50 討伐
50 討伐
クプラン子爵の死の衝撃に硬直している間に都市は制圧されます。公子ヴォルトが仮領主としていくつかの布告を出します。
子爵の遺族については、王都に護送の上、今後については国王陛下の裁可を頂いてから決定する。奴隷達は公子ヴォルトが買い取って、一般庶民として解放する。奴隷解放手続きの中で、子爵邸内の奴隷に関する機密文書から、誘拐事件の主犯がモーリア伯爵である事が判明したため、討伐軍を編成して5日後に出陣する。
以上の3つの布告がなされると同時に、必要な行政手続きについては、公子ヴォルトをミーナとエリカティーナが支援する形で、次々と処理していきます。宰相の娘達の処理能力の高さは誰もが期待していた通りで、驚きを与える事はできません。しかし、11歳のヴォルトの処理能力の高さは、宰相の娘達に負けないほどのものです。周囲を驚かせます。
次期公爵である弟の能力を見たミーナとクレアは、予定通り5日後にカーライルを出発します。
「ミーナ、予測通りに、周辺の貴族が援軍を送ってくるから、負ける事はないけど。」
進軍中の赤い司令官は隣の姉に話しかけます。馬上の2人は正面を見据えながら会話をします。
「そうね。できるだけ、被害を少なくしたいけど。やると決めた以上、徹底的にやるしかないわ。」
「怖くない?」
「クレアは怖い?」
「怖い。」
「逃げ出したいぐらい?」
「逃げないけど。怖い。」
「敵を殺す事が怖いの?」
「それは少し怖い。皆を守るために鍛えた力が、人を殺す力でもある事は知っていたけど。こんなに簡単に、人を殺せるものだとは思っていなかった。戦場ではあるけど、人を殺すことが普通の事になってしまうと感じて、それが怖かった。」
「大丈夫よ。クレアが本当に怖いのは、今率いている味方の命を散らしてしまう事なんでしょ・・・。という事は、きちんと命の重さを理解しているって事よ。命の重さを知った上で、戦うのであれば、普通の事にはならないわ。」
「うん。でも、お母様が、武力行使をできるだけ避けようとしている気持ちが分かった。軍を簡単に動かさない理由が分かった。」
「そうね。私達の命令1つで、軍同士が激突すれば、敵も味方も犠牲者が出る。その事を考えると、戦争で片を付けると、簡単には言えないわ。だけど。」
「分かっている。この戦いの重さも理解している。これから生まれてくる北の民から奴隷を生まない戦いだから。犠牲を少なくする作戦を取るけど、負けられない。」
「負けられないわ。」
「それで、どんな作戦を取ればいいと思う?」
「それは、クレアも分かっているでしょ、相手次第なんだから。ここで話をしても仕方がないわ。歩兵はザビッグ将軍に任せていれば、何とかしてれるから。」
「そうね。」
「ああ、それにしても、赤い髪、赤い瞳、赤い鎧、セーラ叔母様の騎士姿の絵とそっくりなクレアが本当に羨ましいわ。」
「急に、何を。」
「急にじゃないわ。ずっと前から思っていたのよ。」
「あ、ありがとう。ミーナも素敵だよ。その、もう大人みたいにスタイルはいいし、顔立ちだって、レイティア様によく似ていて。レイティア様の肖像画は、フェレール国では人気があるの。前に、ルカミエ公爵邸で見た事があるの。」
「エリスお婆様の絵かもしれないわ。」
「そうかもしれないけど。エリスお婆様もレイティア伯母様はそっくりでしょ。」
「ええ、そっくりよ。小さい時の事だから、はっきりとは覚えていないけど。お母様とお婆様を見間違えたことがあるらしいわ。お母様はその事がショックで、未だに言うのよ。昔の肖像画を見ればわかるけど、どう見ても同じようにしか見えない。」
「昔のって言ったけど、今は違うの?」
「今は、お母様の方は、年相応と言うか、18歳の乙女ではないというか、大人の色気ね、そう色気みたいなものがあるのよ。エリスお婆様はずっと清純な乙女のままだったから、それが違うかな。」
「そうなんだ・・・。ミーナは、その、変わったと言うか。」
「前にあったのは7年前、もっと前だっけ、とにかく私もクレアも成長したわ。」
「うん、成長した。ミーナは、その女らしくなった。」
「胸の事?」
「え、胸だけじゃなくて、全体的な、その、えっと。」
「私は成長が早いみたい。クレアだって、その内、急に成長すると思うわ。セーラ叔母様にそっくりなんだから、そのぐらいにはなると思うわよ。」
涼しさから寒さに変わろうとしている10月下旬、クレア率いる討伐軍は、モーリア伯爵領手前の荒れ地で、敵軍と向かい合います。
