111 迎撃戦
111 迎撃戦
イシュア歴396年4月に侵略を開始したのは、種蒔き等の農繁期だからです。各貴族家が騎士団を常備戦力として抱えているとは言っても、戦争を行うのは騎士だけではありません。騎士が抱えている家人や管轄下にいる農民を集める事によって、軍団を形成しています。最も動員力が落ちる時期に、渡河作戦を実行したのは常道と言えます。
天幕のみの司令部には大きなテーブルがり、その上にドミニオン国北部の地図が広がっています。各地の地図を統合して描かれた大地図は、レヤード家7兄弟の中で最も濃くアイリスの血を受け継いだ次男テッドの作品です。
「どこから攻めますか?」
「東側のドムス公爵領になるわ。」
「王都に攻撃は仕掛けないんですか?」
「テッドも王都の大きさを見てきたでしょ。巨大な都市を落とすには準備が必要なのよ。」
「私としては、あの壮麗な都市の建築物を破壊するような戦いはしたくないです。ただ、3か月ほど、思う存分、絵を書かせてくれれば文句は言いません。」
「あなたの気持ちはどうでもいいのよ。クレイブのように、軍事的な知見を披露しようとは思わないの?」
「クレイブの方が優れています。優れている奴に任せるのが一番なんです。苦手な分野で出しゃばっても失敗するだけです。戦略を練るなら、クレイブを呼んでくださいよ。」
「クレイブは王都の方へ偵察に行ってもらったわ。いきなり攻撃しないとしても、動きを。」
「ずるい、私に行かせてください。」
「テッドは、王都を見て、絵を描きたいだけでしょ。偵察任務は重要なのよ。」
「1日に1000程度しか渡河できない現状では、偵察を出しても、出さなくても、攻めてきた敵を、あの効果があるか分からない木の柵を利用して防ぐしかないんだから。偵察を出す意味なんて、あまり意味はないですよね。だったら、私に行かせてくれても良かったと思います。」
「そういう意見も、個人的な気持ちを除いた部分については、戦略戦術に関する具申ではあるのよ。もっと、そういう感じで意見を出して欲しいわ。もっと本気を。」
女傭兵が司令部に駆け込んできます。ミーナ直属精兵の紅一点、通称ミーナ部隊の副隊長マーゴットは、ペルルーカ弓隊出身の弓術に優れている女性です。
「姉御。」
「テッド様、姉御はやめてください。」
「姉御は姉御だから。」
「マーゴット、報告を。」
「はい。西側から3000人規模の敵兵が接近中です。歩みを止めなければ今夜に、到着します。ドムズ公爵家の部隊との報告があります。」
「3日目なのに、早いわね。」
1000未満の小集団の攻撃は想定していて、実際に初日に攻撃を受けています。しかし、3000人規模であると、簡単に集める事はできません。すでに準備を整えていたか、迅速な集結体制を持っているのか、どちらにしても、速さを備えている敵は侮れません。
「ドムズ公爵家は、王家の懐刀を自称していて、王都に警備兵1000名を出向させているぐらいです。北部貴族の中で軍事的に、一番大きな勢力を持っている上、軍務大臣の職を代々担っています。最初に大規模な動きを見せるのであれば、ドムズ公爵家だろうことは、報告書に書いておきました。」
「ええ。書いてあったわ。公爵家の秘蔵している美術品の目録やら、噂で聞いたお抱え芸術家の名前やら特技やら、それらを書き連ねた後に、おまけ程度に、公爵家の軍事に関する情報が書いてあったわ。だから、言われなくても分かっているわ。驚いたのは、3日目での対応ができた事よ。ここへ渡河する事が事前に分かっていなければ、この速さで、3000もの兵士をここに向かわせるのは不可能よ。」
「という事は、我が軍に敵の密偵が紛れ込んでいるという事ですね。どうします?」
「どうもしないわ。見つけることは不可能だから。それに、この広い北部地域全体が戦場になっていく戦いにおいて、敵側に潜入させた密偵から有力な情報が送られてくるのは難しいわ。時間が経過すれば、役に立たない情報になってしまう。」
「なるほど。」
「ミーナ様、とりあえず、どのような形で迎撃しますか?」
「第2軍、全員で迎え撃つ。第2軍には作業を中止させて、戦闘準備を急がせて、木柵の補強は済んでいないから。東の平地を戦場として迎え撃つわ。」
先行派遣部隊に引き続き作業をさせて、渡河してきた2000の兵で迎え撃つ事にします。
渡河拠点の東側の平地に2000の兵士を方陣の形に配置します。騎馬兵がいないため、200名程の重装歩兵を最前列に並べて、敵の突撃を受け止める体制を整えます。
「侵略者ども聞け!我が名はテオパルト・フォン・デッカー。ドムズ公爵から討伐の任を受けた。この地で朽ち果てるのが嫌ならば、逃げ出すがよい。我が軍は逃げ出した敵兵を討つような無慈悲な事はせぬ。」
3000を率いた敵将の口上には、自信と余裕があります。歩兵だけの敵が自軍よりも少ないのだから、この平地戦での激突できれば勝利は確定します。
