114 機動力
114 機動力
北伐軍は、公爵軍の士気を奪った事で、平地戦では勝利を手にしたものの、その後の追撃戦は行わずに、公爵軍に再集結を許します。負傷者は多かったものの、死者が少ない事で、士気を回復させる事に成功した公爵軍は、3日後に再戦のために平地へと向かいます。
決戦の地には北伐軍の姿はなく、河岸に設置した拠点に戻っている事を確認すると、攻めるか攻めないかを決めるために、首脳部となる上級指揮官を集結させて、今後の方針を決めるための話し合いを行います。
拠点に攻撃を仕掛けるか、拠点から誘き出すための策を練るか、の戦術の話し合いの他に、王家とは距離を置いて、北伐軍のリヒャルト殿下と交渉するかという戦略的な内容も会議にかけられます。
王家の守護者として自負しているドムズ公爵家ですが、今回までの北伐軍に対する王家の対応は軟弱の一言に尽きます。本来ならば、王弟殿下の1人が総帥となり、北部連合軍を形成して、南部の反乱軍を討伐するのが筋であるのに、王家からは特別な指示はありません。だから、警戒しているドムズ公爵家が、矢面に立って、北伐軍の脅威から北方勢力を守っています。
公爵家だけが損な役回りを演じているのだから、一早くリヒャルト殿下の勢力下に入ったとしても、周辺の北部の貴族達に文句を言われないだろうとも意見を述べる者まで、会議に現れます。
内政を重視したい公爵家の部下達は、誰が頂上にいても、自分の直接上にいる人間が、内政に実力のあるドムズ公爵であれば、今まで通りの地位を得る事ができると考えていて、リヒャルト殿下に膝を折る事を厭う事はありません。軍事を重視したい部下達も、鮮やかな敗北を味あわされた以上、勝てるから戦闘続行だという主張はできません。リヒャルト軍側が十分な条件を認めるというのであれば、臣下の列に加わる事を否とは言えません。
しかし、ドムズ公爵はリヒャルト殿下に屈するという選択を簡単にはできません。ドムズ公爵家の北側に存在するマイヤー侯爵家が、公爵家にとっては問題です。
マイヤー侯爵家の領地は、収穫の少ない山間地ですが、多くの鉱山を持っていて、北部でも一番豊かな貴族です。そして、代々野心家が生まれてくる家柄で、王家に対して忠実な貴族とは言えません。北部で騒動が起こるのであれば、マイヤー家が起こすか、裏で操っていると言われる程です。
当代のマイヤー侯爵は、年の離れた妹を先代国王の第3側妃として王家に入れて、第6王子と第7王子を出産させています。王家と血のつながりを持つ事で、大人しくするだろうという予測は、先代国王が生存している時には、予測通りでしたが、代替わりと共に2人の王子のどちらかを国王にするために奔走し始めます。
甥っ子を国王にして、外戚としてドミニオン国を支配しようという動きを見せるマイヤー侯爵家の動きは、第7王子リヒャルトが生まれてから激しくなります。言う通りに動こうとしない第6王子ではなく、生まれたばかりの第7王子を看板にした方が動きやすいと考えたマイヤー侯爵家がやりたい放題北部をかき回します。
その結果、現王アルフォンスは、弟であるリヒャルトを北部から追放同然で南部での戦闘に従軍させる事になり、ミーナに拉致される事で、北部安定化の策は一度成功しますが、結果としてイシュア国から美女の姿をした魔物を呼び込んでしまいます。
魔物が南部で暴れている間、北部側が効果的な援軍を出す事ができなかったのは、マイヤー侯爵家が表立って騒乱を起こしているからです。南部のリヒャルト王弟殿下と北部のマイヤー侯爵家は連携して動いていると、マイヤー侯爵家は公言しています。ミーナとマイヤー侯爵が連携している事実は存在していませんが、ミーナがドミニオン国で暴れている以上、マイヤー侯爵が連携していると公言しながら、何らかの動きを見せれば、他の貴族達は連携しているようにしか見えません。
