52 兄妹会議
52 兄妹会議
イシュア歴389年3月下旬、17歳のミーナは、その美しさに磨きがかかっている妹と一緒にお茶を飲んでいます。
「お姉様、今日は、あの話をするのですか?」
「そうよ。頼むわよ。」
「私の頼みであっても、難しいと思います。」
「大丈夫。キャミーとリネットにも話を通してあるから。」
「エリカティーナ様、リース様と、バルド様がおいでです。」
青色の文官服を着ている2人の兄が、妹の部屋へと入ります。すでに、応接ソファーで待ち構えている妹達を見てから、銀と金の兄達は溜息を洩らします。緊急事態だと言われて、宰相府での仕事を中断して訪れた先で、突拍子もない依頼をされるのだと思うと、気が重くなります。
2年前の誘拐事件から今までは、衝撃的なできごとは発生していませんが、それはリースとバルドの結婚が立て続いているためで、妹達が兄の婚約者達に遠慮しているからだと2人は良く分かっています。1月に次男バルドがリネットと結婚式を挙げたため、2人を抑えていたものがなくなった事が、2人の笑顔から良く分かります。
金髪青目のミーナが着ている水色のワンピースが、よれよれである事に何の意味があるのかとの疑問を持ったリースは、衣料業者に圧力をかけて、何かをさせろと言い出すのではないかと警戒します。
「ミーナ、緊急事態だそうだが。」
「エリカから頼みごとがあるの。」
「なんだい、エリカティーナ、言ってごらん。」
リースは機嫌が良くなります。末っ子の可愛らしさは言うまでもなく、エリカティーナに頼られる事は純粋に嬉しい上、ミーナみたいな無茶を言う事がないから安心できます。
「リースお兄様、お願いがあります。」
「うん、なんだい。」
「宰相になってください。お願いします。」
「・・・・・・。ん、宰相?お父様がどうかしたのか?」
「リースお兄様に、お父様の代わりに宰相になっていただきたいのです。」
末っ子が我儘を言う事はあっても、できる範囲を弁えていて、無茶を言ったことがありません。その経験上、この依頼が姉の方から発せられる事は間違いないと言えます。
「・・・・・・ミーナ、何の冗談だ?」
「エリカの頼みなのよ。聞いてくれるよね。」
「お前が言わせたんだろう。言いたい事があるなら、はっきり言え、手伝えることはできるだけ手伝う。」
「お父様の後を継いで、宰相になってって頼んでいるの。」
「何かの仕事を手伝えと言うのではなくて、俺に宰相になれと言うのか。」
「そうよ。」
いつだって真剣な青い瞳で行動するミーナと同じように、緑目のエリカティーナの瞳に真剣さが含まれています。
「俺には無理だ。」
「能力が足りないからとでも言うの。」
「そうだ。」
「リースにぃ、私を騙せると本気で思っているの?リースにぃが実力を隠しているのなんて、バレバレなのよ。実力がない振りをしておけば、内政業務が好きなバルドにぃに宰相の座を譲れると思っているんでしょ。それに、憧れの騎士団に今から入れると思っているんでしょ。宰相府の文官になったのだから、騎士団に入れないことぐらい分かるでしょ。だから、諦めて、宰相になって。」
「ははは、ミーナに褒められるのは嬉しいが。文官仕事はバルドの方が得意なのは周知の事実だろ。」
「文官見習の時に、色々な部署の、色々な仕事を任せられたのは、リースにぃに適性があるかどうかを試すために、私がお父様に頼んでやってもらった事なの。今更、仕事できない振りしても遅いのよ。」
「分かった。その話は認めよう。だが、文官見習いを1年間やっただけで、宰相になれる訳がないだろう。経験が足りない。それにだ。何の失政もない所か、見本のような政治を行っているお父様が宰相を辞める必要はない。そうは思わないのか。」
「ふーん、じゃあ、リースにぃには頼まない。能力があってもやる気がない人間が、うまくできる訳ないから。バルドにぃの頼むわ。」
