている事は、イシュア国の宰相である自分自身が、何をしても戦争に勝ちさえすれば良いと言う思考に、染まりきれない事です。従妹メルの言うように、助けに行った方が良いのかもしれないという選択肢を完全に除去する事ができません。
それが大きな失敗につながるのではないという漠然とした不安をミーナは抱えています。




