122 王都完全封鎖
122 王都完全封鎖
「お姉様、侯爵軍を追い払っておきました。」
「防衛は頼んでおいたけど。関所を出て、侯爵と対峙するなんて、しかも、信徒達まで危険に晒して。」
赤黒と茶色の傭兵スタイルのミーナが、野営地の入り口で待っていた薄緑の女性神官に注意を与えます。その事に不満を持った美聖女は、少しだけ姉を睨みつけます。
「お姉様こそ、妊娠しているのに戦場に出るなんて、今回の一戦がとても重要だから、見逃しましたが、これから先、出産までは戦場で戦う事は禁止です。パルミラだって、心配していたんですよ。それに肩を切り付けられるなんて。」
「どうして分かったの。」
「それくらい分かります。妹ですから、それよりも体を清めてから、お休みください。後の事は私がしておきますから。ね。」
「分かったわ。後は任せるわ。」
「ナタリーは、パルミラをお姉様の部屋に連れてきてあげて。それと、お姉様のお世話もね。」
「はい。畏まりました。」
教祖と総司令官の姉妹のやり取りを見ていた側近達は、しばらく茫然としていますが、エリカティーナの命令を受けて、動き出します。
大聖女は軍の運営はミーナの部下達に任せますが、王都を追い詰めるための布石を打ち始めます。
まずは、王都騎士団とアウラー侯爵軍を撃退されたとの情報を各地に飛ばします。国王軍の反撃を期待していた者達に精神的な打撃を与える事が目的であるため、エリカティーナは5街道を封鎖していた5部隊が、包囲網を狭めるために動き出したという情報を流します。
既定の戦略とも言える情報に、聖女は国王アルフォンスの評判を落とすための虚偽情報も流します。各地に食料を配っていた精霊教の集団が、王都騎士団の敗残兵の襲撃を受けたというものです。無抵抗の信徒達を虐殺して奪った食料が次々と王城に運び込まれているという情報は、常時であれば、虚偽であると多くの人間が見破る事ができます。しかし、王城が周辺地域から食料を買い取っていて、その食料が王城に運ばれている様子が見られているため、一定数の民には信じられます。そして、信じた民は、王都騎士団の蛮行を非難し始めます。
ドミニオン国軍の内部統制に混乱が発生している間に、エリカティーナは包囲網を縮めるようにと命令を出します。各部隊が王城に接近するこのタイミングこそが、アルフォンス国王が近衛騎士団を率いて、各方面から接近してくる少数の敵を各個撃破する最大の機会です。
しかし、王都に住んでいる教会勢力が、騎士団に対して抗議行動を取ろうとしているという密告が王城に寄せられた上、5方面から迫ってくる敵兵力は、それぞれが1万の兵力を有しているという情報も入ってきます。
この総計5万の兵力が迫っているという情報は、虚偽だと誰でも理解できますが、もしかすると、2万ぐらいは集めているかもしれないという不安を、虚偽で片づける訳にはいかないため、国王軍は情報収集を慎重に行わなければならなくなります。
そして、聖女が信徒を使って、国王軍の斥候兵に賄賂を贈る事に成功しているため、王城には正規兵による虚偽情報も出回る事になります。各方面の部隊は4000程度で、総計20000という情報が、最も信憑性がある情報として認定されます。しかし、北伐軍が包囲網を縮めるために進軍できた兵力は、5方面総計8000程度であり、国王軍が全軍を持っての各個撃破作戦を実行すれば、極めて勝率の高い作戦を展開できます。
一部の王弟が乾坤一擲の包囲網突破作戦を提案しますが、拒否されて、北伐軍は最大の危機を逃れる事に成功します。
「パルミラ様が、眠りました。」
「ベッドに寝かせて。」
「はい。」
北の関所砦内部の小屋でベッドに入っているミーナは、エリカティーナの侍女であるナタリーに命じます。赤子を小さなベッドに寝かせてから、紺色のメイド服姿のナタリーが、ミーナのベッドに近づいてきます。
「ご報告します。」
「お願いね。」
「5か所の関所砦から、王都に向けて出陣したとの報告が入りました。王都の騎士団が出陣したとの報告は入っていません。」
「ドムズ公爵の所だけが心配だけど。」
「ドムズ公爵軍は3000の兵力で、他の進路に比べて進撃速度が遅いため、狙われる可能性は低いとの事です。」
「分かったわ。北へ戻ったアウラー侯爵軍の新情報は何かある?」
「いえ。新情報はありません。ここに戻ってくる事はないかと。侯爵領境の所に戻った事は確認しています。こちら側への動きがあれば、連絡が入るようになっています。」
「そう。それなら、安心できる・・・・・・。ねえ、ナタリー、悪阻はあるけど、たいしたことはないから、ベッドから出てもいい?」
「妊娠中に無理をなさったのだから、しばらくはお休みください。エリカティーナ様から、ミーナ様がしっかりとベッドにいるようにとの指示がございます。」
