表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミーナ・ファロン物語  作者: オサ
23歳の話
105/131

100 祝福

100 祝福


 セゼックの統治を始めてから3か月が過ぎます。ベッカー伯爵領以南の地を勢力圏内に入れたリヒャルトは、ボンダール大河の南側にある大教会勢力、リンケ公爵家 アーベル公爵家の取り込みを狙って、貿易の活性化を提案していますが、全く返事はありません。

 しかし、リヒャルトとミーナは、この状況に焦りを感じる事はありません。中南部地域を勢力下に入れたと言っても、中部寄りの貴族と南部よりの貴族とでは全く違うため、安定化するためには時間が必要だと考えています。軍事では拙攻を良としますが、政治では拙攻は大失敗につながる事が少なくありません。中部寄りの貴族達の多くは、とりあえず戦闘を避けたいだけで、形式的に勢力下に入っているだけです。きちんと取り込むためには、すでに貿易による旨味を知っている最南部の貴族達と同様の体験をさせるしかありません。その体験をどのレベルで与えるかで、リヒャルト王弟殿下に対する忠誠度、信認度が大きく変わります。

貿易や農業技術の提供による増産といった利益を生み出す事を多くの民が実感する事も時間がかかるため、ここからの1年間は、中南部の発展を優先させる事を、領主夫妻は決定しています。


「ミーナお姉様、懐妊おめでとうございます。」

「ありがとう、エリカ。」

「悪阻はもう治まったのですか?」

「まだ続いていると思うけど、私の場合は酷いものではないから。」

エリカティーナは、都市アザランでこの朗報に触れると、単騎で馬に飛び乗り、3日の強行軍で姉の元に駆け付けます。16歳の未成年のリヒャルトが姉に手を出したことが許せない妹は、3日間激高したまま馬を操り、セゼックの領主館に突入してきます。

鉄拳制裁を加えるべき、発情したお子様を見つけようとしますが、貿易商団の護衛で出払っているのを聞くと、覚悟して姉のいる執務室へと向かいます。

若き劣情を受け止めるしかなかった姉の代わりに怒りを発するつもりだった妹は、自分を可愛がる時にいつも見せてくれた姉の笑顔を見た時に全てを悟ります。

 姉はあの貧弱な少年との間に、子供を欲しいと思える程に、あの少年を愛している事を確信します。そして、約5年後の暗闇の暴走を考慮すると、この時期に第1子を授かる選択をするのは当然で、16歳の未成年が子供を為すなんてふしだらだという一部の非難を完全に無視する事は、オズボーン公爵家一族の人間としての正しい行動です。

「お姉様の意向に異議を唱えるつもりはありませんが、お姉様の気持ちを伺いたいと思います。イシュア国には戻らないのですか?」

「対魔獣の訓練はするし、暗闇の暴走の時には王都には戻って、中の巣には入る。その前提は崩すつもりはないけれども、ドミニオン国で生きていくことになると思う。」

「理由を伺ってもよろしいでしょうか?」

 17歳になった妹は、薄緑色のシスター服を着ています。髪を隠すように頭巾をかぶっています。極上の美を隠すような衣服で生活している事を、妹が少しも気にしていない事は、ミーナも十分に理解していますが、貴族の令嬢として華々しい世界の中で生きてもらいたいと願っていた姉としては、精霊教なる教会勢力の主柱にしてしまった事を申し訳ないとも思っています。

エリカティーナが決断した事であっても、そこには姉であるミーナのためという妹の思いがあります。それがエリカ自身の幸せにつながると言われていても、エリカ自身の幸せを姉として考えたいとも思っています。

「お腹にいる子は、リヒャルトの子であり、王家の血を引いているわ。イシュア国とドミニオン国の友好関係を構築して、できるだけ長く維持するためには、この子をドミニオン国で育てる必要がある。というのが、政治的な理由よ。」

応接テーブルを挟んでソファーに腰かけている姉は、庶民が着るような簡素な水色のワンピース姿ですが、妹には輝いて見えます。母レイティアに似ている姉、母にそっくりな妹、2人はよく似た姉妹ですが、その中身は全く違います。