ドムズ公爵は、リヒャルト王弟殿下が真に独立した勢力であるのならば、下に就くこと拒絶するつもりはありませんが、マイヤー侯爵家の下に就くというのであれば、断固拒否します。北部の安定を乱し続けたマイヤー家を許す事はできません。
「門を開け、すでにドムズ公爵軍は敗退して、降伏している。それに従軍している貴族達も降伏した。私はリヒャルト殿下の妻ミーナ、新たな支配地の視察に来た。ビリー・フォン・ゲハルト男爵の身柄は、新拠点で拘束している。すぐさま開門せよ。」
800の騎馬兵が城壁門の前に現れると、美しい声で開門を要求します。緑色の旗を掲げている一軍を前に、留守番を命じられている守備兵達は、どのような判断をすればいいのか分かりません。
とりあえず、防御だけを固めていれば、800程度の兵力を押し返す事ができる事だけは理解できるため、沈黙を守ったまま様子を伺うしかありません。
「ドムズ公爵領に向かう途中で立ち寄っただけで攻撃を行うつもりはないが。私達を拒絶するのならば、今後一切の交渉を行わない事になる。それでも良いか。男爵の代理人はいるだろう。その者は城壁に出て来い。」
赤騎士ミーナに呼び出された城門守備隊長は、城壁の上から平身低頭で謝罪し続けます。困惑を与えたミーナは、公爵領に向かわなければならないため、この場はこのまま立ち去るが、後続の部隊が捕虜と共に来るだろうから、その時にリヒャルト王弟殿下を丁寧に迎え入れる事を約束させます。
公爵領の周辺貴族領の都市への牽制を行いながら、ミーナは公爵領都へと向かいます。
渡河拠点東の平地決戦から7日後、ドムズ公爵軍は撤退を決断します。再戦をするのかどうかの話し合いが終わったからではなく、北伐軍騎馬隊が公爵領及び周辺貴族領に攻撃を仕掛けたからです。
正確には攻撃らしい攻撃を受けた訳ではなく、占領された都市も皆無で、ミーナ率いる騎馬隊が城壁を挟んで交渉を呼びかけただけですが、公爵に従っている貴族達は自領の危機が迫っていると感じます。自領防衛のために帰還したい事を申し出ます。そして、北伐軍騎馬隊が目指しているのは公爵領の領都である、という情報も入っているため、公爵も解散撤退を選択する事になります。
迎撃軍としての戦果を得る事もなく、自領と大河沿いの間を往復するだけの公爵軍に戦闘意欲はありませんが、自領が攻撃を受ける事への危機感はあり、迅速な撤退を行います。
1万の軍勢が、日に日に減少していくのは、公爵に従っていた貴族達が、自領に向かうからです。3日が過ぎると半減して、撤退5日目には、公爵領から従軍した3000の兵力だけになって、山道を急ぎます。
左右の乱立する木々の間を走っている細い山道を、公爵軍は細長い線になって移動しています。この場所が領都まで2日の距離にあり、敵が待ち伏せをしているとは考えなかったからです。
士気を上げるためにドムズ公爵自身が先頭を進んでいたことで、無駄な犠牲者が出ない事は、ミーナにとって幸運です。
細い山道を茶色の戦士が塞いでいます。皮鎧で身を包んでいる戦士が女性の体のラインを持っている事に気付いた公爵は、誰かと問うまでもなく、南方から現れた美女の姿をした災厄の名前を呟きます。
「ミーナ将軍。」
「公爵閣下、ここは私が。」
公爵の隣で騎馬を歩ませていたテオバルト準男爵が、前に出ながら、ミーナ司令官とドムズ公爵のラインを断ち切ります。背負っている弓矢での攻撃を警戒して、左手を前に出して、頭部への一撃を防ぐ体制を取ります。