「私は、リヒャルト王弟殿下から、北伐軍総司令官の任を頂いたミーナ・アイヒベルガー。弱い者いじめは好きではない。ここから立ち去れば良し。さもなくば、全滅させる。」
「王弟殿下の名を騙るとは、しかも、王家の名を使った罪、女とは言え、容赦せぬ。」
「容赦しないのであれば、突撃してくるがいい。王家に対する反逆者として戦死するか、裁かれるかのどちらかを選ぶがいい。」
北方の戦場で、ドムズ公爵家の剣として活躍している赤髪赤目の武人は、武勲の数々によって騎士から準男爵に陞爵しています。個人の武と集団を率いる知を備えた準男爵は、ミーナの名前に警戒を強めます。
イシュア国のオズボーン公爵家、その血を引く女傑の個人の武は侮れないものの、100人切りの話は祖父のもので、一族だからと言って同じレベルの強さを持っている訳ではないと、テオパルト準男爵は考えています。そして、自身の武に自信も誇りを持っているため、一騎討ちに持ち込めば、勝利できると確信しています。しかし、ベッカー伯爵を倒した女将軍の知略には、警戒しすぎても困る事はないのを知っています。準男爵にとっては、女の武力よりも、知力の方が圧倒的に上であると見えます。
何度も名将の采配を見てきた武人は、このまま突撃しても、蹴散らす事ができないと感じます。周囲を見渡しても、伏兵が隠れるような場所はなく、正面決戦しか行えない事は充分に理解できるのに、このチャンスに突撃を命じる事ができません。
全軍の最前列にいる敵将テオパルトが武力自慢の勇士であるという事は、報告によってミーナも理解しています。ただの武力自慢であれば、挑発して一騎討ちに持ち込んで、捕らえてしまえば良いと考えていますが、単純な武の戦士ではなさそうです。
「マーゴット。」
「はい。ミーナ様。」
「今から、テオパルトと真ん中あたりで、戦うのか、話をするのかは分からないけど。話をしてみる。その最中に、私がこのハルバードを高く掲げたら、私のハルバードの半月板の所に矢を当てて。」
「・・・・・・。」
「ここからでも当てる事ができるでしょ。」
「できますが、何の意味があるのですか?」
「威圧よ。」
「ミーナ様が、個人技で圧倒した方が威圧になるかと思います。」
「私以外に弓の名手がいる事を見せる必要があるのよ。とにかく、頼んだわよ。」
「はい。」
馬上の赤騎士が単騎で両軍の真ん中の地点に進むと、銀鎧と鉄槍の勇将も単騎で進みます。
「侵略が成功すると思っているのか?」
「侵略ではないわ。リヒャルト王弟殿下が王都に帰還するだけのこと。それを勝手に侵略だと言って、攻撃をしてくる反逆者を征伐しているだけよ。戦いの事を理解しているようだから、分かっていると思うけど。私はイシュア国から来た人間だけど、リヒャルト王弟殿下は、紛れもない王家の人間。そう認識しているから、南部の貴族、領民達が私達夫婦に従っているのよ。」
「私を説得しようとしているのか?」
「説得ではないわ。帰還を邪魔するなと伝えたいだけよ。」
「軍を率いて渡河しているのに、帰還などとよく言えたものだな。」
「仕方がないわ。リヒャルト王弟殿下は、存在を認めてくれるだけでいいと訴えているのに、ベッカー将軍に討伐命令を出して、その後の交渉の呼びかけも無視するのだから、こちらが用心するのは当然の事でしょ。私達がしているのは、渡河して、キャンプを設営しているだけで、都市を攻めている訳ではないわ。」
「こうやって我が軍と対峙しているのに、侵略ではないと言い、王家に戦乱の責任を押し付けた所で、お前たちが侵略者である事実は変わらない。」
槍を握って隙を伺っているテオパルトは、美しい赤騎士が手練れである気配を持っている事は想定内ですが、右手に握っているハルバードに何の揺れも生じない事には驚きます。武器の重心を的確に判断して握っているのであれば、それは武のセンスが超一流である事を証明しています。
南部の戦いでのミーナの活躍は、個人の武に支えられている事を理解しています。単騎で出てくるだけの自信と実力がある事も良く分かります。
「私達の事を侵略者だというのであれば、それらしく振舞おうとも思ったけど。リヒャルト殿下が、国民をできるだけ殺したくないと仰っているから、今日は戦いたくないのよ。今日の夕方に、殿下が渡河してくるから。明日、ここに来てもらえば、殿下とあなたの一騎討ちの場を設けるわ。そこで、負けた方が買った方に従うって言うのはどう?」
「ふふ、ここで、その交渉をするという事は、お前たちの軍に伏兵や罠は無さそうだな。」
「罠はないけど、これをよく見なさい。」
赤騎士がハルバードを高く掲げると、次の瞬間に小さな金属音がテオパルトの耳を貫きます。
ハルバードの先端に、敵陣から飛んできた一矢が的中して弾き飛ばされます。それは、侵略軍の矢の攻撃の中に、集団の中の幹部達を射抜く強力な一撃が常に入っている事証明します。そして、この場で一騎討ちを始めた場合、テオポルトはこの矢を警戒しながら戦わなければならなくなります。
分の悪い戦いを避けるために、テオパルトは自軍を後方に下げます。