その事を誰よりも知っている妹は、政治的ではない理由が聞きたくて仕方がありません。

「他にも理由があるのですか?」

「エリカと同じ国に居たいからよ。」

「お姉様が望めば、私はいつでもイシュア国に戻ります。」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、エリカは精霊教の人たちを見捨てるような事はしたくないでしょ。」

「いえ、お姉様が望めば・・・。」

 首を横に振る姉の怪訝な表情にエリカティーナは言葉を止めます。

「エリカは、自分の事を、自分勝手で、家族の事しか考えていない人間だと思っているみたいだけど。あなたは、周りの人間全ての事を思いやれる人間なのよ。何でもできてしまうから、誰かのために努力をしているという実感を得る事ができないだけなのよ。エリカが苦労する事や努力する事って、私や兄様たちと剣を交える事だけでしょ。それ以外は、エリカにとっては難しい事ではないでしょ。本当は難しい事なんだけど、エリカはそう感じる事ができない。だから、自分は家族の事しか考えられないと思い込んでいるだけなのよ。」

「・・・・・・。」

「アザランの街を復興させるために働いている精霊教の皆の事を好きだったり、可愛いと思ったり、幸せにしてあげたいって思うでしょ。もちろん、私に対する感情と比べれば、小さいとは思うけど。そういう思いがあるはずよ。」

「ないとは言えませんが、はっきりあるとは言えません。」

「そうね、はっきりと言葉にできる事ではないのかもしれないわ。とにかく、エリカには精霊教の実質的な教祖様として、ドミニオン国に定住してもらう事になると思うから、私は一緒の国にいたいの。これが、この国で生きていくことを決めた理由よ。」

「はい。分かりました。お姉様。もう少し、自分の気持ちを考えて、上手に言葉にできるようになったら、お姉様とお話ししたいです。」

「いつでも話はできるわ。」

「はい。ところで、お姉様。生まれてくる赤ちゃんに、贈り物をと考えているのですが。何が良いでしょうか。」

「うーん、出産は今年の終わり頃だと思うから、早い気はするけど。」

「準備に時間がかかるかもしれませんから。」

「お母様はセーラ叔母様から、産着を送ってもらったと言っていたわ。」

「定番の贈り物ですね。もちろん、準備します。他に何かありませんか?私にだけできる事があればと思います。」

「それだけでも十分よ。」

「赤ちゃんへの贈り物ではなくて、お姉様の欲しい物とかありますか。」

「この子が生まれてくるまでの間は、騒乱が起きない事が、欲しい事かもしれない。今のところ、何か動きがある訳ではないから。大丈夫だと思うけど。」

「そうですね。お姉様には、心安らいだ環境で出産してもらいたいですね。」

「ええ。リヒャルトが動いてくれているから、今年いっぱいは何も起こらないと思うわ。」

「それなら、良かったです。」

「しばらく、ここに滞在するのでしょ。」

「そうしたいのですが。アゼランの街を1人で飛び出してきているから、皆がこの街に向かっているかもしれませんので、すぐに街を出て、皆と合流します。どの位置で合流できるかによりますが、しばらくすれば、ここに戻ってきます。」

 姉を完全にリヒャルトと生まれてくる子供に取られてしまう事を覚悟したエリカティーナは、一番愛される人物でない事は仕方がないと考えますが、一番役立つ人間である位置を譲るつもりはありません。


「皆に心配をかけました。ごめんなさい。ですが、皆に朗報を伝える事ができます。」

 アザランを飛び出してきた精霊教信徒達800は、中心にいるエリカティーナを見上げています。整備されていない道の真ん中で、信徒達は座り込んで、教祖様の声を聞いています。