歩兵として道を塞いでいるミーナは、たった1人ですが、左右の木々の向こう側から、人の気配を感じている準男爵は、ここが危地である事を理解します。
「デッカー卿、敵は1人だけではあるまい。」
「はい、左右の木々の後ろに敵は隠れています。攻撃は私ができるだけ防ぎます。」
「細い山道には、我が兵がひしめき合っている。後方に下がる事はできまい。」
小太りの公爵は行政家であり、軍人ではありません。しかし、国を支える公爵として、軍を知らない訳ではありません。武力が低いため戦闘では役に立ちませんが、公爵軍の看板となり、軍を統率する事はできます。
「下がっていろ、ミーナ様と直接話をするしかない。相手もそのつもりのはず。」
奇襲であれば、林に隠れた状態で矢を射かけるのが定法であり、姿を現すのは、敵が逃げ出してからです。それなのに、姿を見せるという事は、単純に殲滅をするのが目的ではない事を示しています。
「ミーナ様とお見受けしますが。」
「ミーナだ。ドムズ公爵でいいのかな。後ろはデッカー準男爵。」
「はい。フランク・フォン・ドムズです。私の護衛はデッカー準男爵です。話に触りがあるというのであれば、彼を下がらせますが。」
「護衛がいても問題はない。」
「では、要求をお聞きします。」
「ドミニオン国をどのようにするのかは、この山道でするには相応しくはない。よって、この場での要求は、北伐軍との停戦と、我が部隊を領都ストールにて、賓客として受け入れる事の2つだ。」
「それは、我が軍に降伏しろと言っているのと同義です。」
「我が軍は公爵軍を支配する意図はない。降伏とは言えない。あくまでも停戦だ。ただ、公爵がどのように考えるのかは自由と言える。この場で、リヒャルト王弟殿下に下り、その傘下に入るというのであれば、それは歓迎する。ただし、傘下に入るだけであって、支配下に入ってもらう事はない。対戦した貴族領をリヒャルト王弟殿下が直接支配する事はない。その前例を作るような愚行は犯さない。その点は、十分に理解してもらいたい。」
「・・・・・・お聞きしたい事があります。」
「何ですか?」
「ここで戦闘が始まったらどうなりますか?」
「デッカー準男爵を挑発して、戦いに持ち込んで、私の武力を見せつけます。この細い山道で、後ろに逃げ出せない状況である事から、無駄な抵抗をしない方が良いと悟ると思います。」
「デッカー卿、ミーナ様と一騎討ちで勝てるか?」
後方に控えている忠実な部下であり、公爵家の宝刀に聞きます。公爵は武人ではないため、ミーナの力を見抜くことができません。
「勝てません。時間を稼ぐような戦い方もできません。イシュア国のオズボーン公爵家の血は、我々とは全く違う物であると考えておいた方が良いかと思います。我が国最強の戦士でどうにか時間稼ぎができるかどうかだと思います。」
「この場ではどうやっても勝てないという事か。」
「この細道では逃げる事もできません。」
「分かった。ここで決断する。」
ドムズ公爵は、ドミニオン国の常識がすでに変えられている事を認めます。大河を境にして脅威が北に及ばないと判断した時点で、自分が時代の変遷に取り残されていたのだという事を痛感します。
「ミーナ様、停戦と賓客としてお迎えする事を受け入れます。」
「分かった。皆、出てこい!停戦はなった!」
木々の間から茶色の戦士達が湧き出してくると、ドムズ公爵軍は降伏する以外の選択肢がなかったことを理解します。どの戦士からも強者の香りが漂っていて、全員が落ち着いているからです。200名いるかどうかの兵士達の方に余裕があります。総勢が少ない事が分かっても、ミーナが率いる北伐軍の方が強いと認識した公爵軍は、道中丁寧な対応を心がけます。