2度目の妊娠であり、悪阻による体調悪化はほとんどないミーナが、昼間からベッドに横にならなければならない理由はありません。しかし、妊娠していると分かっているのに、戦場に出て戦闘を行い、かすり傷とはいえ、体を傷つけたことは褒められるような事ではありません。
お腹の子の事を考えなければならないのにと詰問されると、ミーナは反論する事ができません。その上、皆の前では笑顔だったエリカティーナが、小屋に入ると号泣しながら、姉の無謀な行為を諫め始めたため、ミーナは何でも言う事を聞くという約束をします。
パルミラと一緒の時間が欲しいと言うのもありますが、妹が自分の事を心配している姿を見ると、今まで通りに自分勝手な行動をする事はできません。もちろん、情勢が悪化すれば別ですが、現在の所予定通りに情勢は展開しています。
「分かったわ。ベッドからは出ない。」
「・・・・・・。」
「本当よ。無茶な事はしないし、無茶な事をしなければならない情勢ではないから。」
「申し訳ございません。ミーナ様が一度約束した事を破るような事がないのは理解しております。」
「という事は、何か言いたい事でもあるの?」
「はい。ミーナ様のお世話役を交代した方が良いかと思います。」
「交代したいではなくて、した方が良いというのだから、ナタリーの過去の事で、色々言い出す人がいるかもしれないから。パルミラの側にいない方が良いと思っての進言かしら。」
「はい。」
ナタリーは、フェレール国からエリカティーナが連れてきた侍女です。エリカティーナが殲滅した盗賊団に捕らえられていて、凌辱を重ねられている経験を持っています。エリカティーナに救出してもらい、彼女の侍女として雇ってもらっているナタリーは、主であるエリカティーナのために命を捧げる覚悟をしていて、聖女に仕えてからは忠臣になるべく、多くの事を学び、多くの貢献を重ねています。
しかし、盗賊団に汚され尽くして、子を為す事ができなくなった彼女が、エリカティーナの側にいる事は、9歳だったエリカティーナが凌辱されたという噂の真実性を補完しています。その事だけは、ナタリーにとって、どうにもできない汚点です。
「ナタリーの気がかりは理解できるけど。あなたをファロン家で雇う時に、そういった事も含めて、私もエリカも受け入れているのだから、気にするような事はないわ。」
「ファロン家の御恩情は身に染みて理解しています。ですが、パルミラ様と生まれてくるお子様達が、悪く言われるような事は・・・。」
笑顔が可愛らしいナタリーは、人生のどん底を経験しているため、仕える主一家に笑顔以外の表情を向けた事はありません。しかし今、申し訳なさそうな苦しい表情を見せています。
「問題はないわ。」
「いえ、あります。パルミラ様は王族です。貴族の上に立つ方です。」
「分かったわ。確かに、リヒャルト王弟殿下の娘だもの。ドミニオン国の王族の1人ね。しかも、生まれたばかりで、自分の意思を示す事も出来ないし、何かを判断する事もできない。そんな時に、一方的に将来のマイナスになる事を、しない方が良いという諫言は理解したわ。でも、エリカもそうだろうけど、私もナタリーの世話役を解任するつもりはないわ。」
「なぜでございます。」
「利益しかないからよ。」
「・・・・・・。」
「信頼できる子守は大切よ。乳母達も信頼できる人間だけど、ナタリーと比べると、付き合いが浅い分、信頼度は高くないわ。ナタリーがいるから、私は安心できるのよ。エリカにパルミラを預けて前線に向かったのは、信頼できるナタリーがエリカの側にいたからよ。」
「それは、エリカティーナ様やミーナ様の。」
「そうね、私達にとっての大きな利益ね。でも、将来のパルミラにも利益があるわ。私や私の子供達は、ドミニオン国から見れば、侵略国イシュアの血筋という事になり、嫌悪感を持たれる可能性は高いわ。そして、嫌悪感を持つ者達は、ナタリーが心配するような、嫌がらせをしてくると思うわ。でも、この何の価値もない噂によって、倒すべき敵の存在を炙り出す事ができる。全てを倒す訳にはいかないから、実際には近付けないだけになるとは思うけど。警戒対象を事前に知る事ができるのは、子供達にとって利益なのよ。気付かないうちに、何かを仕掛けられるよりも、気付けることは大きな利益になのよ。パルミラも生まれてくる子供も、それなりに賢く育てるつもりだから、ナタリーに小さい時に世話をしてもらって良かったと考えるようになるわ。」
ミーナは、ナタリーに対する信頼感がある事を示すために、悪阻が終わるまでの5日間、ベッドの中で静かに過ごします。
イシュア歴396年7月末日、ドミニオン国最大の都市である王都ベルガラトが、北伐軍に城壁に接近された上での包囲を受けます。主要街道を抑えられただけの時とは異なり、王都への人の出入りの自由を奪う事が着る包囲体制を敷く事に、北伐軍は成功します。