「バルドお兄様、お願いです。宰相になってください。」
ミーナの合図を受けたエリカティーナが黄色いドレスと共に深々と頭を下げて懇願します。押しに弱い次兄を押し切れば、宰相交代は実現すると、ミーナもエリカティーナも信じています。行政能力が高い事は証明済みであるため、本人が頷くだけで勝負は決まります。
「エリカ、頭を上げて。」
「それでは、バルドお兄様。」
「エリカの頼みでもこれはダメだよ。僕は来週から宰相府の文官見習いになるんだ。宰相府での実力を何も示していない。宰相府と言う組織を動かすには。実力だけでなく、経験も必要だし、人脈も必要なんだ。10年先ならともかく、今すぐだと、宰相府が混乱して、国政も混乱するかもしれない。」
「10年先だと遅い。リースにぃとバルドにぃが協力すれば、宰相府は回せるでしょ。経験はバルドにぃがこれまで読んで書物の知識で補うことができる。人脈は、リースにぃがこの1年間で作っている。手助けした部署の文官との関係を考えれば、宰相府を運営できるはずよ。」
「できない訳ではないが。今はお父様のもと、宰相府は機能している。いずれ代替わりのために、若手を起用していくことになるが。ミーナ、10年先だと遅いと言うのはどういう意味なんだ。10年後でも、私もリース兄さんも30歳未満だ。宰相になるのは若いと言える。お父様は異例の戦時中における代替わりだから、20代の就任だった。特例で、緊急事態が発生。」
睨みつける青い瞳に言葉を止めたバルドは、妹の考えを詳しく聞く事に方向を変えます。賢い妹が何も考えていないはずはなく、この突拍子もない話も、深い考えがあるはずだと推測します。リースも同じように考えます。
今までの妹の無茶な要求は、仕事をする側の労力の消費が異常だというだけで、目指すべき成果が異常な物ではありません。今回の要求は、混乱を引き起こす可能性があるもので、今までのものとは違います。
「ミーナ、今すぐに、宰相の代替わりをしないとならなのかい。」
「そうよ。で、バルドにぃも宰相にならないのね。」
「今はならない。将来はやりたいと思っている。」
「10年先って事なの?」
「うん、10年後が1つの目標になる。」
「10年後じゃ遅いのよ。」
声が怒鳴っているようにも聞こえるぐらいに、苛立ちが含まれています。
「どうして遅いんだ。」
「バルドにぃ、問題は私達の年齢じゃなくて、パパとママの年齢よ。10年後にはパパは49、ママは50、11年後には暗闇の暴走がある。次の暴走でママが戦った後、死んだらどうするの。ママの時間は無限にある訳じゃない。結婚してから、リースにぃがすぐに生まれて、バルドにぃも生まれて、パパは宰相になった。直後に私も生まれて、それからは暗闇の暴走もあって。パパはずっと、ずっと宰相を続けていて、ママは、パパと2人きりの時間なんてほとんどなかった。パパとママは結婚してから、2人で旅行を楽しんだり、2人で王都を歩いたりだってしていない。ママがパパを大好きなのは、知っているでしょ。ママは何も言わないけど、もっともっと2人だけの時間を過ごしたいはず。私達はどうして訓練をしているの。次の世代として様々な責務を受け継ぐためでしょ。何のために受け継ぐの。未来のためもあるけど。前の世代の負担を減らすためでもあると思う。エリスお婆様が亡くなられた時、ママも、セーラ叔母様も、アラン叔父様も、エリック叔父様も、辛かったと思う。お婆様に穏やかな時間を作ってあげられなかったことを悔やんでいると思う。私はそんな辛さを感じたくない。後悔をしたくない。ママにもっと幸せを感じてもらいたい。そのために、受け継ぐ機会があれば、どんどん受け継いでいきたい。11年後に一緒に戦ってもらう事にはなるから、ママの負担を完全に消すことはできないけど。戦いの日の前に、少しでも、少しでもママに笑顔になってもらいたいの。」