北部地域の実力第一のモーリア伯爵は、有能な貴族領主で野心を持った美丈夫です。周辺貴族達を盗賊団から守るという名目で、次々に盗賊団を討伐していきますが、実態としては自身の支配下に入れます。表の部隊である騎士団も精強な上、裏の部隊である盗賊団もその数を増やしています。
周辺の貴族に北部領主と呼ばれるようになったきっかけは、15年前の王位継承戦争の時です。負け濃厚と言われていた第1王子派閥にモーリア伯爵は所属します。情勢が読めなかったからではなく、第1王子派閥の方が弱い事を承知の上で、派閥入りをしています。理由は、周辺の貴族達の多くが第2王子派閥に所属しているため、第1王子派閥にいた方が戦争を仕掛けるからです。
軍事も政治も高い能力を持っていた伯爵は、第2王子が勝利するだろうと予測していましたが、北部で一定の支配力を得てしまえば、後で鞍替えしても、今回の戦争の責任を取らされる事はないと判断して、領土と支配力の拡大だけに走ります。
結果として、第1王子が勝利すると、モーリア伯爵は予想以上の勢力基盤を手に入れる事に思考します。伯爵ではありますが、北部の侯爵家以上の勢力を保持する事になります。優れた領主であるため、新王と新公爵の打ち出す様々な政策に賛成を表明しつつ、北部地域では王家を支持する筆頭勢力として、自身の勢力基盤を育てていきます。この時点で奴隷売買を放棄しても、十分に採算の取れる領地経営をする事はできますが、他の貴族達が奴隷売買を手放すと、独占的な利益を得るようになります。莫大な利益を恒常的に手に入れる事ができるため、伯爵は裏の商売を今日まで続けます。
慎重かつ計算高い伯爵が、国王と公爵を刺激するだけの愚かな誘拐を実行させるはずはないと、政治を理解する人間であれば、すぐに判断できますが、民衆は異なります。ばら蒔かれた噂の真偽の前に、面白い事や信じたい事を信じる民衆たちは、モーリア伯爵が9歳の幼女に魅了されて誘拐を企んだという噂を信じています。誘拐の実行犯らが、伯爵領に連れてくる前に奪還されたため、領内にはいないけど、伯爵は異国の幼い令嬢を凌辱しようと思ったのは間違いない、という話がどんどん広がっていきます。
悪逆非道の伯爵という噂は、国中に広がっていきます。この噂に一番大きな影響を受けたのは、北部地域の貴族達です。モーリア伯爵の支配下から脱出する機会であると判断すると、公女クレアの呼びかけに応じて部隊を送ります。伯爵領の手前に到着する前には、5000の規模の兵団となります。
「伯爵が、籠城しないとは驚きでもないかも。」
「都市内は噂で落ち着かないのかも・・・。ザビッグは、歩兵を率いて、敵の騎馬兵と後ろの歩兵が分離したら、騎馬兵を迂回して歩兵を抑えて。」
「了解したしました。クレア様。ですが、ここまで見通すとは、お見事です。」
「ミーナが。」
「私はクレアを手伝っただけです。ザビッグ卿のおっしゃるように、クレアの実力です。」
皴の増えた老将は、50代も半ばに達していますが、その巨体から繰り出す武技に衰えはありません。特別な血族の面々以外で、ザビッグをねじ伏せる武力を持った者が、彼の前に立った事はありません。
フェリクス公爵とセーラ公爵夫人の命令に従って、貴族同士の紛争を停戦させ、盗賊達を討伐してきた歩兵将軍は、優れた政治家でも、戦場における策略家でもないため、伯爵の動きを理解していません。
「なるほど、ですが、ミーナ様は、クレア様と同じように、この状況を理解しているのであれば、教えていただきたい事があります。」
「何でしょうか?」
「伯爵は、籠城しないのはなぜでしょうか。1月も籠城すれば、雪が降り始めます。そうなれば、公爵軍は撤退するだけです。それは彼には分かっているはず。」
「ジルクートの街は、奴隷の数が多く、解放を掲げた私達が都市を囲めば、城壁内で暴動が起きます。そうなれば、城壁内への侵入は簡単です。彼の味方は、率いる直属の騎士団と影の部隊である盗賊達だけです。目の前にいる敵兵の中の、騎馬兵の多くが盗賊団として活動していたのでしょう。」
「なるほど、騎馬兵からは戦意を感じます。盗賊達は自分達の命がかかっているから本気ですね。後ろの歩兵たちからあまり戦意を感じないのは、直属の騎士団でも、伯爵のやり方に不満を持つ者が大勢いるからでしょう。」
「そうです。伯爵にとっての勝ち筋は、騎馬兵の突撃で、クレアを捕らえる事だけなんです。私達がエサになれば、騎馬兵だけを釣り出せます。」
「なるほど。クレア様とミーナ様に言う必要はないのかもしれませんが、油断せずに戦ってください。そして、御身の命が一番大切である事を忘れないようにお願いします。」
巨体の勇者に後続を任せた赤い騎士と茶色の傭兵は、2騎になって荒れ地を走ります。
