117 包囲戦
117 包囲戦
北伐軍総司令官ミーナは、渡河地点に戻ると、総勢10000の人員を率いて王都へ向かいます。最終決戦には少なすぎるとの具申を受けますが、平地での大決戦にはならないと判断していたために、王都を落とすにしては少な過ぎる人員であっても出立します。
王都に辿り着く前に、5つの集団に分かれたミーナ軍は、王都につながる5つの街道を封鎖します。それぞれの街道の最も幅が狭い所に簡易的な関所砦を建築して、荷馬車の通行ができないようにします。
城壁のある王都を取り囲む包囲ではなく、王都の周辺地域をその他の地域と分断するための街道封鎖を行います。イシュア歴396年6月、穏やかな包囲作戦が始まります。
南東方面の道幅が大きい街道の守備に就いたのは、アーベル公爵となったテリーです。イシュア国オズボーン公爵家の次子から、ドミニオン国アーベル公爵家に入婿となった金髪青目の若獅子は、身重の妻をアーベル領に残しての出陣を選択したのは、1日も早くドミニオン国の騒乱を終結させるためです。
ドミニオン国の5公爵の1人となったテリーは、国に対する忠義を持っている訳ではありませんが、自分を慕ってくれる妻と生まれてくる子供を大切にしたい気持ちがあり、一日も早く平穏な国の姿を確立するべきだと考えています。姉とも慕っているミーナを支えるためにも、自分が汚れ役を演じる必要があるかもしれないと考えて、最終場面で一番人が死ぬ場面が出そうなところに出向きます。
5つの街道のうち、テリーが担当している関所砦で封鎖している場所は、国王軍が突破を狙うのであれば、第一候補になる場所です。道幅が広く、狭隘さが最も緩和されている場所であり、多部隊を展開しやすい場所です。
しばらくすれば、突撃してくるだろうと考えていたテリーは、敵影発見の報を受けると、1000名の守備兵と1000名の工作運搬兵を所定の位置に配備して、防衛戦の指示を出しますが、結局はこの方面での戦闘は起きません。
先代アーベル公爵は、入婿となったテリーをとても気に入ります。武勇は言うまでもなく、様々な能力を持っている婿に、娘以上に惚れこみます。そして、自慢したくて仕方が無くなった先代は、半年前の結婚の時に、ドミニオン国全ての貴族に結婚披露宴の招待状を送ります。来られるはずがない遠方の貴族にも、公爵家が交流しない最下級の貴族にも送ります。
そもそも、争乱が続く中、北部の貴族達が招待に応じるはずはなく、南部の方も余裕がある訳ではなく、招待に応じにくい状況です。ただ単に婿を自慢したい先代は、ぜひとも出席して欲しいという強烈な意思を示します。結婚記念品として、高価な金のブレスレットと髪飾りを大量に作って、事前に各貴族家に送ります。費用がないなら、それを売っても構わないという伝言と共に、招待状を送ります。
贈る方は、娘のため、入婿のために盛大な結婚式を挙げたいだけなのですが、贈られた方はそこにどんな意図があるだろうかと悩みます。
そして、王都包囲網が完成して、その一角をアーベル公爵家が担当すると知ると、ドミニオン国の貴族達は、その真意を勝手に理解した気になります。王都から人質となっている家族を脱出させるには、アーベル公爵家を頼ると良いとのアピールなのだと考えます。
王都の城壁内に閉じ込められたわけではありませんが、王都地域から外に出られない状態が作られた時、王都の運命を悲観的に考える貴族達は脱出を試みます。もちろん、逃亡ルートはアーベルルートであり、テリーは今回の戦いでは一度も剣を握る事はなく、北伐軍に降る者達を受け入れる責任者のような立場を取ります。
新公爵として、多くの貴族達の家族を救う事になったテリーは、ドミニオン国の貴族達との交流を深める機会を得る事になり、すぐさま五公爵筆頭と呼ばれるようになります。全く意図はしていませんが、先代アーベル公爵の婿への贈り物は、政治的に重要な意味を持つようになります。
北東方面の街道を抑えたのはドムズ公爵軍です。周辺貴族と連合を組んでの出陣で、戦闘力は低い集団ですが、武功を欲する貴族達のやる気は充分で、街道封鎖を徹底的に実行したのはここです。
人の出入りが0であった唯一の場所となったのは、武力は低くても知力が高いからではなく、他の街道よりも狭隘度が高く、一番通行しにくい街道だからです。一番狭い所の木々を倒せば、簡単に道を封鎖する事ができる上、傾斜のきつい峠を越えなければならないため、簡易的な関所砦を築かれたら、突破は難しくなります。
その事を良く知っている王都の人間は、補給路だけでなく、脱出路としても使用できないと判断します。
結果として、リヒャルトに降った貴族達は大きな武功を手にする事はなく、街道封鎖に協力したという功績だけを得ます。北部貴族の中で大きな顔をさせないための配置であり、ミーナがリヒャルトに指示した事です。
東側はすでに味方の支配地域であるため、王都街道封鎖において重要なのは、北及び西側の3本の街道です。南西方面の街道はヨルダン公爵領とつながる主要街道で、街道を完全にふさぐ関所砦を建設するのは難しく、武力衝突が行われ時、防御側が圧倒的に有利な訳ではありません。
ここをミーナが担当する予定でしたが、包囲作戦の直前にイシュア国より1人の武神が援軍として登場します。イシュア国レヤード伯爵家当主になったカール・レヤードです。ミーナのドミニオン国遠征に最初から参戦している彼は、数々の武功を認められて、武門の名家を復興する事が許されます。