エリカティーナがぽろぽろと泣きながら2人の兄を見つめます。ミーナは、感情を爆発させた後、兄の様子を冷静に見る事ができるようになります。今日を準備してきたミーナと、突然依頼された2人とでは、心の持ちようが違います。考え抜いての妹と考え始めた兄達とでは大きな差があります。
最終的な決断は同じであっても、そこに至るのに必要な時間には個人差があります。そのずれを修正するための説得だったのに、隣で泣いている妹を見た姉は、再び感情を爆発させます。
「リースにぃも、バルドにぃも、エリカが泣いているのを見て、何も感じないの。」
「感じてはいる。が、今すぐ結論を出す話ではない。お父様とも話をしなくてはならないし、国の問題でもある。」
「リースにぃはもういい。やる気がない人間には、できないから。バルドにぃは、やってくれるよね。ね。」
自分の言葉に酔ったのか、妹の涙に酔ったのか、ミーナはパパもママもエリカティーナも可愛そうに思えてきて、それを理解しない2人の兄を忌々しく思うようになります。
「ミーナ、気持ちは分かるが、軽々しく。」
「気持ちが分かってないから、そんな事言うんでしょ。宰相になるために誰よりも努力して来たのに、その機会があるのに、やろうとしないなんて。」
「いや、お父様から頼まれた訳ではないのだから。」
「責任感が強いパパが、自分から宰相の座を誰かに渡すなんてする訳ないでしょ。誰かがやるって言わないと、譲るって話になる訳ないでしょ。」
「だから、お父様と話を。」
「もういい!!2人がやらないなら、私がやる。私が宰相になるから。」
「ミーナ。馬鹿な事を言うな。」
「何を言い出すんだ。」
リースとバルドが驚いて声をかけた瞬間、ミーナは清々しい表情に変わります。自分がやると決めれば、2人を説得する必要はなくなります。そして、超難関である、次期宰相が現宰相と国王陛下を説得するという問題を、直接自ら解決する事ができます。
「私、本当に馬鹿だったわ。私が宰相になれば良かっただけなのに。」
「良い訳がないだろう。」
「あ、リースにぃ、キャミーには宰相夫人になるかもしれないから、覚悟しておいてって、伝えていたけど。それはなくなりそうだと伝えておいて。」
「な、キャミーに。そうか、今朝のあれは、この事だったのか。」
大切な話があっても、自分に相談しないで決めてもいいと言われたことを思い出したリースの隣で、バルドもある事に気付きます。
「僕とリネットの結婚式を1月にさせたのは、4月から私に宰相をやらせようとするつもりがあったからか。」
「当たり前でしょ。宰相になってからの結婚となったら、リネットが権力欲しさに結婚したとか言われる可能性が出てくるのだから。そうならないように1月にしたのよ。」
「学生は未成年で、結婚は4月からという暗黙の了解を破らせるような事をしてまで。あの時の理由は全部噓だったのか。」
「嘘ではないわ。嘘ではないけど、それっぽい理由を並べただけで、別に1月でなければならない理由としては弱いわ。そんな事より、私が宰相になったら、2人には重要な役をやってもらうから、それは断らないでよ。2人の覚悟を無駄にするようなことをしたら、本気で怒るから。エリカもありがとう。エリカがいると何でも物事が良い方向に動くわ。エリカは本物の女神よ。」
「お姉様のお役に。あ。」
隣の妹をぎゅっと抱きしめて、その涙を胸に染み込ませます。笑顔を取り戻した妹を撫でると、ミーナが部屋を飛び出そうとします。
「ミーナ、どこに行くんだ。」
「宰相府に行って、パパと話をしてくる。」
妹の思いが理解できる兄達は、妹が説得に失敗した後に、自分達で動き出すことを決意します。2年後ぐらいを目標にして、宰相の代替わりの準備を進めようと2人は密かに決意します。