モーリア伯爵と盗賊団は、2人だけで接近してきた騎馬兵が、公女クレアと宰相令嬢ミーナで、尋常ならざる武力を持った存在である事を理解していますが、突撃以外の選択肢はありません。
2頭の馬が接近を停止した後、盗賊団の先頭集団は作戦通りに、左右に分かれて包囲する作戦を展開しようと動き出す前に、目の前に2人の戦士が馬から降りる事に驚きます。逃げるのではなく、地上戦を選んだ2人に対して、盗賊の1人が叫びます。
「踏み潰せ!」
馬上の有利を捨てた2人の戦士を踏み潰す事は、簡単な事だと盗賊達は考えます。馬体をぶつけるだけで致命傷を与える事ができる状態ですが、2人を倒すか捉えるかしないと、生き延びる道が開けない盗賊達は全力で馬を走らせます。
赤い鎧の戦士は、ハルバードを握って戦います。茶色の傭兵は短い双剣を振るって戦います。馬と馬上から繰り出される剣や槍の攻撃を全て華麗にかわします。攻撃を避けた瞬間、クレアのハルバードの半月板か槍先が、急所を断切するか、貫きます。攻撃が当たらないと思った瞬間、ミーナの剣が盗賊達の脇腹を切り裂きます。
「ぐがぁ。」
「踏みつぶせ。」
「邪魔だ。どけ。」
2人に群がる盗賊達は、対魔獣究極兵器である2人の強さに驚くと同時に、死の道へと進みます。遠目では完全に理解できない少女たちの強さを確かめるために近づくと、それが近寄った者の最後になります。
50を超える死体が転がる戦場に、北部の悪漢ジョルジュ・モーリアが接近してきます。その事に気付いたミーナが、戦闘後初めて声を出します。
「いた。クレア、私に続いて。」
血に塗れた茶色の傭兵は、体の丸みのあるラインを剝き出しにしていますが、色気を発する事はなく、死臭と死そのものを発する存在になり、クレアの道を開きます。足を止めた騎馬兵達は、ミーナにとっては敵ではなく、邪魔な異物でしかありません。邪魔になりそうだから、脇腹を切って、進むべき道に立てないようにするだけです。
馬体の威圧感、馬上からの打ち下ろし攻撃、戦場で脅威とされるそれらは、4本足の魔獣に比べれば、小さいもので、ミーナとクレアにとっては、無きに等しいものです。魔獣より馬の方が大きくても、速さはかなり劣ります。避ける事は簡単で、馬が体に触れるかどうかの所を走っても、2人は恐怖を感じる事はありません。魔獣と違って、致死性の攻撃を出すことができない馬を、恐れる事はできません。馬上からの打ち下ろし攻撃も、当たらないのだから、恐れる必要はありません。仮に当たったとしても、魔獣の一撃に比べれば軽いものです。
2人を囲んで攻撃するために、馬の足が止まった瞬間から、2人のとっては、馬に乗って自由に動けない人間の群れでしかありません。
「下馬して、近接戦だ。」
伯爵の命令は遅すぎます。仮にこの命令が早めに出たとしても、結果は一緒ですが、密集戦術で突っ込むことができる盗賊達にも、僅かばかりの希望が灯ったかもしれませんが、何もかもが遅いのです。
開かれた道を駆け進んだクレアは、伯爵の前で漆黒のハルバードを2度振り回します。1度目は首を刈り、2度目は首を貫きます。
「敵将モーリア伯爵は討ち取った!!!」
高音の勝利宣言を発すると、盗賊騎馬兵は周囲に逃げようとしますが、ミノー公爵軍騎馬隊に囲まれていて、逃げ出すことはできません。無理やり突破しようとしても、背後からミーナとクレアの矢に射抜かれてしまって、脱出する事はできません。
赤い騎士クレアが、母セーラの伝説を引き継ぎます。短期間で終わった北部討伐は、後処理については多くの時間を要しますが、フェレール国を大きく変える事件となります。ミノー公爵家の権威が高まると同時に、イシュア国との対等な関係を維持する事ができたため、王家の権威も高まります。
そして、ミノー公爵家が推進していた奴隷解放政策は、ここに完全開放が実現します。これは奴隷達にとっての僥倖ではありますが、フェレール国にとっての僥倖にもなります。奴隷のもたらす利益が無くなった結果、貴族間同士の戦闘が激減するからです。
フェレール国の紛争では、これまでは奴隷と言う商品を手に入れる事ができています。しかし、今後はその利益を見込んでの紛争が無くなります。貴族達が利益を手に入れるための方法は、地道に農業生産力を上げるか、他領との貿易を行うしかありません。
この2つは奴隷売買に比べると利益率が低い物ですが、イシュア国から入ってきた耐寒性のある農作物と、商品作物の種が入ってきたため、十分な利益を見込めるようになります。
魔獣の森を開拓してから約15年が過ぎ、公爵夫人セーラが目指した国へと生まれ変わる第一歩を踏み出したフェレール国は、大きな変革の時代を迎えます。




