3 魔獣討伐
3 魔獣討伐
魔獣が人間を排除し続けた地獄は、魔獣の駆除に成功すれば、豊潤で温暖な大地に変わります。フェレール国で貧民層と呼ばれる人間達が、夢を追い求めるのに相応しい大地です。その地獄は2人の英雄の存在によって、開拓民の国へと変化します。
それでも、魔獣の脅威の負担は大きく、豊かな農作物の実りを確約するだけでは、人々が定住するだけの利点はありません。しかし、魔獣の額に輝く魔石の存在が、イシュア国に莫大な利益を与えます。
魔獣の核、活動を維持するための原動力である額の魔石は、唯一魔獣達の弱点であり、魔獣を撃破するためには魔石を取り除く必要があります。そして、その魔石は魔力を有していて、その力によって様々な恩恵をイシュア国に提供します。
光、火力、水源だけでなく、魔石の処理を工夫すれば、荒れ地を豊かに変える肥料の役目を担う事もできます。冷却材、石化効果による道路の舗装や壁面の強化などの使い道もあります。人間が自由に操る魔法が存在しない世界において、この魔石は唯一人間を凌駕する力を持った、とても役立つ道具であり、魔獣の巣から毎日産出される鉱物資源でもあります。
豊かな大地と産出される魔石によって豊かさを享受できるイシュア国において、25年に1度発生する暗闇の暴走は、脅威であると同時に、一獲千金のボーナスタイムでもあります。
ただし、オズボーン公爵家の東部にある中の巣と大の巣だけは、事情が異なります。その2つだけ、暗闇の暴走時に特別な魔獣が出現します。その強さは、4本足の魔獣とは格段の差があります。
その強大な魔獣を倒すことができる人間は、オズボーン公爵家とつながりがある人間の中でも、特殊な訓練によって、その才能を開花させた者だけです。
今、中の巣に向かっている3人の女神たちが、今世代における特殊な訓練を経た戦士です。
3人の女神には、それぞれ50名の騎士が従います。女神の軽装備とは違って、護衛騎士たちは鉄製の防具を身につけています。そして、その表情も異なっています。生者のそれではなく、死者の表情です。中の魔獣には、騎士達が集団で挑んでも勝つことができません。討伐の役目を果たす事ができない騎士の任務は、3人の生体兵器のクールダウンの時間を稼ぐ事です。
数十秒間の休息を与えるために、中の魔獣の正面に立ち、命を散らす事が騎士たちの仕事です。死体になってからも中の魔獣の攻撃を受け続ける事を誉としている騎士たちの死地が、中の巣と呼ばれる地獄です。
入口から緩やかな傾斜が続く一本道を進むと、地下に大きな半球状の闘技場が出現します。
「大きい。」
半径50m程の半球空間に入ったリースは一言発した後、しばらく目の前に広がる光景に圧倒されます。光の魔石で昼の明るさを得た闘技場の中で、150名の騎士が整然と準備を整えています。
進入口とは反対側に、3つの通路が繋がっていて、その前に3つの集団が陣形を作っています。3人の女神を少し離れた先頭に配置して、その後ろに3列縦隊で騎士たちが待機しています。
「ママ。」
深夜0時になると、3つの通路から猿型の大きな魔獣が進入してきます。中央にいた宰相夫人レイティアが、双剣を抜き放つと、猛然と駆け出します。人間よりも3周りほど大きい前傾姿勢の魔獣も、人間の反応を確認すると駆け出します。魔獣の持つ膂力が、地面を振動させながら、その肉体の速度を上昇させると、瞬く間にレイティアの前に立ちふさがり、両腕を振り上げて攻撃を繰り出します。
訓練で鍛え上げられた騎士でさえ躱すのが難しい速度の攻撃を、レイティアは躱すと、無防備に目の前で輝く魔石ではなく、その周囲の肉に剣を突き入れると、魔石を魔獣の額から抉り取ります。
完全停止した魔獣の死体を通り過ぎると、さらに出てきた後続の魔獣に向かいます。3つの通路から1体ずつ、約2分おきに出てくる魔獣を処理し続ける事は3人の強者がいても難しい事です。
最初の数体は出現と同時に倒すことが可能ですが、人間の持っている力を極限まで絞り出した一撃でしか、魔石を抉り取ることができないため、すぐに呼吸が乱れてしまいます。3つの通路から40体ずつ、計120体の中の魔物が止まることなく出現するため、約2時間戦い続けなければなりません。
レイティアは3体目の魔獣を撃破した後も、息が上がることなく、戦い続けます。世界最強の前公爵ギルバードと、最強の公爵夫人と呼ばれたエリスを両親に持つレイティアは、最上の血統と最上の訓練を最も長く受けた戦士であり、男女の筋力量の差がなければ、世界最高の戦士です。