「エリカティーナ様、朗報とは何でしょうか?」

側仕えのナタリーが、皆に聞こえるように大きな声で問いかけます。信徒の1人が聞いているように見せるため、彼女も側で座っています。

「大教会と和解の道が開かれたのです。教皇猊下と書簡のやり取りをしている事は皆にも話した事があると思います。何度かのやり取りの中で、猊下はウルリヒやアルノルトらの所業を知り、私に謝罪の言葉を下さったのです。今までは、側近の者から、私達の事を悪だとお聞きになっていたのですが、私との書簡のやり取りで、真実を知る事になったとの言葉も頂いています。これで私達が邪教徒と呼ばれる心配はなくなりました。今後は、大教会の教皇猊下と手を取り合って、ヴェグラ教の教えを広めていく事になります。」

邪教認定をされて、信徒同士の争いにでもなれば、安寧の日が訪れないと恐怖していた信徒達は安堵します。エリカティーナ様こそ木精霊の化身であり、正当なヴェグラ教の指導者である事は信じていますが、大教会が聖女を悪女と偽って大教会信徒を煽れば、無用な血が流れる騒乱に発展する事になります。

信徒達には勢力を拡大するような野心はなく、エリカティーナ様を中心とした小さな集団として、自らの信じる人のために生きていく事だけを希望しています。だから、大教会の干渉なく、生活ができる事に皆が喜びます。

「エリカティーナ様。交渉ありがとうございます。ですが、どうして急にアザランを出たのですか。」

「そうですね、この話も皆に聞いてもらわなければなりません。ミーナお姉様が、リヒャルト王弟殿下の子を身籠ったのです。この事をお祝いしたい気持ちがあり、飛び出してしまったのです。皆に話をせずに飛び出した事は謝罪します。ただ、生まれてくる子は、ドミニオン国の王族の血と、イシュア国の宰相家の血を継いだ子になります。これで、両国の争いもなくなります。そう考えて、お姉様の元に急ぎたかったのです。」

「おお、これで騒乱はなくなるのか。」

「なんとおめでたい事なんだ。」

「エリカティーナ様の甥か、姪がお生まれるになるのか。」

「慶事はこれだけではありません。教皇猊下は、私に大教会で洗礼の儀を行う事を許してくださったのです。その事をお姉様にお知らせして、ハルナドに向かう事を許可していただくことをお願いしに行ったのです。その許可も頂きました。これでもう・・・。」

信徒800人が騒めきます。和気あいあいの雰囲気から、険しい雰囲気へと一気に変化しています。

「ハルナドへこれから行かれるのですか。」

「そのつもりです。教皇猊下が自ら洗礼の儀をしてくださるのです。少しでも早い方がいいはずです。」

「反対です。」

「どうしたのです。」

「行かないでください。」

「皆、どうしたのです。」

「教皇のイーヴォ様は、教皇になるまでにライバルを蹴落としたと有名です。もしかすると、エリカティーナ様を捕らえるための策謀かもしれません。」

「様々な悪事をなしたのは、ウルリヒ達です。教皇猊下は知らなかったのです。」

「教皇代理のブルーノ様が、大教会の実権を握っていると聞きます。リヒャルト様の兄君にあたる方ですが、今までリヒャルト様を無視していました。エリカティーナ様をミーナ様の弱点だと考えて、捕縛する策を巡らせているのかもしれません。大教会は、教皇代理の影響で大きく変わりました。邪悪な5つの組ができたのも、代理が現れたからです。」

「そうです。水組のゲルトは残っています。教会勢力の闇の部隊と言われている彼らは未だ健在です。」

「皆の話は、噂ですよね。それに、ここで洗礼の儀を拒絶すれば、対立が生まれてしまうかもしれません。」

「策謀です。教皇や教皇代理が真に平和を望むのであれば、5つの組に暴走させなかったはずです。」

「仮に、教皇猊下か教皇代理が、何かを企んでいたとしても、私には、それなりに武の心得もあります。逃げ出す事はできます。」

そんな言葉で安心する教徒達ではありません。人質を取られて、美しい聖女の身が極悪色に染められたと信じている教徒達は、悪魔の住む大教会に行かせる事に大反対ですが、エリカティーナが洗礼の儀を行う事を譲らないため、妥協案を出す事にします。

精霊教の信徒を集めるだけ集めて、皆でハルナドの地に向かう事になります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