祖母であるエリス元公爵夫人の実家は、乗っ取りを防ぐために一度貴族籍から抹消されています。オズボーン公爵家の功績によって、名前のみの継承は認められていますが、実を伴った復興をするには、莫大な功績が必要となります。本来であれば、エリスの次男エリックが、暗闇の暴走を抑え込んだ功績によって復興する予定でしたが、ケネット侯爵家の当主になってしまったため、レヤード家の復興の資格を失ってしまいます。
今の時代において、エリックの長男であるカールが、ドミニオン国で積み重ねた武勲によって、名家を復活させた所までは絶賛しかありませんが、1つだけ問題を抱えています。カール・レヤード伯爵の結婚問題です。20歳の彼は父譲りの美しい少年期を過ごしますが、武に特化した青春時代を過ごしているため、婚約者を手にしていません。そして、周囲が結婚への圧力をかけようとした時に、ドミニオン国への出征する事になり、結婚は後回しにされています。
戦争が終わる前に、イシュア国に帰還命令が出たのは、レヤード伯爵家の復興と共に、結婚をして、次の世代を定める責務を果たす事が要求されたからです。
イシュア国では誰でも選ぶ事ができる資格をカールは所有していますが、武に傾倒している戦士は、美しくたおやかな令嬢だけでなく、武に造詣がある女性騎士にも心惹かれる事はありません。とにかく強くなるという基本方針を貫く所は、両親に全く似ていない頑固なところです。
周囲の心配の言葉を、この頑固者は無視できますが、両親の切なる願いである自分の結婚を、涙ながらに望まれてしまえば、それを避ける訳にはいきません。レヤード伯爵を正式に叙任された日に、母アイリスがぽろぽろと涙を流しながら、結婚相手を探して欲しいと泣かれたのには、武骨と頑固なカールも堪えます。
誰かと結婚しなければという強い信念で、連日のお見合いを敢行して、女性たちを魅了する事に成功しますが、この女性と結婚したいと思う事はありません。どうにか自分自身を奮い立たせないと、結婚まで話を持っていく意思を維持できないと判断したカールは、自分の好みを考えてみます。
やはり、強い女性が好きだという結論に達した時、脳裏に浮かんでくるのは弓術の天才女性戦士マーゴットです。22歳の女性は絶世の美貌の持ち主ではありませんが、戦場で戦う姿を美しいと感じさせる力があります。正確無比の射撃を行う様は見惚れる程の美しさを持っています。弓を引いてから矢を放ち、目標を射抜くという一連の姿は、何度見ても飽きる事がありません。美しさではなく、その武勇に、カールも感嘆の声を上げた事があります。
自分より優れているのは弓術だけですが、その弓術はミーナに匹敵するものであり、武門の名家レヤードの嫁に相応しいものです。よくよく考えなくても、マーゴットの弓術は尊敬に値するもので、カールは彼女を一人の戦士としても尊敬しています。恋愛感情の好きというのは良く理解できませんが、隣に立っていて欲しい女性を思い描いた時、一族以外ではマーゴットが最初に思い浮かべる事は、自分にとっての好きだと結論付けたカールは、戦場に残っているマーゴットを手に入れるために、再びドミニオン国へと戻ります。
そして、王弟妃ミーナにマーゴットを譲り受けたいと申し出て、嫁をイシュア国に連れ戻そうとします。レヤード家を復興した自分に相応しい妻はマーゴットしかいない旨の話をしたつもりですが、カールの言葉足らずの所があり、女性はご褒美の品ではないと、ミーナに激怒されてしまいます。
ミーナは、マーゴットの都合を確認する事もなく、結婚が決まったような言い方をするべきではないと諫めた上、まずはこの戦乱を収束させる。その後に開かされる祝勝会で、マーゴットに気持ちを伝えるのが一番良いと提言すると同時に、一日でも早く結婚を望むのであれば、まずは彼女に結婚してくれるようにお願いしに行きなさいと伝えます。
7兄弟に対して、姉の立場を取れるミーナに、精神的にも武力的にも逆らう事ができないレヤード伯爵は、祝勝会での婚約の申し出をする事になります。そして、その場面を華々しく飾るために、最後の北伐戦に参加する事になります。
カールが担当する街道の北側にある峠道に関所砦を建築したのはマーゴット隊です。指揮する彼女は弓術を活かすためにペルルーカ弓隊に所属していましたが、生まれと育ちは王都で、父はバルフォア騎士爵家の当主です。イシュア国近衛騎士団の4人の団長の1人であり、平民から騎士爵になった強者です。その血を引いた騎士爵令嬢は、弓術の才能を持っていて、必殺砲台の異名を取るぐらいに優れた弓術を持っています。
この弓術とマーゴットの価値を一番よく知っているのがミーナです。峠の良所を手に入れれば、全てを射倒す事ができる彼女であれば、激戦予想地を守り抜き、数多くの武功を手にする事ができると信じての配置です。
従弟のカールと結婚する事は、基本的に幸せになるとは考えますが、レヤード伯爵夫人という肩書で生活するためには、他の貴族を黙らせるだけの武功が必要であるとミーナは考えます。
大切な従弟と大切な部下に必要な物をミーナは用意をしようとしています。
王都から北方のデーメル公爵領、アウラー侯爵領につながる街道を抑えるのは、総司令官であるミーナが率いる2000名です。リヒャルト軍に好戦的な両家と戦う可能性の高い地域に、最強のカードを配置するのは当然です。
ミーナ自身に武功は不要ですが、夫ができるだけ死者の少ない終戦を望んでいるため、敵を圧倒できる武略を引き出す事ができるミーナは、敵の最も強い所の防壁を担当する事にします。
王都包囲戦において、国王アルフォンスがどのような戦いを選ぶのかによって、ミーナも戦い方を変えなければなりませんが、ミーナ側はほぼ万全の包囲体制を整えています。




