35 後追い
35 後追い
ミーナは、異国への旅を終えて変わります。自立している強い女性から娘らしい娘になります。父母に甘え、兄達に甘えて、一緒のベッドで家族6人寝ている時には、8歳の少女らしい幼さと可愛さを思う存分発揮するようになります。母レイティアによく似た美少女が、2歳の妹を可愛がる姿には、神々しさすら感じます。この光景に、父親ロイドは不覚にも涙を零します。
長女ミーナが落ち着いてくれたことで、穏やかなファロン一家の生活が始まると考えていた父ロイドは、ミーナの行動力の見積もり方が甘い事を知ります。異国から戻ってきた長女は、確かに少女らしさという点で大きく成長していますが、他の全ての面でも成長しています。
朝の訓練が終わって、朝食を素早く飲み込むと、ミーナはバルドを引き連れて、学園の農業部研究棟に向かいます。
ペンタス不在のための臨時顧問に、異国で働く農業博士からの要望書を見せると、3人は物資調達に必要な資金の見積もりを早速始めます。昼食前に概算書が完成すると、ミーナは2人に物資収集の細かい計画書を作成する事を依頼すると、ケネット侯爵である叔父エリックの所へ向かいます。
エリック侯爵とアイリス侯爵夫人の間に生まれた4人の男子に挨拶を済ませてから、ミーナは金貨1000枚の資金援助の交渉を行います。勝ち取るために数日を費やすと考えていたミーナは、30分もかからずに資金調達に成功したことに驚きます。喜ばしい事ではありますが、侯爵家とは別会計の個人資産であっても、この額を簡単に動かしてよいのかと疑問に思います。本人が認めてくれたから良いと考えるのではなく、きちんと相手の事をしっかりと考えるようになります。
少なくともアイリス侯爵夫人の許可も必要であると判断したミーナは似顔絵がとても上手な叔母の所へ向かいます。子供のミーナから見ても可愛らしさを持っている4児の母親は、ミーナの事情説明を聞くとすぐに、エリック侯爵の個人資産であれば、好きなだけ支援を受けても構わないとの許可を出します。
もし、その援助がもらい過ぎだと考えるのであれば、4人の子供達と遊ぶ機会を増やしてあげて欲しいとミーナは頼まれて、それをすぐに承諾します。
穏やかさを手に入れたと同時に、元来持っていた行動力も爆発的に成長させたミーナのの時間を、ゆっくりと進ませることができる人間が1人だけいます。
「ねぇね。」
「降りるの。」
「降りるぅ。」
学園農業部が管轄している農地は今、冬期という事もあり、作物が植えられていない場所があります。そこで、茶色の小さなワンピースを着ている2歳児は土遊びを始めます。
「ミズさん、いるかなぁ。」
「深くまで掘ればいるかも。」
「シャベル、貸して。」
「はい。」
土で汚れる事が好きなのか、土をこね回すことが好きなのか、2歳児だった時の記憶を思い出せないミーナは、エリカティーナが何を喜んでいるのかは分かりませんが、楽しんでいるのは分かるので、妹が飽きるまでは一緒に土いじりをします。
大地を掘り返すことによって、大地に新鮮な空気を送り、栄養分の拡散が可能となり、土壌が柔らかくなるとの教えを知っているため、ミーナにとっての土いじりは、利益のある行為でもあります。
「エリカ、少しだけ研究棟の方へ行ってもいい。助手さんと話をしたいんだ。」
妹を前に自然と笑みが零れる姉は、可愛らしい声と仕草で妹に問いかけます。
「エリカも一緒に行く。」
「少しだけだから、すぐに戻ってくるから。」
「エリカも行くの。」
土遊びを中断する事に対して、不満げな表情を見せながらも、姉を1人だけで行かせたくない妹は、自分から離れようとする姉に付いて行こうとします。
ミーナが帰宅した日の翌朝、訓練を終えて朝食をとった金髪青目の少女は、元気に自宅を飛び出して行きます。ペンタス先生に依頼されている、するべき事としたい事があったからです。元気を充填したミーナを止める事は誰にもできません。農業部で見積もりを作り、エリック叔父さんと資金についての交渉をして、満足できる結果と共にファロン邸に戻ってきたミーナを待っていたのは、妹エリカティーナの狂乱です。
エリカティーナは久しぶりに、兄と姉が戻ってきたことが嬉しくて、一緒に朝食を食べる事ができるのが嬉しくて、最初は2人をちらちらと見ながら食事をしています。一緒に居る安心感からか、その内に、銀髪緑目の妹は食べる事に夢中になります。食べるだけ食べた後に、隣の席を見ると、姉の姿が消えています。
もちろん、ミーナに連れていかれたバルドの姿も、食堂から消えています。再び、2人が居なくなった事に衝撃を受けた末娘は、2人の名前を叫びながら号泣を始めます。その内に食べていた物の一部を戻して、一瞬泣き止みますが、それからもずっと泣き続けます。2人が戻ってくる夕刻まで、エリカティーナは昼も食べずに泣き続けます。途中、泣きつかれて昼寝の時間が発生しますが、それ以外はただただ泣き続けます。
この日は、各所への報告があるため、レイティアも2人をすぐに帰宅させる訳にはいかないため、泣き止まない末娘をひたすら慰め続けます。その効果が全く現れない中、夕刻に戻ってきた2人に安心した2歳の幼女は、そこでも泣き続けます。
