105 誕生
105 誕生
「おめでとう。女の子よ。どうする?」
「どうもしません。少ししたら、リヒャルトを呼んでください。」
3人の産婆は、祖母と母親の2人の美女の平然とした様子に驚きながらも、取り上げた赤子を綺麗に洗い、母親の手当てをして、寝室を清潔にしていきます。
一定のリズムの呼吸を続けながら、呻き声を上げる事のない王弟妃殿下の出産は、産婆達にとっての初めての体験です。出産の痛みに耐えて声を出さない妊婦を見た事はありますが、痛みに耐えながら平然と会話をしている妊婦を見るのが初めてです。
身を割く痛みを感じる回路と、全く別の回路で思考できる事が、中の魔獣と戦う事ができる戦士の条件であり、レイティアやミーナにとって、死以外の身体的変化は完全に無視できます。
「分かったわ。次の出産の時には、少しでいいから、痛みに耐えている声を出した方がいいかもしれないわよ。隣室では、ミーナの声が聞こえないから、物凄く心配していたから。」「痛い時って、どういう声を出せばいいのかな。」
「・・・痛い!でいいと思うわよ。」
「何か違う気がするけど・・・。リヒャルトに聞いてみればいいか。」
「ミーナ様、お子様を。」
ベッドの上で娘を受け取ったミーナ・ファロンは、自覚しないまま涙を零します。命の価値の重さを良く知り、命そのものを誰よりも軽く扱ってきた一族において、新たな命の誕生は、幸せに満ちたものではありません。しかし、1人の母としては、愛おしい子を抱く喜びの中には、不純なものは存在しません。ただただ愛おしいという感情にだけ浸っている中、若い夫が入出します。
「ミーナ。」
ボロボロと泣きながら入ってきた少年は、年上の妻が泣きながら我が娘を抱いている姿に慌てます。
「ここでは走らない。ように。」
「はい。母上、すいません。ミ、ミーナ。」
「どうしたの、リヒャルト。私もこの子も無事よ。」
「うん、うん。」
「ミーナ、あなた泣いているのよ。だから、リヒャルトは心配しているのよ。」
「あ・・・。この子の誕生に感動したのよ。私達も、こうやって生まれたんだって、生まれた時を思い出したの。」
「思い出したって・・・。」
「リヒャルトだって、思い出せるわよ。抱いてみたら分かるわよ。教えてもらった抱き方は覚えているでしょ。」
「覚えている。」
新たな生命を抱きとめている16歳の父親は、王家の第7王子として生まれます。何不自由もなく、誰かに傅かれて、生きていく予定でしたが、第3側妃の子である事から、権力闘争に巻き込まれます。しかも、幼過ぎて自分の意思と実力でどうにかする事はできません。
王家から排除される事が兄王によって決められた後、救いの神からの襲撃を受けて、異国へと連れ去られます。王弟の肩書を無視した救いの神は、身の置き所の無い少年を1人前の男にするために、イシュア国最高峰と言える環境、成長するための環境を与えます。この事も、リヒャルトの意思ではありませんが、この事によって彼は自分の意思を持つ事になり、それを貫く事ができる強さを手に入れます。
未だ数奇な人生に終幕は降りていませんが、自身が守らなければならない、守りたい存在を得る事で、誰かの意図に引きずられる人生が完全に終わります。
妻が教えてくれたように、自分も誕生した瞬間だけは、父母に喜ばれていた事だけは思い出す事ができます。そして、その喜びを持ち続けることができるかどうかが、父親の価値であると理解します。
「この子を何と呼べばいい?」
「私が決めていいの?」
「決めて欲しい。」
「パルミラ。」
「パルミラ。」
母親の親族に祝福された女子は、もちろんこの日の事を覚えていませんが、母ミーナと同じように、様々な書物でこの日の事を知る事になります。
家族3人の寝室で、生まれたばかりの赤子が静かに寝ています。大きなベッドで3人が仰向けになっています。
「リヒャルトは、これからどうしたい?」
