118 激戦開始
118 激戦開始
ドミニオン国の北西端を領有するアウラー侯爵家は、国内最大面積の領地を有しています。しかし、これは高地大森林と呼ばれる無人の地域を形式上有しているからで、実際に支配している土地は侯爵家の中でも小さい方です。
自然は多くとも、未開発地域の侯爵領は、ドミニオン国最北地区の特徴である冷害多発地域であり、最貧地域の1つです。その中で、侯爵家が活路を見出したのは、傭兵部隊を貸し出す事です。王子たちの家督争い、それに伴う貴族達の紛争が、アウラー侯爵家の大好物です。騒乱が起こる度に稼ぎを得て、生き残ってきた侯爵家にとって、南部から現れた北伐軍は、敵であると同時に救いの神です。
近年の冷害で苦しんで来た領民に利益を与える事ができる機会を、ハインツ・フォン・アウラー侯爵が見逃すはずはありません。
「そこにいるのは、赤騎士ミーナか。私はアウラー侯爵だ。街道封鎖を解けば、見逃してやろう。」
「傭兵侯爵を自称する死神らしく、攻めてくればいい。」
「我らは戦いで日銭を稼ぐが、無益な戦いは行わない。血塗られた悪魔に騙されている一般兵を一方的に殺すつもりはない。」
「無益な戦いはしないと言うのであれば、領地へ戻るがいい。今回の戦いは、王家の兄弟喧嘩だ。王位を争う戦いをしている訳ではない。それに、ここで戦ったからと言って、十分な報奨金を手にする事はできない。国王アルフォンス側は防衛側で、私達を追い返したとしても、手にできる領地はどこにもない。」
関所砦から出てきた500の歩兵を率いるミーナに対して、アウラー侯爵軍は5000の大軍を率いています。
開けた場所ではありますが、騎馬部隊を突撃させる事ができる平地ではありません。圧倒的な兵力で歩兵を突撃させれば、ミーナ軍が関所砦に逃げ込むのは間違いありません。ハインツ侯爵は自軍の犠牲を出さないようにして武功を稼ぐことで、収支をプラスにしなければならないため、敵の挑発行為を利用して、少しで敵兵を減らしたいと考えています。
「ドミニオン国が窮地にいるなら、祖国のために戦うのは当然。武功を上げて、国王陛下から褒美はもらうであろうが、領地を求めている訳ではない。お前たちと違って、野心を持って戦っている訳ではない。祖国を守るための戦いだ。」
「ならば、かかってくるがいい。」
少数のミーナ軍が挑発する意味は、仕掛けた罠を発動させるために誘導しようとしているに違いありません。総司令官の女傑を捕らえれば、逆転勝利できるという餌を提示しているのだから、敵方に誘導の意図があるのは確定しています。
しかし、女傑であっても10倍の兵力で襲い掛かれば、罠を粉砕した上で彼女を捕らえる事ができるかもしれないと言う可能性を頭の中から消す事はできません。
彼女の率いている歩兵が、ドミニオン国出身の兵士であるように見えます。重装備とは言えなくても、鉄装備多めの戦士達は、ドミニオン国で徴兵した兵士に見えます。魔獣を相手にしてきたイシュア国の兵士であれば、少数であっても侮っては危険ですが、そうでないのであればと、思考的に誘導されかかった瞬間、アウラー侯爵は左翼と右翼の部隊に左右の草むらへの攻撃を命じます。
ミーナは侯爵軍の動きから伏兵が見破られた事に気付くと、大太鼓を1つ打たせます。草むらの陰に隠れていた50名程度の兵士達が立ち上がると後方に下がり出します。
「味方の援護をする、左右の味方に向かって動いた敵兵に遠距離射撃せよ。」
初日の戦いは、直接矛を交える事無く終わります。ミーナは罠を見破られた事に動揺すら見せずに、関所砦に戻ると、すぐさま兵の半数に仮眠を命じます。
「夜襲です。敵が砦に対して遠距離で矢を放ってきています。」
「反撃は?」
「敵側に明かりはなく、飛んでくる方向は分かりますが、距離は掴めません。」
「数は?」
「一撃目は音から察するに、100程かと、その後は断続的に矢を放っているだけです。失速して、手前に落ちている矢も多いと思われます。」
「火矢が飛んでこない限り、矢の攻撃については最低限の警備兵で監視を続けて。敵の狙いは、こちらの睡眠不足だから。」
「了解いたしました。」
「・・・・・・。」
「どちらへ、視察ですが?」
「反撃しておかないと、毎晩来られてしまうから。」
弓を手にしたミーナは、軽装備のまま小屋を飛び出して行くと、関所砦の城壁へと昇ります。目前の暗闇の中から、無差別に矢が飛び込んできます。ミーナはじっと暗闇を見つめながら、目が暗闇の慣れるのを待ちます。砦の壁に矢が当たるのを確認すると飛来してきた方向が確定できます。そして、ミーナは、その方向に狙うべき敵の姿を見つける事に成功します。
弱い月明かりであっても、真っ暗でなければ、ミーナは敵の存在を認識する事ができます。一矢必殺の攻撃を繰り出すと、矢音の中に呻き声を作り出す事に成功します。同じことをミーナが5回繰り返すと、敵兵が退却していきます。
翌日の夜から矢の攻撃はなくなりますが、関所砦に接近してきた重装歩兵達が太鼓を打つ事で、安眠を妨害する作戦に出ます。
ミーナは、敵兵の意図が分かっている以上、警備兵以外には寝るように指示を出して、大攻勢を仕掛けられるのを待ちます。