今度はミーナの服を握りしめて離さずに泣き続けます。その後、再び寝てしまいますが、握った手を開くことはありません。
この瞬間から、エリカティーナはミーナの側から離れる事を嫌がります。見えない所に行くと、泣き叫んで姉の姿を探し出します。何をするにも、妹と一緒という生活が始まります。
「ねぇね、まてまて。」
「こっちよ、こっち。エリカ。はい、捕まえた。」
「まてまて。」
王都西部地域の空き地で、ミーナは周辺地域の子供達と追いかけっこをします。突然加速して、肩をつかんで来る美少女から逃げ切る事は不可能であっても、それから逃げ回る事を子供達は楽しんでいます。
「ほら、こっちも捕まえるわよ。」
「まてまて。」
他の子供達を追いかけるミーナを常に追いかける幼女は、離れたり近づいたりする姉に向かって歩き続けます。転ぶ事があっても泣いたりせずに、ただただ追いかけます。捕まえる事に成功しなくても、自身の視界に入っている事だけでも嬉しいエリカティーナは、鬼役の姉を捕まえる鬼役を1人だけ延々と続けます。
「まてまて。」
「捕まった。」
「ねぇね。捕まえた。」
銀髪緑目の美幼女は、美の女神の容姿を強く引き継いでいて、誰から見ても可愛くて美しい。小さな体で姉を追いかける姿に見とれてしまう子供達もいて、ミーナとエリカティーナの追いかけっこを見る事そのものを楽しみにしている子もいます。
週に1度か、2度遊びにくる6歳差の姉妹は、庶民町の人気者になります。宰相家への賄賂と言うには些細な、2人の姫への献上物は食べ物である事が多く、2人の姫への献上物は、その場で子供達に下賜されます。
皆と一緒に食べながら笑顔を見せるエリカは、楽しいおやつの時間に、姉の隣に誰かが座る事を許しません、自分の反対側に誰かが座ると、明らかに不機嫌になり、睨みつけながら威嚇する事があります。ミーナの反対側の位置は、子供1人分の距離が開いていないと、座る事が許されません。
こういった事情を知らない新人さんが入ってくると、皆を率いるミーナに接近しようとします。ある日、3人の少女たちが、エリカティーナを囲んで可愛がった後、姉のミーナを3人で取り囲みます。ちょうど皆でお菓子を食べている時で、エリカティーナはお菓子を頬張っている一瞬のスキを突かれてしまいます。
エリカティーナの視線からミーナの姿を取り除いた3人の少女たちに、幼女は烈火のごとく泣き出します。何を言っているのかが分からない言葉を吐き出しながら、手足をバタバタされる幼女には、可愛らしさが見えますが、その原因を作った3人に対しては、幼女とは思えない視線を向けてくるため、標的となった3人の少女たちは慌てます。
ミーナは妹を抱きかかえてあやそうとしますが、一度泣き出すと、そう簡単には収まらなくなります。泣き続ければ、ミーナがいなくなることはないだろうと分かっている妹は、泣き続けます。
こういった事象が何度か発生すると、ミーナも妹と一緒に居る選択だけをするようになります。一緒のベッドで寝る事から、食事、お風呂、お手洗いと、ミーナはエリカティーナの監視下で生活する事になります。それ自体はミーナにとっては問題ではありませんが、1つだけ悩みがあります。
その悩みとは、移動に時間がかかる事です。2歳児の歩行スピードに合わせれば、それだけで多くの時間を消耗してしまいます。大人であれば、抱えて走る事はできますが、8歳児を一回り大きくしただけのミーナは、妹と抱えて疾走する事は無理です。
とりあえず、エリカティーナを抱きかかえれば、自分の歩行速度で移動できるようになりますが、それでも遅いと考えるミーナは、荷物用の台車を改造して、子供を運べるための台車を作ります。姉と同じ速さで移動できるからではなく、姉に押してもらって移動できる事が楽しい嬉しいエリカティーナには、この台車は大好評です。王都に笑顔をまき散らしながら、姉に台車で運んでもらう幼女は、王都の名物になります。
ミーナが作ったエリカ運搬用荷台は大流行する事はありませんが、これを切っ掛けとして乳母車が作られるようになり、王都を中心に広まります。流行したと言うのであれば、木製の子供用玩具です。妹を喜ばせるために作った物は、子供達に公開されて、すぐに真似されます。
軽くて細い木の枝を布で包んで、木剣代わりの遊び道具にするような簡単に作れるものだけでなく、職人たちが手作りするような物もあります。生活用品を作っていた木工職人達は、新たな需要に応じる形で生産力を増強します。
元々、鉱山が少ないイシュア国では、木材加工技術や木工製品が発達していますが、小さな玩具作りの中で、さらなる発展を始めます。その発展が目に見える形になるのは、まだ先の事で、今は王都の空き地に大きな木箱が置かれていて、その中に子供向けの玩具が入れられています。
これは、ミーナがエリックから引き出した資金による活動ではなく、宰相ロイドが部下に命じて実行した国策の1つです。森林資源の多いイシュア国は、技術力の向上が国力を上げる基盤になるため、食糧生産の耐寒化が進んだ今、次なる課題として、商品作物の生産や、食糧以外の農業でも生活が成立するように支援を行っています。
エリカティーナの成長と共に国が発展すると評させるようになる最初のできごとです。