人間だから、全力を出し続ける事はできませんが、瞬時に魔獣を倒すことによって、数秒の休憩を取ることができるレイティアは、その止まっている僅かな時間で呼吸を整えて、次の戦いに向かう事ができます。
そして、その余裕が、これまでの公爵家の戦士達とは違って、戦場全体を見渡して、支配する力まで持っています。
「お母様を、後退させて、息を整えさせて。しばらくは私が防ぐから。」
5歳のリースが、この光景の異常さ、凄まじさを理解するのは、5年以上先になりますが、母の強さだけは理解します。
「ああ、エリス様が。」
祖母に見えないエリスが、立ち止まって息を整えています。幼い次男バルドでも、見たことがない猿の化け物を前にして、立ち止まってはいけない事だけは分かります。母よりも若さを見せる、お姉さんのような美しいエリス様を、孫たちは大好きです。お人形のように完璧な美しさと穏やかさを持っているエリスという女神と過ごす時間を3人は愛しています。
その愛する女神が、戦女神であると聞いたことはあっても、実際に戦う姿を見るのは初めてで、動き始めてからすぐにその強さが、母レイティアと同じである事を目の当たりにします。ただ、母と比べて、圧倒的に継戦力が低く、5体目を撃破した後は、一撃を繰り出す度に動きが完全に止まる時間が、他の2人の美戦士よりも長くなります。
18歳に見える45歳の前公爵夫人の体力は年相当のものです。過去の前公爵夫人たちが辿った道を歩んでいます。武力はあるのに、体力を失った戦士たちが辿る道は、呼吸を整える時間を稼ぐために、後方に控えている騎士たちを中の魔獣にぶつける道です。休憩するために、騎士達の命を消耗する戦い方です。
しかし、今回の戦いは違います。中央で戦うレイティアが、母の休息時間を作りながら戦います。自身に迫ってくる魔獣の攻撃を躱しつつ反撃する基本手順を取らずに、レイティアは迫りくる中の魔獣の攻撃を躱し続けながら、巧みに誘導します。
一番近い人間を攻撃するという魔獣の習性を利用して、レイティアはエリスに向かうはずの魔獣までも自分に引き寄せます。前後からの攻撃を潜り抜けながら、魔石を抉り取る双剣を振るう美戦士は、多くの騎士たちを魅了します。
「ああ。」
レイティアが中の魔獣に肩当てから激突すると、重量感のある魔獣の方向転換に成功して、エリスに向かおうとする魔獣の動きを邪魔します。3分ほどの休憩で戦場に復帰する双子女神の母のために、双子女神の娘が獅子奮迅の働きを見せます。
この働きにより、150名の騎士達は1名を欠けることなく、この巣から出る事に成功します。死亡率90%が常識である暗闇の暴走、中の巣の戦いにおいて、死亡率0%は歴史上初の事で、その事がレイティアに史上最強の女戦士という称号を与えます。
「すごい。」
この日の戦いで、レイティアの強さは伝説になりますが、ミーナが感動したのは、セーラ叔母様の戦い方です。
レイティア母様の異母姉妹であり、自身と同じ名前の前公爵の第2夫人が生んだ第2公女であり、人生の前半生を庶民として暮らした赤髪赤目の23歳の美戦士は、現在フェレール国ミノー公爵夫人セーラとなっています。
幼少期から訓練を受けていたレイティアと遜色ない実力を所有していて、中の魔獣を1対1で撃破できる叔母様もまた、伝説を作っています。
ただ、ミーナの心を奪ったのは、戦いの結果である実績ではありません。中の魔獣の攻撃を躱す動きに魅了されます。薄い革鎧だけを切られるほど、ぎりぎりで躱すセーラは、最小限の動きで魔獣の額の魔石を外していきます。
母レイティアのような力強さを感じない戦い方は、魔獣と踊るかのように見えます。踊ると同時に絶命させていく動きは、美しさを際立てます。
「すごい、すごい。」
小さな声で呟きながら、3歳の末娘は興奮します。
「わあぁぁ!」
祖母エリスの援護に向かったレイティアのカバーをするために、一時的に中央部に移動したセーラは、そこで3頭の魔獣としばらく踊り続けます。全てを紙一重で躱しながら、2頭の正面衝突を演出すると、他の一頭に最接近して、両手の短剣で魔石を額から外します。
血の匂いがしない戦場での演武は、1時間30分で終わります。時間を計測した記録はありませんが、間違いなく中の巣制圧の最短記録が、イシュア歴375年の暗闇の暴走で刻まれます。