開戦4日目の朝、アウラー侯爵軍が攻撃を開始します。遠距離での矢の攻撃を一通り行うと、大盾装備の重装歩兵が最前列となって一歩一歩近づきます。その背後にいる歩兵達は、長い槍と梯子を所持しています。
「敵の盾兵の後方に落ちるように山なり射ちで、矢を・・・。!!敵の第2射が来る。防御せよ。」
一度動き出したアウラー侯爵軍は次々と城壁突破のための攻撃を繰り出します。遠距離からの矢攻撃で、城壁に立っているミーナ達の動きを封じます。その間に、長槍隊と梯子達が接近すれば、それほど高くない壁を突破するのは容易です。
街道を封鎖するためだけの緊急で設置した関所砦の防御力は高くありません。敵の攻撃を完封するだけの機能はないため、力攻めで来られると、ミーナ軍の兵士達の強さによっては突破を許す事になります。安眠妨害によって、疲労が抜ききれないミーナ軍の動きは良いとは言えません。
「敵の長槍は、穂先以外は木製だ。穂先を切り落とせばいい。弓兵は盾兵の前に出た敵兵を狙い撃ちしろ。」
侯爵軍の前衛部隊の負傷者が増えてくると、後方の弓隊から城壁の上にいるミーナ軍に大量の矢が飛んできます。長槍隊を仕留めている弓兵への牽制です。高所での防衛は有利ですが、下から槍攻撃、上から弓攻撃を仕掛けられると、城壁の上に登っていても、反撃が難しくなります。
穂先のない棒切れであっても、その棒で突く攻撃が可能です。アウラー侯爵軍の長槍は、人対人の個人戦で使う長さではなく、集団戦や砦攻撃で使用する特別な長槍です。
侯爵でありながら、傭兵として生き続けてきた一族には、積み重ねている戦うための知恵があります。1つ1つの工夫は戦況を大きく変えるような破壊力がある訳ではありませんが、複数の組み合わせで、大きな武器へと変わります。
「梯子をかけろ。」
「梯子を。」
侯爵軍が威勢よく叫ぶと同時に、一気に梯子が城壁にかけられます。どれだけ犠牲が出ても突破する意思を持った兵士達が駆け上がろうとします。
「撤退せよ。この砦を放棄する!」
高音の女性の大音声で勝敗が決まるセリフが戦場に広がります。城壁の方から矢が飛び出してこない事を確認した侯爵軍の兵士達が、一気に梯子を上りきろうと動き出します。自分達を奮わせるため、相手を威圧するために、雄叫びを上げ始めると同時に、全軍突撃を開始すると、城壁の上にいた赤黒と茶色の革装備を纏った双剣の剣士が、城壁前に飛び降りてきます。
味方の中に1人で降り立った赤黒い戦士は、最初の一撃で梯子を支えている兵士の首を切り離します。双剣を持った恐怖が、次々と梯子を支えている兵士達の腕を切り落としていきます。
攻撃を支えている自分達に直接攻撃を仕掛けてきている事に気付いた戦士達が、腰の剣を抜こうとして慌てます。その慌てている瞬間に、次々と腕が切り落とされていきます。長槍を落とすか、梯子から手を放して、苦痛の声を上げます。
「敵将ミーナだ。」
たった1人で降りてきた赤黒い戦士が、女性のラインを持った軽戦士であると認識した瞬間、多くの兵士達が女傑ミーナの名前を叫び出します。その声に反応したのは、個人戦闘能力の高い重装歩兵達です。1対1で勝てるとは思いませんが、金属で固めた自分達が集団で突っ込めば、捕らえる事ができるとは考えます。連携の取れた重装備達が、ミーナに襲い掛かりますが、彼女の双剣は鉄仮面ののぞき穴に的確に突っ込まれます。即死を免れた戦士だけが、死の寸前の絶叫を戦場に広げていきます。
30人程を切り付けている間、侯爵軍の視線を独り占めしたミーナは、城壁にかかっている敵方の梯子を素早く登ります。
「逃がすな。」
「味方にあたっても構わん。矢を放て。」
「城壁に登れ。」
駆け上がったミーナに対して、時が動いたかのように侯爵軍の兵士が1人1人異なった動きを見せます。城壁の上には、ミーナだけしか立っておらず、軍対軍の戦いでは勝ちが確定していると考えている侯爵軍は、一番乗り、一番手柄を求めて、梯子を駆け上がります。
4m程度の木製で作られた関所砦は、内部構造がある訳ではなく、単なる壁しかありません。乗り越えてしまえばお終いのだけの防衛施設は、ミーナの指示によって最後の役割を果たそうとします。
「焼け死ぬがいい。」
城壁の下に立っているミーナ軍の30名の戦士達が、手に持った炎の魔石で関所砦の壁に火を放ちます。
侯爵軍は、城壁からミーナが消えたかと思った瞬間、城壁が炎に包まれる光景を見ます。もちろん、敵の砦を占領するために城壁を上った兵士達は炎に包まれます。
「撤退だ。」
「後方から水を運んで来い。」
炎の砦に巻き込まれた兵士達は50名の死亡者と300名の負傷者を出します。それでも、街道を封鎖する敵の防衛施設を破壊して突破した事は事実であり、兵士達の士気を上げるために勝鬨を上げようとしますが、山間街道の奥に行ったところに、別の関所砦が存在している事に気付くと、今回の焼き落ちた関所砦は、燃やすため用の施設だという事を理解します。
関所砦が焼けた後の2日後、さらに狭くなった街道を塞いでいる新しい関所砦を挟んで、両軍は対峙します。