成長のために自分で考えさせるための問いかけでなく、一家となった3人が歩みたい道を聞いているのが、若い夫にも分かります。7歳年下の自分が、ミーナの庇護下にいる事は自覚していますが、今はそれではいけない事を理解しています。成年年齢に達していないという言い訳は、妻との間で寝ている赤子には通用しません。
「兄王に、私の存在をはっきり認めさせる。そうしないと、パルミラの立場が定まらない。」
「認めないと思う。認められなかったらどうする?」
「・・・・・・。」
「今までのように書簡を送っても、無視され続けたら、どうする?」
「ミーナは、どこまで私に付いてきてくれる?」
「どこまでもよ。パルミラのためなら、どこまでも付いて行くわ。」
薄暗い寝室の中、魔石による小さな明かりが静かに揺れています。
「時々、今の情勢を、向こう側の立場で考える事がある。視点を変える事で、見えない事に気付くことができると習ったから。」
「何が見えたの?」
「イシュア国は侵略者で、私は祖国をイシュア国に売った裏切り者。ミーナは、王弟を誑かした悪女であり、さらに誰よりも強い将軍で、100人切りのオズボーン公爵の武勇を引き継いでいる一族の女傑。」
「私には色々な語り口があるのね。」
「それは仕方がない。今までの主役はミーナで、私はミーナに正当性を与えるための道具だったから。」
「それで、そういう事が見えて、何が分かったの?」
「向こう側は、侵略者を撃退しようと考えてはいるけど、ベッカー伯爵が討たれ、利用していた教会勢力も瓦解して、もうどうにもならなくなっている。」
「それで、どうするの?という話を聞きたいのだけれど。」
「うん。もう少し話を聞いて。」
「いいわよ。」
「ドミニオン国の国民の立場で、正確には南部地域の庶民の立場で考えてみた。どうして、私達が支持されているのかを考えてみた。貿易の利益や農業技術もあるし、純粋な軍事力を脅威に感じているだけかもしれないけど、私達が支持されているのは、現在の王家、兄王アルフォンスが頼りないのが一番の要因だと思う。侵略者を追い返す事ができない国王は、いらないのだと、皆は考えているのだと思う。」
「確かにそうね。今の国王は、領土の南半分を異国に逃げ出した弟に奪われているのだから、情けない国王であると思われているわね。」
「今、南側の貴族や民たちは、私達に侵略されているとは思っていないと思う。新しい守護者を応援している気持ちになっていると思う。」
「全員がという事はないけど、多くの民は、私達を侵略者だと思っていないわ。」
「ドミニオン国を争いの少ない国にしたいとは前から考えてきたけど、パルミラが生まれて、この子のために何ができるのだろうと考えた時、平和な国にしたいと強く願うようになった。そして、兄王には、その力はないという事が分かった。他の兄達にも、北部の貴族達にも、国を纏める力はない。だから・・・。」
「だから。」
「私が新国王になって、ドミニオン国を治めたいと思う。1人の力では難しい事だけど、ミーナがいて、パルミラがいるから、やり遂げる事ができると思う。」
「リヒャルトならできると思うわ。」
「・・・・・・もし、私にその気が無かったら。」
「こうなると分かっていたから、もし、の事は考えていなかったわ。パルミラが目を覚ますまで、少し眠らせて。」
「うん。分かった。」
娘がドミニオン家の血と、イシュア国の名門貴族家の血を、継いでいる事から、今後の政略に巻き込まれるのは確実で、しかも、今のままの立場では、利用される側である事は間違いありません。
兄王が、弟である自分を見捨てたままにしている事から、パルミラが今のドミニオン国から守られるはずはなく、若き父親は娘のために決断します。そして、後押しするつもりだった妻の期待に応える事ができた事を喜びます。今すぐは無理でもいずれ、妻を安心させるだけの力を持った国王になろうと、妻と娘の寝顔を見つめながら、父親は何度も決意を固めます。




